それでも優しい恋をする | ナノ


7  




 けんちゃんに見られたら、「何頑張っちゃってんの?」と爆笑されるだろうなぁ、と思った。それくらい、一生懸命だった。
 あずは、不器用な俊太の言葉を受け取って、嬉しそうに笑った。

『手話、わかるの?』
『これしかわからない』
『覚えてきてくれたの?』

 直球なあずの質問に一瞬ペンが止まったけれど、

『うん』

 素直に白状すると、あずはまた嬉しそうに笑った。
 よく笑う子だな、と見ながら思う。笑っているのが似合う子だな、とも思う。
 かち、かち、と時計の針の音だけが聞こえていた。ときどき廊下の奥で、女性の「ありがとうございました」の声も聞こえてきた。あずに聞くと、あれは姉で、ゆりと言うらしかった。
 あずは、俊太の一つ年下の十六歳だった。三人家族で、父親がパン職人ということらしい。家族でパン屋を経営しているという。

「……ん?」

 自己紹介も一通り済んだところで、あずが徐に、自分の口を指さした。よくわからずに首を傾げると、

『読唇できるから、声でも、少し大丈夫』

 そんなものがあるのかと感心した。試しに、と口を開いた。

「あず」

 初めて、名前を呼んだ。何故か心臓がどきどきして、なんでだよ、と自分に突っ込みをいれた。そんな初々しい気持ちなんて、もう無くなったと思っていたのに。
 あずは、また嬉しそうに笑った。俺の手を取って、指を折り、形を作らせた。

『あ、ず』

 あずの口が、音もなく動いた。手話を教えてくれたんだと気付いた。不器用に俊太だけでやってみると、あずは何度も頷きながら笑って、俊太の手を大事そうに包んだ。
 当たり前なはずだった。誰かの名前を呼べること、不自由なく意思の疎通が出来ること、自分の気持ちが伝えられること、すべてが当たり前だった。
 あずが握ってくれた右手を握りしめた。たった一つ、名前を呼べただけで、名前を呼べるようになっただけで、嬉しくて仕方がなかった。
 一つ一つの言葉を、大切にしていきたかった。 


prev / next

[ list top ]


×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -