「何も言わなくていいからね」
僕にホットミルクティーの入ったマグカップを渡して、佐伯さんは言った。喉を通る温かさが、落ち着きを与えてくれるようだった。
佐伯さんの匂いがするシャツは落ち着かない。シャワーを浴びさせてくれた佐伯さんは、これで良いなら、と貸してくれたのだ。
「俺は何も聞かないから、言いたくなったら、言って。すごく、嫌なことがあったんでしょう」
突然押し掛けて、無言で助けを求めて、理由も言わずにこうやって泊まらせてもらった。
なんて面倒なやつなんだろうと自分で思う。逆の立場だったら嫌だ。けれど、佐伯さんは筋金入りのお人好しだ。目の前のにこにこ顔も、貼りつけたものではないと今ならわかる。
佐伯さんはきっと、僕に理由を問いただすことは無いのだろう。
「少しだけでいいから、ご飯、食べよう?」
キッチンから佐伯さんが持ってきたのは、ふわりと優しい匂いがする、コーンスープだった。小さなダイニングテーブルに置かれ、向かい合わせに佐伯さんが座った。佐伯さんには、焼いたトーストにスクランブルエッグ、サラダなど、いたって普通の朝食があった。
「意外だって思った?俺も少しなら料理するんだよ」
いただきます、と手を合わせてトーストに齧りついていた。僕も手を合わせて頭をさげ、スープに口をつける。
良い天気だな、と思う。開かれたカーテンから、陽気が差し込んでいた。観葉植物の緑が太陽の陽を受けて、きらきらと光っていた。反射するほど磨かれた黒いピアノも、埃一つなく綺麗だった。
「美味しい?」
問われて、頷く。インスタントではない美味しさだった。やや甘めに作られているのだろうか。
「良かった。少し、食べる?」
サラダの入ったお皿を、つい、と寄せられた。一緒に小皿とフォークもを渡される。調子が良いから少しは食べられるかもしれない。なにより、スープを飲んだのを見た佐伯さんが、ひどく嬉しそうな顔をしている。
少しだけ取り分けて、サニーレタスを口にいれた。何か食べるのは久しぶりだった。シーザードレッシングの酸味がよく効いている。
佐伯さんは一瞬だけ驚いた顔をして、笑った。
僕が何か食べただけで、喜んでくれるなんておかしい人だ。
どうして、と思ってしまう。どうしてこんなに、この人は優しいのだろう。
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