その幸福にさよならを その不幸が妬ましいの続き。bsrキャラの名前だけ出てきます。相変わらず無道を読んでないと意味分からないかと思いますが、やっぱり読み流してください。 虚ろな夢の中で、何度も罵られた。羨ましいと涙を流された。妬ましいと睨めつけられた。 それでもいつかのように優しく、気の抜けた笑みを浮かべて、独歩といつからか呼び捨てになった呼び名を呟かれるたび、愛しさに焦がされるようだった。 そんな、影に紛れるようにして姿を消した想い人は、シブヤの街中、独歩と目を合わせるや否や「っげぇッ」とあからさまに顔を顰めさせた。 「あの、顔は、ひどい……」 「だぁからごめんて。だってあれもう完全に一生のお別れのやつだったじゃん、金輪際会わないやつだったじゃん。それがあの人混みの中偶然ばったりって、そりゃげえって顔にもなりますよって」 「ゔぅッ……」 カフェのテーブル席にて、なまえはイスにもたれて足を組み、やれやれのポーズを片手だけでしている。 運命としか言いようのない再会の直後、なまえはかまいたちもびっくりの速度でギュンッと勢いよく踵を返した。しかし独歩に背を向け走り去ろうとするなまえは、シブヤの荒波に阻まれ、その隙を逃さない独歩に腕を掴まれてしまう。 独歩は必死だった。この機会を絶対に逃してはならないと考えていた。 「なまえちゃんっ……!」「人違いっすねこれは完全に人違い、ワタシなまえチガウヨーダレソレシラナイー」「いや、完全にどう見てもなまえちゃんだろ……っ!」「違います離してくださいマジ勘弁して今めちゃくちゃお腹すいてるんすよ今からご飯行くとこなんすよつーわけでじゃあまたどっかで!」「おごっ、奢る! 何でも奢るから!!」「ん? 今何でもっつった?」――という流れを経て、どうにか捕まえることが出来たのだ。なまえの抵抗は激しかったが、存外ちょろかった。 とはいえ連れてこられたのがランチ五千円からのバカ高いカフェだったので、独歩は目を剥いたわけだが。 「ここ来たかったんすよねー。でも自腹でランチ五千円はないなって。軽率に奢ってくれるタイプのツレいないし」 大谷さんか毛利さんがいればなあと独りごちるなまえを、独歩はそろりと見やる。 ここにいるなまえの態度は、今まで見たことのないものだった。あけすけ、と言えばいいのか。あんなに嫌がっていた割に、自然体で食後のデザートをつついている。 てことは今まで猫被られてたんだな、となんとなく思い至るが、それはどうでもよかった。やわらかく接してくれていたなまえも、あの日独歩に、本人曰く『八つ当たり』をしていたなまえも、今ここであけすけな態度となっているなまえも、独歩が想いを寄せたなまえに変わりはない。 未知に対する恐怖は、依然変わらず独歩の中に存在した。あの日、独歩に纏わり付き、なまえが沈んでいった影は何だったのか。あるいは畏怖と表現すべきかもしれない感覚は、今も独歩の臓腑をひやりとさせている。 それでも、なまえに言わねばならないことがあった。何も言えなかったあの日の独歩自身の代わりに、今の独歩だからこそ言える、言葉があった。 「ずっと……謝りたい、と、思ってたんだ」 「……ふうん」 コーヒーカップ越しに独歩を見据える視線は、一欠片の興味も抱いていない。 わかっていた。あの日、独歩に見えかけていた幸せへの道は、全て閉ざされたのだ。一度道を踏み外してしまえば、もう元の道には戻れない。独歩となまえが手を繋ぎ、並んで歩く未来へと伸びる道なんて、もうどこにも無い。 「俺は……、その、死にたい……わけ、じゃ、なくて。生きたい……のは、生きたい、んだけど、ただ、やっぱ、息苦しい……というか、眠りたいのに眠れないのもつらいし、残業ばっかで生活リズムもクソだし、だから余計に寝れないのに、ハゲには顔に覇気がないって言われて、いやこれは俺のせいじゃねえだろお前が余計な仕事持ってくっからだろ、って……いやそれはどうでもよくて、ごめん、そうじゃなくて……」 「話長いわ」 「ご、ごめん……」 デザートもコーヒーもぺろりとたいらげたなまえが、イスにもたれ直し、両腕も組む。