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幸せになる方法を、僕は知らなかった。
幸せになっていいという確証すら、僕にはなかった。
「けほっ、けほ、ぅ、っ……」
もとから脆かった僕の身体は、徹底的に弱ったことで回復すらままならなくなった。
たった一つ、息をすることですら辛いときもある。
「佐倉、」
ベッドの上で膝を立てて座り、身体を丸めさせて咳をやり過ごす。
この姿が一番呼吸が楽に感じるのだ。
すっかり骨の浮いた背中を、乾はいつだって飽きずに、そっと撫でてくれるのだった。
宥めるような、壊れ物を扱うような、優しい手だった。
あの時、僕は一言だけ乾に告げた。
『少し時間が欲しい』と、自分勝手なことを言った。
けれど乾は笑って、『わかった』とだけ返事をした。
僕は無意識に、幸せになってはいけないと思っていた。
誰とも関わりを持ちたくなかったのは、関わりを持てば幸せを知ってしまうから。
母親を憎み始めたのは一つのきっかけでしかなかった。
気付いた頃には、愛された記憶は消え失せていた。
幸せだと感じたことも、ずっと無かった。
乾と過ごした時間や、乾から与えられたものに、僕はずっと戸惑っていた。
途中でこれが幸せなのだと気付いたとき、咄嗟に引き返そうとした。
もとある道に戻らなければけないと思った。
僕が生きるべき場所は、ここにはなかった。
それでも乾は、決して手を離してはくれなかった。
「大丈夫か?」
「ん……」
額に浮かんだ汗を、乾が拭ってくれた。
飲み物を差し出されて、乾いた喉を潤す。
すぐに受け入れられるほど、修正は楽ではなかった。
だから、『少し時間が欲しい』。
乾は待ってくれるだろうと、わかっていた。
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