想いの晦渋


『え、俺、正月……ていうか大晦日から、休み……とれたんだけど……』

電話口から聞こえてきた言葉を、頭の中で三回繰り返して、小骨どころか背骨レベルの何かを引っかけつつもようやく飲み込む。
そうして私は、あちゃー……と、頭を抱えた。

彼氏の独歩さんは社畜だ。対する私も飲食店のバイトであり、社員ではなくともまあまあそこそこの社畜と言える。バイトであるがゆえに残業はほぼ無いのが救いだが、世間一般に休日とされる日こそ私たちの繁忙期であり、年末年始なんて稼ぎどころ以外の何でもない。
それに年末年始は時給が増える。どうせ独歩さんのことだから――って言ったら悪いけど――彼の年末年始も仕事だろうと、「はいはい私年末年始フル出勤しま〜す!」なんて私は意気揚々とシフトを埋めていた。
大晦日はオープンから十八時まで、元日は十二時からラストまで。二日と三日は通しで入っている。大晦日以前も当然シフトを入れているので、怒濤の十連勤だ。給料日が楽しみで仕方ない。

……ではなく。
やってしまった……と頭を抱えて黙り込む私と同じく、電話の向こうにいるはずの独歩さんも無言となっている。
思い出されるのは去年の年末年始。
「あれ、私休みとっちゃったんですけど……独歩さんはお仕事なんですね」「すまん……本来は休みのはずなのに、どうしても、……クソが……、どうしても仕事が終わらなくて……」「大変なんですね……、ええと、そのう、応援しか出来ないですけど、応援してます」「本当にごめん、来年は絶対、絶対二人で初詣行こう……」「はい、来年を楽しみにしてます」――なんて、割といつもの会話。
そう、いつものことだったのだ。デートや行事の予定が、独歩さんの仕事で無かったことになっちゃうのは。だからそれに慣れてしまっていた私は、まあ今回も多分だめでしょ! よっしシフトいれよ! となっちゃったわけで。

その結果が、これなわけで。

「と、年越し、は一緒に出来ます、よ? ええと、三十一日が夕方までで、一日は昼からなので、初詣も行けますし、」
『……』

慌てて喋るも、独歩さんは無言だ。これはもしや、怒って……らっしゃる……?
どうしよう、と内心ちょっぴり焦り始めた頃、ようやく呼気だけが聞こえてきた。ため息というよりは、息継ぎみたいな、小さな音だ。直後に響いたのは『今からそっち行く』の言葉。
私の時間が止まる。

「……エッ今から?」

現在時刻、夜の一時なんですが。
私と独歩さんの家は自転車圏内だけど、独歩さん自転車持ってなかったよね? 歩いたら三十分くらい余裕でかかるはずだ。それを? 今から?
電話の向こうからぱたぱたと用意してるっぽい音が聞こえてきて、「ちょっ、あの、独歩さん? 本気で言ってます?」と早口に問いかける。

『明日、夕方からだろ。俺も半休だから、泊まる。急ですまん、用意しといて』
「そういうことではなく……!」
『タクシー呼ぶから一旦切るぞ』
「ちょっ待っ、……ほんとに切れた……」

耳元からスマホを離し、唖然とする。ぽんっ、と鳴ったスマホに『なんかいるものあるか』と独歩さんからの通知が入った。
小腹が空いてるので軽くつまめるデザートが欲しいところだけど、そうではなく、何で急にうちに来ることにしたのかを……ね? お話いただきたく……。これ正座で待っておいた方がいいやつかもしれない……。


しばらくして、本当に独歩さんは我が家に来た。コンビニ袋とリュックサック、仕事用カバンの三つを提げて。
「お邪魔します」と挨拶だけはやたら丁寧な独歩さんを、ちょっとだけおどおどしながら迎え入れる。独歩さんとの付き合いはそれなりに長いけれど、今でもこの人の表情はいまいち読めない。
怒ってる……? 怒ってらっしゃる……? とちらちら見上げるが、私には判別つかなかった。

「ええと、とりあえず、お茶とか……いれますか……?」
「いい。それより、そこ。座って」
「……あ、はい」

すっと独歩さんの正面にある座椅子を指さされ、あっこれは怒ってらっしゃる……! と説教の気配を察知する。いや説教されるのはおかしいんだけど、そんなこと言えない空気だ。
大人しく座椅子に正座して、独歩さんの顔を窺う。ハの字眉の下で、翡翠色の瞳がきゅっと細められた。わかりづらいけど、どうやら睨んでいるらしい。とりあえず怒った顔を作りました感満載の表情なもんだから、私はどんな顔をすればいいのかいまいちわからない。

