一口、二口サラダを食べて、フォークを止めた。胃が気持ち悪くなる前兆を感じたのだ。
「うん、無理しなくて良いよ」
空になった小皿を引き取って、佐伯さんは流しに立った。慌ててその背中を追いかけ、腕を引く。
「ん?…………朔くんがやってくれるの?」
シンクに流れる水を止めて、僕は頷いた。これくらいはさせて欲しい。今更ながらずうずうしいかもしれないけれど、何かさせてくれないと肩身が狭いのだ。
「ありがと。じゃあ、俺は洗濯物でも干そうかなぁ」
じゃぶじゃぶと、泡で汚れを洗い流す。綺麗にすることは好きだった。ぴかぴかになったお皿を水切りに置いて、シンクを綺麗に整える。
「…………」
気持ち悪い、と思った。ずっと立っていたからだろうか。それとも、サラダを食べたから。
佐伯さんは背後ベランダで洗濯物を干していた。なんとなく足音を消して、トイレに向かう。鍵を閉めて、ずるずるとその場に座り込んだ。
気持ち悪い。吐いたらすっきりしそうなのに、吐き気はない。ただお腹の不快感だけが残っていた。せっかく佐伯さんが作ってくれたご飯を、吐きたくはなかった。
どうして、普通に食べられないんだろう。きちんとした食事を与えられなくなったのはいつからだったか。お前に食わせる物なんてねぇよと、お腹を蹴られて床に転がった、あのフローリングの冷たさはいつだったか。
また、父さんは僕から何かを奪おうとしている。今ある生活も、温かさも、安らぎもすべて、父さんは奪っていく。僕を生み出したのが父さんなら、父さんは僕から何でも取り上げる権限があるのだ。
「朔くん、大丈夫?気分悪いの?」
ドアの向こうから、くぐもった声が聞こえた。父さんは、佐伯さんさえ奪ってしまう。
今頃になって気付いた。父さんは佐伯さんまで危害に与えるかもしれない。僕を匿ってくれていると知ったら、何をされるのかわからない。
壁を伝って立ちあがり、鍵を開けた。ゆっくり開くと、心配そうに眉を下げた佐伯さんがいた。
「顔色、悪い」
ふらつく身体を支えられる。駄目だ、これ以上頼ってはいけないと、その手を払った。
「……朔くん?」
早く、帰らなければいけない。ここから離れなければいけない。もう、佐伯さんにもマスターにも、会ってはいけないのだ。
玄関に向かおうとしても、身体は言うことをきいてくれなかった。
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