仲良くなれない引き籠もり


「おはようございます、主。今日はとても良い天気ですよ。庭を散歩されてみては如何ですか?」
「おあよ……眩しいからいい……カーテン閉めて……」
「日に当たらない生活は身体に悪いと聞きます。主も少しは日光に当たるべきかと」
「目が溶ける……」
「この程度の日で眼球は溶けません」

布団を頭まで被り、けれど暑いからと足は布団からはみ出している一人の女。この本丸の審神者である。
そんな彼女の枕元に両膝をつき、着替えと水の注がれた湯呑みを差し出すのは、近侍であるへし切長谷部だ。無に近い表情で、布団から出ようとしない審神者の腕を引っ張っている。
刀剣男士に、人間は力で敵わない。渋々布団から抜け出た審神者は、極限まで顔を顰めて窓の向こうを見やったのち、敷き布団の上に胡座をかいて跳ねている髪を撫でつけた。

「今何時……?」
「七時十三分です」
「みんなご飯は?」
「終えました」

そ、と短く頷いて、長谷部から受け取った水を一気に飲む。
撫でつけたところで寝癖がとれたわけじゃない髪を指先で弄りながら、審神者はのそのそと膝立ちで進む。目的地はすぐそこ、マイクとスイッチなどの機材が置かれた机だ。

ぱちん、とスイッチをオンにする。そして慣れた手つきで機材をいじれば、すぐに遠くからぴんぽんぱんぽーんと間の抜けた音が響いた。
胡座をかいて、頬杖をついて、マイクに向かう審神者の姿を、長谷部は息を潜めて眺める。

『おはよーございます。今日の予定を発表します。
第一、第三、第四部隊は昨日と同じで出陣と遠征を。昼の二時頃に第二部隊が帰ってくるはずなので、待機組はお迎えをお願いします。内番は馬当番が加州清光、大和守安定。畑当番が大倶利伽羅、山姥切国広。手合わせは御手杵と蜻蛉切です。よろしくお願いします。以上でえす』

ぴんぽんぱんぽーん。スイッチをオフにし、ふう、と一息つく。直後に大きなあくびをして、よっこいしょ、と審神者は立ち上がった。

「長谷部も別に、毎日起こしに来なくてもいいのに。めんどいでしょ」
「いえ。俺が起こさなければ、主はいつまでも起きてこられないでしょう?」
「私が起きんでもみんな構わんと思うんだがなあ」
「毎朝の放送までやめてしまわれたら、主がますます飾り物になってしまいますよ」

それもそうだ。が、正直審神者にとってはどうでもよかった。

この本丸の審神者は、基本的に己の居住区である離れから出てこない。
別に刀剣男士を嫌っているわけでも、ましてや嫌われているわけでもない。しかし、特筆するほど仲が良い者もいない。
他人と接するのが面倒臭い、出来ることなら誰にも会わずに暮らしたい。そう思っている審神者は、最低限しか刀剣男士と接していなかった。
先の放送も、そのためだ。直接会って命令なんてしたくない、けれど主として最低限の指示は出さなければならない。それなら、放送をすればいい。
小学生時代に放送委員会に入っていた審神者は、それくらいなら出来るわ、と思い立ったが吉日精神で、あっという間に本丸に放送機材を設置した。いや、設置をしたのは近侍の長谷部で、審神者は機材を注文しただけなのだが。

離れから出ずとも指示は出せる。離れから出ずとも、此処にはあらゆる設備が整っているから生活できる。なら出なくていいや。会話すんのもめんどいし。手入れの時はしゃーないけど。
そんな感じで、審神者は離れに引きこもっていた。

「第一部隊は割とレベル上がったねえ。六十越えたら一旦組み替えようか。そろそろ長谷部たちをカンストさせてもいい頃合いだろうし」

寝間着の浴衣を脱いで動きやすいジャージに着替えつつ、審神者は端末に表示された刀剣男士の情報を眺める。九十台、七十台、五十台、とこの本丸の刀剣男士は、バランス良く育成されていた。
審神者の着替えに何も思わない長谷部も、端末へと目を向ける。

「俺を出陣部隊に回したところで、朝は必ず起こしに参りますよ」
「出陣の時くらいサボってもよかろうに……」
「万一出向けない時は、燭台切か歌仙に任せます」
「うわ、ずっと長谷部が起こしにきてくれ」

げんなりとした表情でジャージのチャックを上げ、軽く髪を一纏めにする。そうして再び机の前に胡座をかいた審神者は、マイク等を端に寄せて端末をいじり始めた。
昨晩仕上げた報告書にミスが無いか、今週末提出の書類はどこまで進んだかを再確認する後ろで、長谷部は布団を畳んでいる。

