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二十代後半の雪村さんは、僕の客だった。
―――正確には、客に『なった』人だった。
夜の街で酔っ払いに絡まれていたところを助けてくれたのが雪村さんだった。
お礼に何か、と言う僕に食事を提案してきたのが雪村さんで、それから何度か会った。
恩もあったし、お金は払うと言われて、誘いを断ることは出来なかった。
「一目惚れなんだ」
何度目かの食事のとき、雪村さんはそう言った。
その頃にはもう、僕は自暴自棄になっていた。
恋人になって欲しいとも言わない雪村さんに、僕はただ一つだけ伝えた。
「僕が欲しいなら、お金で買ってください」
それから、雪村さんは僕の客になった。
それなりに優しくしてくれた。
甘い言葉も囁かれた。
僕は応えなかった。
資格がないと思った。
「辞めちゃったの?」
ワインを飲みながら雪村さんが聞く。
常連客は数えるほどしかおらず、その中でも一番距離が近かった雪村さんでさえ、僕は黙って姿を消した。
何度か電話が来たことはあるが、しばらくしてそれも途絶えていた。
「もう……やってません」
「……そう。体調、やっぱり悪かった?」
そして、客の中で唯一、僕の身体的事情を知っている人だ。
「する必要もなくなったので」
「……俺にとっては嬉しいけどね」
雪村さんはよく笑う。
精悍な顔つきなのに、柔らかに笑う。
少しだけ、誰かに似ていた。
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