足も組んでいるもんだから、独歩よりもはるかに背丈の低い、その上年下の女の子であるはずなのに、妙な威圧感があった。 手足を組むのって、拒絶の現われ――みたいな話があったよな……と、頭の片隅で考え、しょぼくれる。 わかっていても、一縷の希望を探してしまう己に呆れた。 「つまりなに、俺は死なないから安心してくださいよっつー話? それが何をどうしたら謝りたいに繋がるの」 「それは、なまえちゃん、を、悲しませちゃっ……た、から、」 「……かなしませる?」 怪訝そうに眉根を寄せられる。への字に曲がった口元をぼんやり見つめ、独歩は首を縦に振った。 「あの時のなまえちゃん、泣いてた……だろ。だから、あ、謝らなきゃ、って、ずっと……。ほ……本当に、この度は申し訳ございませんでした……」 「いきなり社会人レベル上げてくんなよ」 独歩の謝罪に吐き捨てるようにツッコみ、けれどなまえは直後、くすくすと肩を震わせて笑った。「あほらし」と呟いたかと思えば、唐突に店員を呼び、コーヒーのおかわりを伝える。 独歩へと向き直った表情は、どことなく慈しみを感じさせるものだった。幼い子供に向けるようなそれで、ふ、と微かに口元を綻ばせる。 「あんなの、気にしなくていいんすよ、あなたは。あれ完全に八つ当たりだったし、ていうかあたしがだだこねてただけだし。あなたが謝る必要はない。……でも、その謝罪は受け取ります。謝ってくれてありがとう。ほんと、むしろ独歩怒っていいくらいなのに、そんなんずっと気にしてたとか。しんどそうな生き方してんね」 「まあ復讐一色よかよっぽど健全だけど」と付け加えるなまえは、機嫌がよさそうにも、悪そうにも見えて、なんとも言えなかった。 貼り付けられた表情は穏やかなものだが、そこから本心を察することが出来ない。 影のことといい、底冷えのするような気配といい、死を錯覚させるかのような瞳といい、やはり彼女は別世界の人間なんだろう。住む世界が違う、というのを、否応なしに実感させられる。 元より独歩となまえの道など、重なってなんかいなかったのかもしれない。きっと、隣り合ってすらいなかった。 「その、訊いて……いい、ですか」 二杯目のコーヒーをふうふうと冷ましているなまえに、おずおずと声をかける。 数秒上目に睨めつけられ、また間違えたのかと背筋を冷や汗が伝ったが、なまえは何も言わず目を伏せた。しばらくしてコーヒーに口を付け、あち、とカップをソーサーに戻す。 またイスにふんぞり返り、ん、と顎で続きを促してきた。出会ってからのなまえと、目の前のなまえとのギャップにくらくらとしながらも、独歩は問いを紡ぐ。 「なまえちゃんには、好きな、ひとが……やっぱり、いる、のか……?」 その問いが予想外のものだったんだろう。なまえのぱっちりとした両目が、ぱちくりとまばたきをする。 問いを飲み込むのに数秒かけ、更に答えを探すのに数分をかけて、なまえは「あぁ〜……いやあ……うぅ〜ん……」としばらく唸り続けた。かと思えばハンッと鼻を鳴らし、重苦しいため息を吐き出して、机に肘をつき、組んだ両手に額を載せて、ははっ……と嘲笑を漏らす。絵に描いたような百面相だった。 予想外なのは独歩も同じで、唖然としたまま百面相のなまえを見つめていた。 「正直、もうわかんないんだよ。あたしはあの人を好きだったのか。それとも他の、……うんいやあいつはねーな、あいつだけは絶対ねえわ――とにかく他の誰かが好きだったのか、そういうの全部、もう、ぐちゃぐちゃになっちゃったから」 いわゆるゲンドウポーズのまま、かろうじて独歩にも届く声量でなまえが答える。 ふと、その視線が独歩へと向けられた。けれどすぐに視線は独歩を通り過ぎ、宙へと投げられる。 「――絶対に、死なせたくない人がいたの。……あれ? 生きてほしかったんだっけ。まあ意味はおんなじか。