いつもの朝に | ナノ


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 朝起きて、支度をして、スーツを着る。ワイシャツの上にはセーターを着込む。今日は冷えるらしい。コートにマフラーを巻いて、家を出る。
マンションの近くのコンビニで朝飯のおにぎりを買う。鞄に突っ込んで、バス停まで走る。この時間帯はいわゆる通勤ラッシュで、いつもバスは満員だ。このバス停に来る前に団地を通るため、座席が空いていることはない。隣の中年男性が狭い中で新聞を読もうと苦戦している。大迷惑だ。スーツ姿の男たち、小綺麗に整えた女たち。全員スマホを片手に見下ろして、今から始まる一日に目を背ける。
今日は曇り空。冬の空気に似合う、どんよりとした薄暗さ。会社はオフィス街の一角にあって、雲に突き刺すようにそびえたっている。乗客の流れに乗って、バスを降りる。ひやりとした空気が肌を突き刺して、寒さに肩を竦める。横断歩道を渡って、足早に会社に向かう。
気付いたら、こんな生活を五年続けていた。一生懸命だった。欲はなかった。何のために働いているのか、もう、わからなくなっていた。
 営業の帰りだった。その日は一人だったから、戻るまで少し休もうと、会社から少し離れた公園のベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。寒さのおかげで、周りには人はあまりいなかった。ベビーカーを押した母親仲間たちが、白い息を吐きながら会話をしていた。
 ほう、と缶コーヒーの暖を吐いた。どんよりとした空は相変わらず、街を見下ろしていた。

「具合、悪いの?」

 ぽつり、と小さな声は、左側から聞こえた。そこには花壇が続いていて、ベンチから見下ろしたところに小さな頭が見えた。紺色のコートを着て背中を丸め、花壇の枠どりをしてあるレンガの根元、雑草にも近い小さな花に話しかけていた。男女の区別もはっきりとはつかなかったけれど、女性にしては低く、柔らかな声で男性と判断した。
 それが、めぐむだった。

「……そう」

 小さな手が、小さな白い花を撫でていた。不思議ちゃん? 危ない人かもしれない。花と会話をしている。変なことを言う人は、都会にはどれだけでもいた。近付かないほうが良いとわかっていたけれど、花を見る横顔があんまり真剣だったから。疲れのせいか気分もハイになっていた俺は、ベンチから降りて隣にしゃがみこんだ。

「何してんの?」

 気付いたら、話しかけていた。めぐむは驚いたように少しだけ肩を竦めて、俺のほうを見た。くりくりとした大きな目と、寒さのせいか少し赤くなった頬が見えた。少年と青年の間と言った感じで、中性的な不思議な雰囲気を持っていた。

「……花、が」
「花」
「なんでもない、です」

 めぐむは手を引っ込めて、拳を握った。きゅっと唇を結ばれて、もう何も話す気はないのだろうと知る。


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