無意識の邪気


ハマの所有物な女に手ぇ出して人生終わる独歩を初夢で見てしまった記念。匂わせる程度のえろアリ。


彼女を初めて見たのは、一度目のテリトリーバトルでのことだった。ヨコハマディビジョンの三人と共に、当然のように並んで歩く一人の女。血のような髪を風に遊ばせながら、同じく血のように真っ赤なルージュを三日月に歪めて笑う。タイトスカートからすらりと伸びる足は、心許ないピンヒールで支えられていた。
ヨコハマの三人と並び立つに足る風格を備えながらも、子供のように無邪気な笑みがどうにもちぐはぐな女。ヨコハマディビジョンが負けた時、会場の最前列でキュッと唇を噛みながら俺たちを睨めつけていたのが、何日経っても忘れられなかった。

その名前も知らないヨコハマの女と、シンジュクディビジョン内で不意に、出会した。

女はやや乱れた髪を片手で無理矢理まとめながら、ふらふらと歩いていた。襟元の開いたニットワンピースから、左肩がするりと覗いている。足元はやはり以前と変わらぬ、しかしデザインの違うピンヒールで、足元が覚束ないものだから尚更に心許なさを感じさせる。
思わず歩みを止めて、何故か呼吸もほとんど止めてしまいながら彼女を注視していた俺に、ふと、女の顔が向けられた。
一瞬の躊躇。しかしすぐに、安堵したように垂れ下がる眉尻。ほう、と吐息を漏らした女の足が少しだけ速まって、俺の正面に辿り着くが否や、そのまま全身の力を抜いた。
面食らいながらも倒れようとする女の体をなんとか抱き留め、声を裏返しながら「だっ大丈、夫、ですか!?」とどもりきった言葉を吐き出す。
女の全身は熱く、小刻みに震えていた。よくよく見れば額や首筋がじわりとした汗に濡れており、触れたことでわかってしまったが、心臓も早鐘を打ちまくっている。

「かん、のんざか……ど、ぽ、」
「はっ……、はい……ッ?」

途切れ途切れに名を呼ばれ、勝手に竦む身を悟られないように気張るが、女は気付くどころか気にしてすらもいないだろう。
胸元から俺を見上げる瞳は、ひどく遺憾そうなものに見えた。けれど同時に、妙な安堵もやはり抱いていた。

「ぉ、ねがぃ……――たすけて、?」

その瞳がすっと歪み、潤む。
上気した頬に、滲んでは伝っていく汗、潤んだ瞳。そうして熱っぽい声で「どっぽ、」と名前を繰り返されてしまうと、あらぬ想像をして心臓がどくりと鳴ってしまう。無意識に喉も、ごくんと音を立てて生唾を飲み込んでいた。
ふらついたその体のどこにそんな力があったのか、それとも俺にもう、抵抗の意思がなかったのか、俺は女に腕を引かれて行く。

向かった先は想像通りのホテル街で、最後にはしなだれかかる勢いだった女に流されるまま、一室に入る。
そこでやることなんて、一つだけだ。シャワーを浴びる間も惜しいとばかりに俺を押し倒してきた女を受け入れ、ほんのちょっとの時間が経てば逆に俺が彼女を押し倒していて、俺は、その女が気を失うまで腰を振った。

後に目を覚ました女が言うには、違法マイク同士の争いに運悪く鉢合わせてしまったらしい。余波を受けて催淫と言って相違ない状態に陥り、なんとかその場から逃げ切ったものの、携帯端末を落としてしまったことで連絡も取れず、困り果てていたそうだ。
そこに出会したのが、俺だった。

「とにかく消化しなきゃ、どうしようもないと思ってたから。すっきりした、ありがとうございます。今度なにか、お礼しますね」
「いや、……そんな」

むしろさっきまでの状況がご褒美だったというか、あんなことをしておいてお礼までもらってしまうと、帳尻が合わないというか。
口ごもる俺に、女はやっぱり子供みたいな顔でけらけらと笑った。黙っていると底冷えするような顔立ちをしているけれど、笑うと随分印象が幼くなる。
かわいい、と一度思ってしまえばどくどく鳴り始める心臓がおさまらなくて、耐えきれず俯いた。

