no sleep


※独歩がdisられてる+やばい奴


「い、嫌だ、嘘だ、やめろ……やめてくれ、やだ、絶対に嫌だ……すて、捨てないでくれ、お願い、お願いだから……、嫌だ……」

都会の割にひっそり存在する、小さな公園。
その中で悲痛に泣き縋る男と、「そういうッとこがッ本っ当にうざいの!!」と激昂している女性を見かけてしまった瞬間、わたしはわたしの存在を限りなくゼロに近付ける努力をした。
わたしは空気。透明人間。ここには存在していない。うんよしいける。
いけるけど、どこにも行けない。今動いたら確実に見つかる。物音ひとつ立てず、呼吸すら控えて静止する外なかった。わたしは銅像。公園のモチーフ。

夜の帳もすっかり降りた、シンジュク・ディビジョン。ひっそりとした公園で壮絶な別れ話を繰り広げる男女は、わたしの知る人間だった。
女性の方はわたしの姉。男の方は大学時代の先輩。そりゃ空気に徹するのも当然な顔ぶれである。

「わ、悪いところあったなら、なおす、全部直す、がんばるから、おれ、嫌だ、別れるのだけは絶対嫌だ、捨てないでくれ……っ、おれ、もう、お前がいなきゃ生きてけな――」
「だからそこ! そういうとこがうざいの!! 大体直す直すつったってアンタのそのネガティブ癖が直るわけないでしょ!? 明日からドッピーカン脳天気野郎として生きてけるわけ!? 仮に生きてけたとしてももうほんとに無理。アンタの顔見るだけで胃が痛む。お守りされたいんなら他の女探して、私はもう無理」
「そんな……っ嫌だ、いや、やだ、お願いします、ごめ、ごめんなさい、おれ、ごめんなさい、無理だ、別れるなんて、お前がいないなんて、それこそ無理だ、死ぬ、そんなの、死ぬ……」
「自分の生死を他人にゆだねる男とかほんッとに無理。私のせいで死にますとか遺書でも認めるわけ? 性格クソすぎでしょ。もうほんとに胃が痛い……ほんっと無理、死ぬなら私に関係ないとこで勝手にどうぞ」

ばしん! と勢いよく縋られていた手を振り払い、姉はスタスタ公園を抜けていく。残された男は四つん這いのまま、次第に丸まって呻るように泣いていた。

やばい、ますます動けなくなった。身動ぎ一つでもしようもんなら、ホラーよろしく視線がこっちに向けられそうだ。
前世でどれだけの業を積んだら、姉と先輩の修羅場を目撃するなんて目に遭うのだろう。己の前世に想いを馳せつつ、きっとウィキに載るくらいの大事件を起こした犯人だったりしたんだろう……なら仕方ないな……今世で徳を積むしかない……と結論付けた辺りで、ふっ、と操り人形が起き上がるかのように、男が立った。

「もうだめだ……あいつがいないなら、生きていても意味がない……死のう、うん、そうしよう……。公園……公園か、ブランコで首吊れるかな……雲梯でもいけるか……ロープはないけどネクタイもベルトもある、大丈夫だろ……」

透明な銅像となりきっていたわたしも、男がふらふらとネクタイアンドベルトを外しながらブランコに向かって行く様を見てしまったら、さすがに人間に戻らざるを得なかった。

「ちょっちょッ、ちょっと待ってください観音先輩!! 自殺ダメゼッタイ!! ウェイト! ハウス!! 落ち着いて!!」
「……なまえ、戻って、きて、くれた……のか……?」
「残念妹の方でーす!!! しっかりして!! 観音先輩しっかり! お気を確かに!!」

慌てて駆け寄り、ネクタイとベルトを奪いながらぶんぶん先輩を揺さぶる。しかし虚ろな両目の先輩は完全に意識を別次元に持っていってしまっているようで、わたしを姉としか認識してくれなかった。
テンション全然違うでしょ。しっかりしてよ。姉はクールビューティーな姉御系レディだ。なりたい顔面はシブヤの飴村乱数なわたしと一緒にしないでくれ。わたしと姉に似てるとこなんて鼻筋だけでしょ。

「なまえ、ごめん、おれ、本当にごめ……っ直す、今度こそ直すから、なまえが嫌がるなら、俺は無理してでも明日からお前の望むドッピーカン脳天気野郎になる。ウェーイとか言う。だから、だから捨てないでくれ……、おれ、おれはお前と生きたいんだ、それが叶わないなら、もう、一緒に死ぬしか……」

