「おはよ!」
「…………」
次の日から、佐伯さんは毎朝のように僕の家にやってきた。そして無言の僕から松葉杖を奪い、否応なしに背中に背負った。
「前から思ってたけど、朔くん軽いね。ご飯、食べてる?」
その言葉に反射的に記憶を辿るけれど、まともな食事をしたのはいつだったか、覚えていなかった。もう身体が受けつかなくなっているのだ。食べれば食べるだけ、気持ち悪くなる。
喫茶店までの数分の道のりを、佐伯さんは初めて会ったあの日のようにゆっくり歩いた。キッチンはそう広くはないから、片足だけでも十分働くことが出来た。佐伯さんは出退勤の道のりを、自ら買って出て送ってくれている。
怪我した原因とはいえ、ここまでするのはお人好しだ。怪我の程度だってそうひどくはなく、松葉杖があれば十分なのだ。
「マスター、おはようございます」
「おはよう、颯太くん、朔くん」
「…………」
事務所に行くと、マスターは先に制服に着替え、在庫発注の準備をしていた。元々は食材や珈琲豆などの在庫発注は僕がする仕事だけれど、怪我をしてからと言うもの、マスターが勝手にやるようになった。
無言の優しさほど、むず痒いものはない。気付かないふりをするにも無理がある。
「マスターからも言ってやってください、朔くんちゃんとご飯食べてないんです」
僕は何も言っていないのに、そういうことになっているらしい。事実には変わりない。
「うーん、昔から、少食だったからねぇ」
マスターは困ったように笑った。僕が食べ物をあまり受け付けない体質だということも、知っているのだ。
お人好しコンビの話を無視しながら、僕は着替えに入った。
ありがたいと、思わないわけではない。それ以上に、どうしていいのかわからないという戸惑いの方が大きい。
うまく優しさを受け取れないし、それを還元する術を持っていない。何か見返りを求めていそうで、怖いのだ。
僕にはもう、何も残っていないというのに。
「朔くん」
サルンを結ぶと、佐伯さんに声をかけられた。
「今日も一日、よろしくね」
微笑む佐伯さんとマスターの姿に、僕はどうして良いのかわからない。
感情が揺らぐのがわかる。僕には無いと思っていたものが、心の奥で燻ぶっていた。
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