自称辛党


※彼女のいない男主と独歩


わあわあと仕事帰りのサラリーマンや飲み会の大学生たちが騒いでいる店内で、独歩となまえはビールジョッキ片手にくだを巻いていた。
串揚げと海鮮がメインのここは、ビールケースを逆さにして座布団を敷いたイスに打ちっ放しの壁といった飾りっ気皆無の店で、しかし味はそれなりに美味く値段も手頃だ。
わざわざおしゃれぶって、フレッシュフルーツカクテルが有名だとかSNS映えするメニューが並ぶだとか、そういう店に行く必要も二人にはない。くたびれたスーツを引っさげて、酒の力でくだを巻く男たちには、この騒がしい店がこれ以上なく落ち着けた。

「世間様はピンク色一色ですわ。っは〜楽しそうでよろしおすな〜」
「な〜にがバレンタインだ。こちとら帰りたいだわ」
「大して韻踏めてねーの草。それでいいのかDOPPO」
「常にホットで本物だからセーフなんだよ」
「わけわからん、ホットなのはお前の胃袋だけだろ」
「肝臓もホットだ」
「彼女もいねーのに懐はコールドだけどな〜」

百貨店の催事に関わる職に就いているなまえは、ピンクと赤に彩られた催事場を思い出し、それをぬぐい去るようにビールを煽る。一気に飲みきって、「すんませんビール〜!」「を、二つおねがいします」と追加の注文をしてから、鰹のたたきをつまむ。
店内はバレンタインのバの字も窺えなくてよい。赤いのなんてマグロの刺身くらいで充分だ。独歩も刺身をつまんで、駅構内のキラキラした景色を脳内から消し去る。

座敷に座っている大学生集団の女子がちらちら様子を窺っていることからしても、二人の顔自体は悪くない。独歩は伏し目がちな視線が大人の男らしい色気を出しているとも言えるし、なまえも涼やかな目元とこざっぱりとした短髪が爽やかさを醸し出していると言えるだろう。
前者はしっとりとしたバーで一人ウイスキーを傾けているのが似合うかもしれないし、後者はドッグランで大型犬と共にフリスビーで戯れてるのが似合うかもしれない。そうしていれば声をかけてくる女性もいるだろうし、事実二人共まったくモテない陰キャ非リアというわけでもないのに、現実はこうである。
彼女もおらず、アラサーの男が二人して安居酒屋でくだを巻く。現実ってだいたいそういうもんだ。

「大体何なんだバレンタインとかいう悪習は。チョコの数が何だっていうんだ? 社内で義理にも満たない三十個入り個包装チョコを女性陣に渡されて、それに三倍返ししなきゃ「あいつマジねーわ」みたいなツラを向けられる風習、いるか? いるのか? 必要なくないか? 女性陣も面倒だろ」
「おれも思ったんだよ、H歴になった時、あっこれでバレンタイン消えるんじゃね? 少なくとも義理チョコ文化は消えるんじゃね? ってな。消えねえわびっくりした。女優位とか言って男サゲる時代になんならもういいだろそういうの、本命だけやってろよ」
「まあ俺たちは本命ももらえねえんだがな」
「それな〜! クソが」

おまたせしました〜! と二つのビールジョッキが届き、あいた皿やジョッキを店員が下げていく。礼を言って受け取った二人は、またぐいっと勢いよくビールを煽った。
この喉越しのために仕事してる。

「バレンタインがなんぼのもんじゃ……!」
「キャラ崩れてるぞ独歩」
「崩れて困るほどのキャラなんてハナから持ってない。いいか? バレンタインが何だって言うんだ。チョコの数が何なんだ。あんなん何個も何十個も何百個ももらったってな、結局食い切れねえし中に何が入ってるかわかったもんじゃねえしブランドチョコも手作りチョコもクソなんだよ、入ってんのはチョコと砂糖とバターと後なんかいろいろだけでそこに愛情なんてモンはないんだよ、わかるか?」
「おれたち、大人になって汚れちまったな……ってことはわかった」
「俺は高校からこんなもんだったぞ」
「……ドンマイ」

ガッ、とさっき来たばっかりのビールを飲みきって、その勢いのまま冷めかけたぎんなんの串揚げを頬張る。
真っ赤な顔でもぐもぐ、ごくん、と飲み込み、スンッと唐突に独歩の表情から怒気が消えた。ただでさえ垂れ下がってる眉尻が更に下がり、なんならちょっと目尻に涙まで浮かんでいる。なまえは独歩のこういう唐突な変化に慣れているので、気にした様子もなく若鶏の串揚げをかじった。

「俺だって本当は、ほんとうはっ、かわいい彼女に「はい独歩くん(はぁと)、ハッピーバレンタイン(はぁと)」って、不格好でもいいから、手作りのチョコをもらいたいんだ……ッ!」

わざわざ裏声で、(はぁと)まで声に出して言う徹底っぷりである。
独歩は彼女にくん付けで呼ばれたい派かぁ、と思いながら、なまえもちょっと想像してみた。

「おれはなーんも言われず、冷蔵庫開けたら中にラッピングされたチョコが入ってて、「これなに?」って訊いたら「いるんなら食べていいよ」って返されるくらいのがいいな……」
「俺がそれやられたらヘコむ」
「メンタルが弱すぎる」

しょんぼりの絵文字を体現したような顔で独歩は再び刺身をつまみ、飲み込んでからため息。
妄想はあくまで妄想でしかなく、現実にはならない。独歩はそれを痛いほどに知っていたし、なまえも悲しいかな理解していた。だからなまえもつられてため息を吐く。

「そいえば独歩っていつから彼女いないんだっけ」
「あ? あー……三年くらい」
「今回長えな〜、独歩割とすぐ彼女出来るタイプだったのに」
「最長一ヶ月で「思ってたのと違った」ってフラれるけどな。そういうなまえは?」
「去年、三年半付き合った彼女にフラれたって話さなかったか? 「なまえとはなんか結婚する感じじゃないんだよね」って。なんかって何だなんかって」
「お前は長続きする割にあっさり終わるのが多いよな……」

怒りも嘆きも終えて、二人は深いため息と共に肩を落とす。

「そういえば一二三が、今年はマカロン作るって言ってたぞ……」
「相変わらず器用だなひふみん……マカロンって家で作れるんだ……」
「そもそもマカロンが何なのかすら俺にはわからん。あれだろ、なんかあの、甘いやつ」
「菓子はだいたい甘いよ。あの〜あれだ、あれ、丸っこくて中にクリームが挟まってるやつ……」
「どら焼きが浮かんできた」
「それは中身あんこだ」

だんだんとどうでもいい会話が増えてきて、追加のビールといくつかのつまみを注文し、独り身二人の夜は更けていく。
彼女がいなくても、結婚の予定がなくても、バレンタインに義理チョコと男からの友チョコしかもらえなくても、まあい〜や! と開き直れる歳はとっくに過ぎてしまったけど、まあビールと串揚げが美味いからとりあえずはこれでいいんだろう。多分。
現実のアラサーなんて結局こんなもんなんだよ。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -