「いつからあそこで働いてるの」
人差し指で「一」を作った。
「一年前?高校卒業してからってことか。高校はこっち?」
首を横に振る。僕が卒業した高校は、ここからずっと遠くにある。
思い出したくもない、生まれ故郷のただの公立高校だ。いい思い出はない。
「……そっか」
佐伯さんは何も言わずに話を閉じた。
ろくに返しもできないし、話題提供も出来ない。こんな僕と一緒に食事をして、佐伯さんは楽しいのだろうか。
「俺はね、ここから二駅先の高校に行っててね。知ってるかなぁ」
僕のことは構わず、自分のことを話してくる。僕が何も聞かないからだろう。マスターと話しているときはそうお喋りそうには見えないのに、佐伯さんは僕と一緒にいるときは、どんどん口を開く。
ぽつりぽつりとした会話をしているうちに、佐伯さんは一皿食べ終わっていた。
「お腹いっぱいになったー」
にこにこと笑って、胸ポケットから煙草を取り出した。
「煙草吸っていい?煙大丈夫?」
ずくん、と心が軋んだ。煙草の匂いは好きじゃない。思い出してしまうから。けれど、佐伯さんが誘ってくれた食事に行き、ここで嫌だというのはなんだか憚られた。いつだって気を遣われているのだ。これ以上の重荷にはなりたくなかった。
人と関わりたくないと思っているくせに、人の迷惑になることも、人の重荷になることも嫌なのだ。
僕が頷くと、佐伯さんは顔を逸らすようにして煙草に火をつけた。煙が僕の方に行かないよう、最低限の配慮をしてくれている。けれど、匂いだけは避けることができない。
佐伯さんは、違った。怖いと思ったことがあったけれど、謝ってくれた。僕に笑いかけてくれた。佐伯さんは僕を一方的な捌け口に使わなかった。いつだって対等であろうとしてくれた。
今頃になって気付く。僕はそれが嬉しかったのだ。だから今だって、佐伯さんと対等でありたいと思ってしまう。重荷には、なりたくない。
僕は少しだけ、人間でありたいと思ってしまったのだ。
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