僕は一つ、けじめをつけなければいけない。
立ち向かわなければいけないものが明確にある。
電源を落としていた携帯を起動させた。もともと携帯で連絡を取るような間柄の人は少ない。不在着信やメールの類はなかった。
連絡帳を開けて、一番最初に現れる名前をじっと見つめた。
『有隅健吾』
父さんの名前のすぐ下に、佐伯さんの名前が連なっている。
父さんは僕の連絡先を知らない。家を出るときに携帯電話を新しく買い替えたからだ。僕は、父さんの連絡先を捨てられずにいた。
顔を見るのも怖いのに、どうしても、消去出来ずにいたのだ。
名前を選択すると、メールアドレスと電話番号が出てきた。アドレスを選択して、メールを立ちあげた。
『何の用ですか』
一言だけ、メールを書いた。送信ボタンを押す手が震えた。
それでも、はっきりさせなければいけないのだ。ここで逃げていては、何も変わらない。
佐伯さんやマスターや永末さん、色んな人がここにはいる。迷惑をかけてはいけない。父さんを気が済むようにさせなければ、僕は何も守れないのだ。
助けて、という僕に、佐伯さんは頷いた。それを信じていないわけではない。けれど、これは僕の問題だった。僕が動かなければ、何も変わらない。
送信ボタンを押すと、どっと疲れた。ソファに携帯を投げて、沈むように座り込んだ。
黒光りするピアノだけが、静かに音を発しているようだった。
「……!」
数分後、すぐに着信音が鳴った。父さんだった。震える手でメールを開いて、文章を確認する。
『つれないな。感動の再会だろ』
父さんらしいと思った。どういう顔してこれを綴ったのかよくわかる。
『何をしに来たんですか』
早々に核心につくことにした。ここがわからなければ、父さんはずっと僕を待ち続けるだろう。
『会って話がしたい』
間もなく返ってきた返信に、どくりと心臓が鳴った。会う、そんな選択肢がなかったから、一瞬思考が固まった。
会うべきか、それとも。
『嫌です』
『だったら俺がそっちに行く』
脅しだ、と思った。けれどそれは僕にとってはよく効いた。この人は、僕をどこまででも探しだすかもしれない。そして一番恐れている、僕以外の人に危害を与えるかもしれない。
僕の返事は、ただ一つだった。
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