あっやばい今わたしの死亡フラグが立った。立った! 死亡フラグが立った! シッダウンプリーズ!!
人違いで心中させられるとか無理すぎる。わたしの知らない間に観音先輩はやべー男になっていた。元からやべー男だったのか、はたまた姉との付き合いによってやべー男になってしまったのか。
お姉ちゃん、割とモテるからなあ……。昨今の男性ウケトレンドは、ほんわりふわふわ三歩後ろをしずしず歩く大人しめガールなのだが、顔面の圧倒的強さにはやはり惹かれてしまうもので。クールビューティーな姉御系レディの姉はトレンドから外れてこそいるものの、男に苦労している姿を見たことはない。
その彼氏となれば、いろいろ心労も募るだろう。先輩は自己肯定感カスだし、自己否定力はマッハだし。なのに独占欲は強いときたもんだから、そりゃまああんな修羅場になるのも頷けるってもんだ。

まあ頷けたところで、人違い心中はご遠慮願いたいんだが。

「なんなら髪も、金色とか、染めるし、なまえのためなら、何でも、するから、おねがいだ……お願いだから、捨てないでくれ、別れるのだけはやめてくれ……俺と一緒に生きるか、死ぬか、選んでくれ……」
「人違いへの要求がえげつなく重い……ッ」

しまいにはぎゅむぎゅむ抱き付かれてしまい、ヒィッ……と思ってる間にネクタイだけを奪い返されてしまった。
「な、なまえ。な……?」となにやら同意を求めるように首の角度を斜めらせながら、先輩はわたしから僅かに距離を取る。掲げられたネクタイが恐ろしい。そのネクタイで一体何をしようというのか。
ネクストヒプマイズヒント、絞殺。節子それヒントちゃう、答えや。
心の中で二人の声がこだまして、わたしの灰色の脳細胞が全速力で解決策を探し始める。

いやだ、明日は推しと推しのイベントに行くんだ。久しぶりの機会なんだ。推しBを存分に見つめ回し堪能したあと、推しAとブクロでオタ充するんだ。
こんなところで死ぬなんて、死んでも死にきれない……ッ!

「わかった、わかりました、観音先輩、いや独歩!! 独歩!! 別れない、別れないよ!! でもわたしそういえば携帯番号変わったんだよねアプリもそういや変えたんだったわだからこっちに登録し直して! 今すぐハリアッ!!」
「っえ、ほ、ほんとか……? なまえ、俺、俺と、別れないでくれ、るのか」
「うん別れない! あと職場もこっちに変わったからね! 話してなくてゴメンネ!!」
「いい、そんなの、どうでもいい、よかった、よかった……っなまえを殺すなんて、うまく出来る気もしなかったし、よかった……っありが、ありがとう、なまえ……! 俺、がんばってお前が嫌う俺のダメなとこ、全部直してくから……っ!」
「オッケーがんばろ!! あっごめん家族から電話だ! ちょっとあっちのベンチで待っててネ!!」

ぶっちゃけヤケクソでした。死にたくないだけだもの。死体も見たくないし。

先輩から姉へ連絡が絶対にいかないよう工作をし終え、先輩をベンチに追いやってから姉に鬼電をかける。
もうこうなったら全部ヤケだ。原因はあなただろう! あなたも巻き込むぞ!!
十回目の鬼電でようやく繋がった姉は、舌打ちまじりの疑問系でわたしの名を呼ぶ。お姉ちゃん!!! と小声の絶叫をすれば、機嫌悪そうな声が更に低くなった。

『なに今クソほど機嫌悪いんだけど』
「知ってる修羅場たまたま見ちゃいました! あなたの彼氏、いや元彼!! ガチで自殺しようとしてたから止めたらわたしのことお姉ちゃんと勘違いしてんだけど!? 心中しようとしてきたからとりあえずお姉ちゃんのふりしちゃった!」
『笑えばいいのかキレればいいのか』
「わたしは半分キレてるよ」
『じゃあキレとくわ。自殺だの心中だのマジうっざ、あんたも大変ね』
「いや他人事にすんの早すぎィ!」

嘆きながら横目に見やれば、安堵に満ちたほくほく笑顔の先輩がベンチからゆるやかに手を振ってくる。同時にゆらゆらと揺れる掴まれたままのネクタイに、ヒェ……と遠い目をした。
やだ〜あの人まだ殺る気満々〜。