「いっつも休み取れないし、取れても急に出勤になってばっかの俺も悪いけど、今年は絶対休むって言っただろ……。何でなまえが仕事入れてんだ」
「いやあ……その……すみません。その『絶対』を覆されることが多かったので、つい、今年もそうだろうなと……」
「……」
「すみません去年とれなかった時給アップに惹かれました。去年より今年の方がパーセンテージ高いんですよお!」
「……ハァ……」

ため息交じりに「シフト見せて」と告げられたので、スマホのシフト管理アプリを即行で起動し、差し出す。じっと画面を見つめる独歩さんはもう一度深いため息を吐いて、スマホを返しがてら私の手を握ってきた。

「十連勤、って、詰め込みすぎだろ。今日、急に来た俺が言えることじゃないけど……もっと、休んで、体を大事にしてくれ」
「は、はあ」
「正月も……無理、しなくていい。人多いだろうし……初詣は、一日じゃなくても行けるだろ。次の休みに行こう。俺がいると休めない、なら、大晦日もなまえの家行かないから」

自分から言ってくる割に、引き止めてくれとばかりに握る手の力が増す。顔を見やれば、怒ってます風だったはずの表情は、しゅんと力を失っていた。垂れた犬耳の幻覚が見える。
ただまあ、正直に言うと来て欲しくない。シフト入れちゃった私が悪いのは重々承知の上で、年末年始の少ないフリータイムくらい一人で静かに過ごしたい気持ちが大いにある。年末特番からの年明け特番からの正月特番を、コンビニの年越し蕎麦食べながら一人で眺めたい。

私の黙考を察されたらしく、ぐいと手を引かれる。特に抵抗もせず独歩さんの胸に顔をぶつければ、そのままひょいと脚の上に抱えられた。
今関係ないけど、こういう時は独歩さんってちゃんと男なんだなあと思う。

「そこは悩まずに、ちょっとでも一緒にいたいとか言うとこだろ……」
「すみません、姫始めフラグは折りたいなと思いまして」
「今思いついただろそれ。マジで姫始めしに行くぞ」
「うわあ、初詣の方がマシですね」
「……たまにお前が本当に俺のこと好きなのか心配になる」

私の肩口に顎をのっけて、はあ、とため息を一つ。

「俺が急に仕事になったって言っても文句の一つも言わないしデートドタキャンしても了解で〜すのスタンプ送ってくるだけだし無理矢理作った休みもお前はシフト入れるしそもそもリーマンと飲食だから休みも滅多に合わないしなまえの店の店長はイケメンだしお前とめちゃくちゃ仲良いし――」

ぶつぶつ、ぶつぶつ。呪文のように息継ぎもなく詠唱されていく愚痴を聞き流しながら、独歩さんの髪の毛をいじくる。あ、枝毛見っけ。千切っちゃお。
プチン、と髪の毛がちぎれたのと同時に、独歩さんの堪忍袋の緒も切れちゃったらしい。
そこそこ乱暴に押し倒されて、それでも頭はぶつけないよう手で守ってくれるんだから、優しいんだか何なんだか。まあ背中は普通に痛いんですけども。

「俺を好きなら、ちゃんと、口にしてほしい。態度に出さないなら、せめて、言葉だけでも俺にくれ。そしたら、大晦日も正月も、ひとりっきりになったって、我慢するから……」
「いや普通に来てくれていいですよ? コンビニも飽きたんで年越し蕎麦作ってほしいです」
「……は?」

頭上でぽかんとしている独歩さんを見上げつつ、なんてことないように呟く。

「材料は買っとくんで。レシピも台所に貼っておきますね。独歩さんの珍しい手料理が待ってくれてるんなら、退勤即直帰しますよー。一緒に特番見ましょう」
「……嫌、じゃないのか。俺に、来て欲しくない、んだろ」
「独歩さんと過ごすのも楽しいですよ」

にっこり笑えば、独歩さんが体を起こす。腕を引かれて、私も起き上がった。
ごめん、と背中をさすられながら「何か温かい物飲んで、ゆっくり寝ましょう」と微笑めば、独歩さんも静かに頷いて私を解放してくれた。

柚子茶を二人で飲み、ベッドに入る。
後ろから独歩さんに抱き締められつつ寝入ろうとしたところで、んん? と呻るような声が聞こえた。

「……俺、なまえに、好きだって言ってもらえてなくないか……!?」
「すぴー」
「わかりやすい嘘寝やめろ! 起きて、言って、俺を安心させてくれ! お前本当に、わかりやすいのにわかりにくいんだよ!」

耳を塞いで、布団に潜る。
だって、ねえ。態度に出すのも口にするのも、恥ずかしいじゃないですか。私がこの距離感許してる時点で相当だってこと、そろそろ学んでほしいなあ。
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