匙と淡水


「うわっ」

小さな明かりだけを付けて、一人本を読んでいたら突然肩に重さが圧し掛かり、変な声が出た。
後ろから回された腕が弱々しい。誰の腕かなんて考えなくても分かったけれど、小さく息を吸って吐く音だけが聞こえた。

「スコール、スコールさーん?」
「――…」

無視だった。しかし少しだけ力が強くなった腕が、返事なのだろうか。
身動きの取れない身体をなんとか動かして、背筋を伸ばした。そのままでは腰が痛くてたまらないという、どこのお年寄りかしら、と一人突っ込みを入れる。

黙々と過ぎていく時間を放置していたら朝になっていそうだ。
スコールはたまにこういうことになった。リノアが動かなくなったときを思い出して、腹の中がねじ切れるように苦しい。だから実際に温かさを感じ取りたいという本能が先立ち、このようなふちを感じられない曖昧な行動に出る。
横を見つめてもよかったが、スコールはそれを嫌がるのだ。きっとさぞかし情けない表情をしているのだろう。
愛想がないから、そう言ってやってもよかったけれど、きっと今の彼は考え過ぎて何も考えていないのだから何をしたって無駄だった。
いつでも溺れているように苦しそうな彼を救いあげるのは難しい。自ら助けの船に掴まろうとしないから、拾い上げなければ沈んでいく一方だった。

オレンジ色に周りを照らす明かりが彼の髪も染めて、透けて光る。きっと何を話しても無駄だろうから、頬にキスをしてやった。びたりと抱き締められている腕が硬くなり、うろたえているのが分かる。

「ごめん」
「声掠れてる」

別の世界を見ていた彼の目が覚めたのか、ゆっくり腕が離れていった。そのまま部屋から去っていってしまうだろうかと思ったが、背後に存在があるから、椅子を回転させて後ろを向いた。
やっぱり、頼りない顔だった。小さく告げられた謝罪、その声は傷だらけになったようにすかすかで、まるで一晩中泣いていた人みたい。ふふ、と笑った。

"はぐはぐなら、正面からがいいな。"せっかくならそう強請ろうと思ったのに、先に向こうから抱き締めてきて、リノアは思わず眸を見開いて驚いた。ゆっくりと吐き出される、不安を追い払うようなため息に、こちらの力も抜けてしまう。

「私はずっとあなたのそばにいる、何と言われようといてみせるもの。あなたが存在を確かめる必要がないくらいに、隣でおせっかいな事をしたり、笑っていてやるんだから」

強く言ってやったら、肩を掴まれて、キスをされた。口ではなく片目に。瞼をぎゅっと瞑ると一瞬、触れたか触れないかそれすらも分からないくらいの、優しいと表すべきか、それすらも分からない不思議なキスだった。
だけど気付いた。どうやら泣いていたらしい。ぱらぱらと零れ落ちるそれをスコールは苦い顔で見つめて、手で雫を払うように拭われる。

「ああ、そうしてくれ」

やはり声は掠れていて、笑ってしまった。だけど胸が張り裂けそうで、そのたび涙は堰を切るのだ。



sunx ごめんねママ
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