「とにかく向こう一年は死にたくないので助けてください。来期から自ジャンルアニメ化するんだよお……死ねない……」
『もう逆に殺しちゃえば?』
「元彼に対しての辛辣さがえげつなさすぎる。殺人教唆やめてください」
『私はもう知ーらない。アンタのことだから根回しもすぐ出来るでしょ、応援はするわよ、ブクロの女』
「ハマの女変にシビアだからマジで嫌い」
『蛙の子は蛙理論じゃない? あっ他から電話入った。じゃあがんば』

ってね、まですら言い切ることなく、姉はぷつんと通話をきった。どうせ男でしょ、新しい男にいくのが早すぎるんだよ。脳内でハマの女への風評被害が広がっていくが、電話を切ったことにより先輩が駆け寄ってきてしまったので思考を中断した。
「誰と話してたんだ? お義母さんか?」「い、妹……」「ああ、あの子か。元気にしてんのかな」なんて会話をしつつ、再び遠い目。
あなたの言うあの子、目の前にいますよ。元気に心の中で嘆いています。マジで前世でどれだけの業を積んだのだわたしは……国でも滅ぼしたのかな……。

「冷えてきたし、そろそろ帰ろう、なまえ。いっつもなまえにさせてばっかりだったから、今日は俺が、晩ご飯、作る」
「あなたたち同棲してましたっけ」
「ああ、そうだな、近いうちに同棲も始めたいよな……。寝ても覚めてもなまえがそばにいる。最高か……? 家事分担を書いたホワイトボードとか、冷蔵庫に貼ってさ。ほら、俺、ポジティブに考えれてるだろ? がんばるよ、俺。ああ、楽しみだ」
「すごい……一切聞こえてない……」

そしてわたしはいったいどこに帰ればいいんだろうか。わたしの家には今頃きっと、推しAが合鍵を使って待機している。明日のために前日から泊まり込んで推しBのライブDVDやら何やらを鑑賞しまくる予定だったのだ。
しかし先輩の進む方向はわたしの家でも、姉の家の方でもない。多分これ先輩の家に行こうとしてるな。どうしようかな逆方向なんだけど。

「一年くらい同棲したら、籍を入れよう。子供も作ろう。なまえがもう二度と、俺から離れようなんて思わなくなるように。ウェディングドレス、一緒に選ぼうな。お色直しには、赤のドレスを着て欲しい。形とかはよくわからんが、赤色はなまえによく似合う。……ああ、本当に、よかった。悪夢を見た気分だ。でも夢だったんだよな、よかった。なまえはこれからもずっと、死ぬまで、俺と一緒にいてくれる。一緒の墓に入ろう。あの世でも、来世でも、ずっと二人で歩いていこう」

とりあえずアプリで推しAに『悲報:人違いヤンデレルート勃発』と送り、わたしは満天の星空を見上げた。眠らない街、シンジュク。街明かりに照らされた空に、星なんてひとつも見えやしない。それでも星空なのだ、うん、疲れた。
あの世にも来世にも逃げ道がないとしたら、もうあれだな、宇宙にいくしかないな……貯金しよ……。そしてわたしは考えることをやめた。

「晩ご飯は、お前の好きな、肉じゃが作るからな」

はたと動きを止めて、先輩を見上げる。虚ろな両目が、じっとりとわたしを見下ろしていた。ねばっこいスライムみたいな視線が、網膜に纏わり付く。
ひくりと口角を引き攣らせた時、スマホが通知を告げた。
『実は人違いじゃないルートが俺は好きだな!』――そんなコメントを横目に見やりつつ、推しAはもしやエスパーだったのでは、と内心で空笑う。


お姉ちゃん、肉じゃがっていうか、煮物系全般嫌いなんだよね。芋類嫌いだし、にんじんも嫌いだし、こんにゃくの存在意義を心の底から疑う人だし。タマネギはオニオンフライで食べたい人だし。
んでわたし、肉じゃが大好きなんだよね。大学時代に観音先輩と話したことあるんだよね。わたし肉じゃがめっちゃ好きなんですよーって。うちのお父さんが作る肉じゃが、マジで神ですから! って。

「同棲も、結婚も、楽しみだな、なまえ」

うっとりと微笑むやべー男を見上げて、わたしは「ハハ……」とひくつく口元でわらった。
相変わらず呼び名は姉のものであるし、けれど肉じゃがは完全にわたしのことだし、家に用事とかないか? って指さす方向はわたしの家だし、何でわたしの家知ってんのこいつだし、でも唐突に語られる思い出話は全部姉とのもののようだし……。はは、は……笑いが止まんねー……。

つまりどういうことなのかは一切合切理解できんけど、あれだな、この人、ガチのやべー奴だわ。
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