仔犬を見たときのような、愛しい気持ちがぶわっと溢れた。
思わず撫でたくなるような、と思った瞬間には、俊太の手は少年の頭に伸びていた。猫っ毛の、癖っ毛。ふわふわとした髪の感触がまた仔犬のようで、柔らかく撫でた。
「君、かわいーねぇ」
俊太はバイだった。女の子でも男の子でも、可愛ければいける。今は特定の相手は作らず、のらりくらりと男女ともに遊んでいた。恋人がいないのは、単純に面倒だからだった。相手がいない方が、色んな人と遊ぶのにちょうど良かった。
少年は頭を撫でられ、大きな目をぱちくりさせながらも、気持ち良さそうに微笑んだ。
「名前、何て言うの?何歳?」
興味がむくむくと湧いて、俊太は尋ねた。けれど、少年はにこにこと笑ったまま、首を傾げるだけだった。
この子、何で喋らないんだろう。
「あず!」
背後から大きな女性の声が聞こえて、俊太は一瞬びくりとした。振り向くと、少年と同じエプロンを着た若い女性が、渡り廊下の向こうから小走りでやってくるところだった。向こう側には、一般用の駐車場があるはずだ。
誰だ?と思ったのは一瞬で、隣の少年が立ちあがり、女性のもとに走り寄っていった。俊太も立ちあがって二人の姿を見ていると、女性がこちらに気付いた。
大きな目が少年と似ているけれど、若干つりあがっているのが強気な印象を生んでいた。歳は二十代半ばと言ったところだろうか。黒髪を高いところで一つに結えていて、走り寄ってきた少年と手を繋いだ。
「生徒さん?」
「ん」
「迷惑、かけてなかった?あず、勝手にどっかに行っちゃって」
「や、何も」
あず、って言う名前なのかな、と頭の中で逡巡していると、
「勝手にどこかに行かないの」
女性はそう言いながら、両手を動かした。少年はそれを見て、同じく手を動かした。
手話、というものの存在を、俊太は知らないわけではなかった。
「あ、うちのパン。ありがと」
俊太の片手に引っ掛かっていたビニール袋を見て、女性はにこりと笑った。やっぱり、少年と似ていた。
「また、買ってね」
女性が会釈をして去ろうとして、少年がその斜め後ろをついていった。
ちらりと俊太を振り向き、にこりと笑って手を振ってくれた。
「ばいばーい」
反射的に声を出したけれど、あ、聞こえないんだっけ、と口を噤んだ。けれど少年は、『ばいばい』と口をぱくぱく動かして、駐車場の向こうに行ってしまった。
授業がもう始まったのだろう、学校はしんとしていた。一人残された俊太は、いましがたまで少年を撫でていた右手をじっと見つめた。
「……あ」
裏庭に一つ、携帯電話が落ちていた。
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