「本当は、麻天狼の男に頼るなんて、嫌だったけど。左馬刻が恨んでないから、私も恨まないし、助けてもらったなら礼を尽くさなきゃだから。何にするかは決まってないけど、受け取っ」

突如響き渡った雷鳴のような轟音に、彼女の声が途切れる。
轟音の正体は部屋の扉が蹴り破られた音で、油のささってない人形のようにゆっくり、ゆっくり顔を向ければ、般若のようであるのに満面の笑みを携えた入間さんが、その長い足でボロボロのドアを踏み潰していた。
背後からぞろぞろと四人、チンピラらしき風貌の男たちも入ってくる。

「探しましたよ。まさかこんなところにいるとは、全くもって思い至りませんでしたが」
「銃兎。迎えに来てくれたの?」
「ええ、私が、わざわざ、あなたの迎えに来てさしあげたんです。そうですねぇ、左馬刻じゃなくて良かったでしょう、とでも言っておきましょうか。さ、帰りますよ」
「はあい。ありがとう、銃兎。観音坂サンもありがとうございました。じゃあまた」

にこっと無邪気な笑みで会釈をして、最後まで名を明かさなかった女がチンピラたちと一緒に部屋を後にする。
残されたのは俺と入間さんの二人のみで、ツカツカとこちらに向かってきた入間さんはベッドを一瞬だけ一瞥すると、煙草に火をつけながらソファに腰を下ろした。
紫煙越しの顔は、イチミリだって笑っちゃいない。
女は何一つ理解していないような顔でのほほんと去っていってしまったけれど、彼女の言った「じゃあまた」なんてものは、一生来ないと冷静に理解した。
冷や汗が背筋を伝い、全身の体温が急激に下がっていく。

「まあ、まずは礼を言っておきましょう。大体のあらましは彼女の居場所を探る過程で解っています、本音が何であれ、あなたは彼女を助けただけ。私たちもすぐに居場所を突き止めることが出来なかったのでね、助かりましたよ。知っている人間であれば処理もしやすい。彼女を助けてくださり、ありがとうございました、観音坂さん」

半ば無意識で床に正座をしてしまいつつ、どうにかこうにか「い、いえ……」とだけ振り絞る。
慇懃無礼とはこの人のためにある言葉ではないのかと思う程、一欠片の感情もこもっていない言葉だった。
室内に満ちた生々しい空気に、少しずつ紫煙が混ざっていく。顔を上げることも出来ず、そのにおいだけを感じていれば、不意に入間さんがくつくつと嗤った。

「本当に、左馬刻じゃなくて良かったでしょう。彼であれば今頃、あなたはヒプノシスマイクを起動する間もなく、顔の判別が出来ない状態になってましたよ。理鶯でも危ういところですね、理鶯は彼女がヨコハマディビジョン外に出ることすら不服そうにしてますから」
「……は、はぁ……」
「かといって、私であれば安心、というわけでもありませんが」

入間さんの声から、一切合切の感情と温度が消える。いっそ怒り狂っている方がマシだろうと思えるほどに無の声音は、俺の体を跳ねさせた。
同時に見上げてしまった先で、入間さんは煙草の煙を静かに吐き出す。

「沙汰は追ってお伝えしますので、本日はそのままお帰りください。……ああ、精々心残りのないよう、これからの日々をお過ごしくださいね?」

灰皿に煙草を押し付けながらの、にっこりと貼り付けた、嫌味なほどに綺麗な笑顔だった。

「…………は、……はは……」

脳裏に走馬燈が浮かぶ。小学生時代から今までがめまぐるしく巡っていき、最後に浮かんだのは女の子供のように笑う、無邪気な笑顔で。
今思えばあれは、俺がこの先どうなるかを知っているがゆえの、無意識的な邪気に満ちた笑顔だったのかもしれない、と。思い至ってしまえば、もうどこからが女の思惑通りで、俺の人生はこれからどうなってしまうのか、わからない。
わからなくて、もう、笑うしかなかった。
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