血に睡る 特に懐いていたわけではなかったと、思う。 この世界に来て、初めて出会ったのが彼だった。それだけの話だ。 希有なものよと私を傍に置き、使ったのが彼だった。それまでの話だ。 見た目が彼の妻に似ていたからか、彼への態度が自身を慕っていた少年に見えたからか。 それを彼が自覚していたのかは定かでは無いが。 彼の人は、その相貌を崩すまでにはいかずとも、私と接する態度が柔らかだった。 魔王らしくもない。 地獄を体験し、一度は黄泉還ったその体も、今では地に伏している。 その内、時が来ればその亡骸は消えるだろう。霞のように、闇に融けるように。 私はその傍らでただ漠然と、その情景を眺める。 私を拾い、力を与えた人を。 優しさとも見えぬ感情で、私に触れた人を。 凡人の私には分からない意志を含んだ眼差しで、私を射抜いていた人を。 ただ、じっと。 「信長様」 死んじゃった。 私の拠が、亡くなってしまった。 薄く口元に、笑みを浮かべる。 眉尻を下げて、目を細めて。すぐに消した笑みの後には、小さく間のあいた唇が残った。 そっと息を吐き、恩人と呼ぶべきなのだろう亡骸を、見下ろす。 「信長様、さようなら」 頭も下げず告げた言葉が、私なりの、誠意だった。 どんなに頭を垂れようと、膝を折ろうと、彼にはなんの意味も無いのだ。 どんなに言葉に意味を込めようと、表情を取り繕おうと、今となっては。何の、意味も。 「もうちょっと、」 赤黒い闇に融けていく亡骸に背を向け、ぽつりと言葉が漏れる。 「遊びたかったのになあ」 それは、無意識の願いだった。 |