僕の住むアパートは一人暮らしには十分な広さだった。部屋に入るとすぐキッチンになり、奥にリビングが一部屋、その隣に寝室が一部屋ある。物はあまり置きたくないし必要ないので、全体的に殺風景になっていた。
ここに佐伯さんが入るのは、三回目になるだろうか。改めて招き入れるのは初めてだ。
「本当に、いいの?」
玄関に来てもなお、佐伯さんはそう聞いた。僕はこくりと頷いて、促すように部屋に入っていく。以前、追い出してしまったことを根に持っているのだろうか。キッチンで飲み物を準備していると、小さな「おじゃまします……」と言うやや緊張気味の声が聞こえた。
リビングの中央に置かれた小さなテーブルに、佐伯さんは正座して座っていた。緊張している様子がそのまま見えている。温かい紅茶をいれたマグカップを置いて、僕も隣に座った。
「あ、ありがとう」
どうしてそんなに緊張しているのかわからなかった。わからないので、考えないことにした。外を歩いたせいで少し冷えた手を温めるように、マグを両手で包んで一口飲んだ。ほう、と息が漏れる。
「朔くん、たくさん本を読むんだね」
部屋で最も存在を主張している、本棚を見上げながら佐伯さんが言った。本はもともと好きだった。天井まで伸びる本棚が、壁の半分を埋めるようにそびえている。
ジャンルは特にこだわりはない。面白いと思ったものは、買ってしまう性質だった。
「本は、好き?」
問われて、頷いた。佐伯さんは何故だか嬉しそうに、笑った。
「そっか」
佐伯さんはよく笑う。僕の表情が死んでしまっているから、余計にそう思うのかもしれない。
最初は、偽善者だと思っていたはずだった。けれど今は、その笑顔に裏を感じない。
「朔くんの好きなもの、たくさん、教えてね」
僕が嫌いなもの、苦手なものばかりを見せてきたから、そう言ってくれるのだろうか。
好きなものは、そう多くない。本は好きだ。アンダンテの雰囲気も気に入っているし、美味しい珈琲も好き。音楽はよくわからないけれど、佐伯さんのピアノは好きだと思う。鍵盤の上で跳ねる大きな手も、人懐こく笑う、その柔らかさも。
はっと気が付いて、咄嗟に俯いていた顔をあげた。佐伯さんと目が合った。きょとんとした顔が、人懐こく、くしゃりと笑った。
僕が好きな笑顔だった。
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