「朝食はどうされますか?」
「いらない。お昼は早めに食べる」
「では、そのように伝えておきます」
「うん。もう戻っていいよ」

一瞬、長谷部が顔を顰める。端末を見ている審神者は気が付かない。

「……昼食は、何がよろしいですか」
「さっぱりしたやつ」
「わかりました」

ぐるりと審神者の部屋に不備がないかをチェックしてから、長谷部は一礼をして退室する。ひらひらと後ろ手に手を振りはするが、審神者はやはり端末から目を離さなかった。



十時頃。燦々と降り注ぐ陽光は衰えることなく、時刻が進むにつれ輝きを増している。
窓越しにそれを眺めながら、審神者は長谷部の言葉を思い出していた。散歩をする気にはならないが、縁側で昼寝くらいはしてもいいかもしれない。ていうか昼寝したい。眠い。
確認した書類に不備は無く、提出も終えた。今週末提出の書類には今日の出陣・遠征結果も記さねばならないので、もう進める箇所は無い。今は書面での報告書に捺印をしているところで、それも単純作業だった。眠くなるのも当然である。
だいたい、刀剣男士の朝は早すぎる。社会人を経験したことのない審神者には、七時起きですら苦痛だった。大学生時代というものは、本人にやる気が無い限り人をダメにする期間だと思う。

片膝を立てて肘をついて、と散々な姿勢の審神者は溜息を吐く。右手は機械的に判子を押していき、左手は紙を捲っていく。
ふと口寂しさを覚え、コーヒーでも淹れるかと思ったが、動くのが面倒臭い。もにょもにょと口を動かし、結局審神者が手に取ったのは煙草だった。マッチで火をつけ、溜息混じりの紫煙を吐き出す。

とん、とん、と微かな足音が聞こえてきたのは、灰を落として三度目の頃だった。
どうせ長谷部だろうと考え、審神者はそのままの姿勢で捺印作業を続ける。昼食はさっぱりしたものを、と言ったが、何になっただろうか。時期的にそうめんか、それとも作ったのが燭台切であったならおしゃれに冷製パスタか。それとも、

「失礼するよ」

長谷部のものではない声が、審神者の思考を急停止させた。慌てて姿勢や煙草をどうにかしようとするが、部屋の主の許可無く扉を開け放たれれば、もうどうしようもない。
審神者は立ち上がりかけの姿勢で、灰皿の中で潰れた煙草が微かな煙をあげていて、散らばった紙束の上から判子がころんと畳みに落ちる。あからさますぎるほどに『やべえ』の顔をしていた審神者を見て、来訪者――歌仙兼定は、冷たい眼差しで溜息を吐いた。

「昼食を持ってきてあげたのだけど、間が悪かったかな?」
「いえ……だいじょうぶです……すみません……」

確かに歌仙は膳を持っている。本当に、ただ昼食を持ってきてくれただけなのだろう。今日はたまたま、機嫌でも良かったのか。他の者の手があいていなかったのか。
そっと姿勢を正しながら、審神者は脳内で長谷部や燭台切に恨み言をぶつける。歌仙が来るとわかっていればジャージなんて着なかったし、髪もどうにかしてたし、なんなら化粧もしたし、もっとちゃんと良い姿勢で作業をしたし、煙草も吸わなかった。
こう挙げ連ねると恋する乙女のようですらあるが、そんな甘ったるいものじゃない。

歌仙兼定は、審神者の初期刀だ。本来、審神者と初期刀は最も信頼し合っているものだろうと、審神者は思う。誰しもが初めて手にし、顕現させた初期刀は大切にするだろうし、必然的にどの刀剣よりも付き合いが長くなるのだから。
しかし審神者と歌仙の間には、親愛の情は勿論、信頼関係なんてほとんどなかった。審神者は歌仙が苦手だし、歌仙も審神者を好いてはいない。

「相も変わらず、雅さの欠片も無いね」
「……すみません」

歌仙兼定は雅を愛する文系名刀、らしい。
養成所に通いはしたがろくすっぽ講義も受けず、なんとかぎりぎり、素質と一夜漬けの試験だけで卒業出来たような審神者は、初期刀五振りの特徴をほとんど知らないままに歌仙を選んだ。選んだ理由も『どーれーにーしーよーうーかーな、』である。そのせいで歌仙を顕現させたその日から、審神者は無神論者になった。神を目の当たりにしたにも関わらず、だ。この世に神なんていない。

顕現させたその日、名を差し出した歌仙を前にして「うわすげえ、まじで出てきた」と口を滑らせてしまったのが、審神者人生における最大のミスだと本人は思っている。
その日はさすがに髪も整えていたし化粧もしていたが、格好は動きやすさ重視でジャージを選んでいたし、一言目がそれだ。歌仙から審神者への印象が、良くあるはずもなかった。

「昼食は此処に置いておくよ。食べ終えたらいつも通り、外に出しておいてくれればいい」
「はい、すみません、ありがとうございます」
「……」

始終、審神者は怯えきった視線を歌仙に向ける。いつ怒られるか、どんな嫌味を言われるかわからないからだ。
言葉は丁寧に、姿勢は正しく、所作はなるべく綺麗に。そう心がけはするが、もう格好からしてアウトである。今更感はんぱない。

歌仙はそんな審神者に再び溜息を吐いて、失礼したねと部屋を後にした。
張り詰めた空気は、相手がいなくなっても尚おさまることがない。うわ、冷や汗かいてら、と胸の内で審神者は苦笑して、暫くその場から動かなかった。
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