花が待つ雨 | ナノ


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 あと六日。

(……うわ)

 既視感で一瞬、足が竦んだ。みーんみんと鳴く蝉の声が、俺を現実に引き戻した。
 ぶらぶらと散歩をしようと思った。時刻は夜七時になっていたが、辺りはまだ明るく、心地いい気候になっていた。橙と藍がゆっくり混ざる空を見て、今日は傘を差さないで大丈夫そうだと、腕に柄を引っかけたままで家を出た。じんわりと緑と土の匂いがした。
 家を出てすぐ、坂を下りる道にある小さな祠に、人が座っていた。しゃがみこんで祠を見ていたのは同世代くらいの男だった。男にしては長めの髪をしていたので、一瞬だけ女に見えた。昔見た子どもを思い出して、どきりとした。
 男は祠をじっと見ていた。俺に気付いているのかいないのかもわからず、けれど関心はないようだったので、構わずその脇を通り過ぎた。

(…………えっ)

 男は静かに泣いていた。けれど、口元は笑っていた。
 ぽたりと落ちた男の涙は土に染み、そして、じわりと、花が咲いた。
 思わず足を止めた。不自然に振り向いた格好のまま、男の姿から目が離せなかった。男の涙から咲いた花は、黄色のそれで、男は笑みを浮かべたまま土からひっこ抜いた。そして祠の牛乳瓶に、そっと差したのだった。牛乳瓶の花は、枯れかけのが一つと、新しいのが一つと、二つになった。

「見た?」

 風鈴のように通った声は、男のものだった。男はしゃがみこんだまま、こてんと首を傾げた。右目の下に、泣きホクロがあった。俺が口を開けずに突っ立ったままでいると、男が花を指差したの。

「……花?」
「驚かないの」

 驚かないわけではなったけれど、それを素直に表現するほど、俺の表情筋は鍛えられていなかった。何しろ、普通の子どもではなかったから。花を咲かす男の涙は、なるほど見たことはなかった。
 男はくい、と人差し指で目を拭った。指先についた涙からは、花は咲かなかった。けれど少しだけ指先から飛んだ滴が土に触れると、小さな若葉がぽこんと咲いた。思わず男の顔を見ると、男はにこりと笑うだけだった。夏の盛りにしては白い肌の、綺麗な男だった。目の赤い男の笑みは、嬉しそうで、悲しそうで、諦めに似た何かを含んでいた。
 ぬるい匂いが鼻をついた。空を仰ぐと雨雲がやってきていた。俺は驚いた。この町で、こんなに雨が早くやってきたのは初めてだった。ぽつぽつ、と雨が降り始め、俺は慌てて傘を開いた。
 ぴょん、と跳ねるように男は傘に入ってきた。ふわりと花の匂いがした。

「雨の匂いがする」

 男はすんすんと僕の匂いを嗅いだ。驚いて飛びはねそうになって、けれど傘を離してはいけないとはっとして、こらえた。
 男は俺と同種なのだと、すぐに気付いた。


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