健康的な生活をしてきたから、俊太は病院にあまり縁がなかった。
駅の南口の目の前にどんと構える総合病院は、ここあたりでは一番大きい。301という数字を頭の中で反芻させながら、受付で場所を聞き、病室へ向かった。
きゅ、と床が鳴る。病院は奇妙な空気に包まれていて落ち着かなかった。病室に近付くにつれて喧騒が遠くなり、301号室は病室が並ぶ廊下の突き当たりに見つかった。
301号室のプレートの下に、名前が三つ並んでいた。四人部屋らしく、一つは空白になっている。そのうちの一つに『椿谷 あず』があった。
こんこん、とノックをしても返事はなかった。聞こえないのか、と思いつつ少しドアを開けて中の様子を見て、そろりと中に入った。
入って左右に二つずつベッドがあった。手前右側は空席で、左側は眠っているのかカーテンが締め切られていた。右奥はカーテンが開いているものの持ち主は不在のようで、左奥のカーテンも締められていた。
名前プレートの位置的に、左奥があずのベッドだった。締めきられているのが少し気になるが、そっと覗いてみると、あずは身体を起こして本を読んでいた。
「あず」
呼んでも聞こえないとはわかりつつ、呼んでしまう。人の気配に気付いて、あずが顔を上げた。俊太を認めると、ぱぁっと目を輝かせて本を勢いよく閉じた。
純粋な嬉しさを真っすぐに伝えてくる。策士だなんて思いたくなかった。その綺麗な目に黒い何かを隠しているなんて思いたくなかった。
『しゅん』
口と手が動く。それは俊太も知っている手話だった。ええと、と逡巡しながら俊太も手を動かす。
『あず』
あずは、嬉しそうに頷いた。ベッドの傍らのパイプ椅子を勧められ、俊太は大人しくそこに座った。
「あず、怪我したって……ええと」
メモ帳とペンがないことに気付いて、俊太はポケットからスマホを取り出し、メモ帳機能を起こした。文字を打ってあずに見せると、あずは心なしかしゅんとして、こくりと頷いた。
『足、骨折』
あずが文字を打ち返して見せた。左足を指差され、布団の膨らみを見た。
何と声をかけていいのか迷っていると、またあずがスマホを奪った。
『やっと来てくれた』
いつかは来ると見込んでいた、と言いたげなそれだった。
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