もうそっからもうわかんなくて、それでもただ、あの人が幸せになれますようにって、死にませんようにって……願い続けて、ずっと、何回も繰り返して……あたしは結局、自分の幸せだけしか、願えてなくて……。……」 視線が独歩へと戻り、曖昧な笑みを向けられた。 「いや、これこそどうでもいいか。だからまあ、答えはわかんない、ですわ」 「……大事な人が、いる、んだな」 「うん……まあ、そう。そもそも、また会えるかも……いつ会えるのかも、わかんないし……。あたしの名前全ッ然呼ばないし、その人あたしの友だちにマジ惚れしてるしで散々なんだけどね。……改めて言うとマジで散々だな……」 ゆるやかにイスへともたれたなまえが、へらりとした笑みで「だからさ、独歩」と小さく名前を呼ぶ。 とくりと心臓が跳ねて、同時に、ずきりと痛んだ。 「こんなぐっちゃぐちゃに壊れた人間のことずっと気にすんの、やめた方がいいよ。謝罪は受け取った。あたしも謝った。これでもうおしまい。ここの奢りは……まあ、お話代ってことでよろしく」 「なまえちゃん……」 すっかり冷めたコーヒーを飲みきり、なまえは鞄を手に取り立ち上がる。 引き止めようと動いた手を、独歩は無理矢理静止させた。中途半端なところに浮かんだ手が、空気だけを掴む。なまえには触れられない。届かない。そもそも同じ、世界に居ない。 「そういや、いっこだけ。ほんとは、ちゃん付けで呼ばれんの嫌いなんだよね。……でも、独歩にそう呼ばれるのは、悪くなかった。 ――さようなら、独歩。もう、あたしを見つけないでね」 なまえは最後もやっぱり、へらりと気の抜けた笑みを貼り付けて、今度こそ独歩に背を向けた。 奥歯を食い縛り、耐える。追いかけて何になる。その手は掴めない。隣を歩くことも出来ない。道が交わることもない。 なまえの言う通り、独歩はもうなまえを見つけない方がいいんだろう。畏怖と言うべき感情は、変わらず独歩の臓腑を冷やしたままだ。なまえは、独歩の知る常識の外で生きている。近寄ったところで、どちらも幸せにはなり得ない。 けれど、独歩は立ち上がってしまった。今度は腰も抜けていないし、膝も笑ってはいない。 レジカウンターに「おつりいらないです!」と叫びながら伝票と一万円札を叩きつけ、駆け足でカフェの外に出る。 サイドに一つまとめでくくられたなまえのふわふわした髪が、人混みの中に紛れていくのが見えた。全速力で駆け、人混みを割き、喉を震わせる。 「――ッなまえちゃん!!」 ようやく追いついた手を握りしめれば、あからさまに不機嫌な顔で振り向かれた。「いやだから今生の別れのやつだったじゃんっての」とぶつくさ文句を言いながら、肩を竦める。 久しぶりの全力疾走だったせいで、独歩の呼吸はなかなか整わなかった。時折咽せつつ、肩で息をしながら、もう一度なまえの名前を、大事な宝物のように紡ぐ。 「お、れ……っ言って、なか、ったこと、ッゲホ、ッハァ、あって……っ」 「……別に聞きたくもないんすけど」 「言いたい、から、っはあ、……はー……聞いて……」 「わがままの塊かよ」 道行く人々が、立ち止まる二人を慣れたように避けていく。 なまえの掌をしっかと握りしめたまま、独歩はどうにか折っていた体を持ち上げた。自分よりも小さいなまえを見つめ、深呼吸を一度行ってから、祈るようになまえの掌を両手で包む。 「なまえちゃんが、好きだ。ずっと……初めて会った時から、今までも、これからも、絶対に変わらない」 絶対に、と、やはり祈りを込めるように。 独歩はなまえの返答を想像出来なかった。というよりかは、むしろ、今はそこまで頭が働いていない。 やっと、言えた。その一心だった。 いつの間にやら瞑ってしまっていた目を開けば、どうにも悔しそうに顰めさせた顔を真っ赤に染めるなまえが映る。 その反応は、あまりにも、予想外で。独歩の時が止まる。ここが人通りの多い道端でなければ、確実に衝動だけで抱き締めてしまっていただろう。恐怖や緊張以外の感情が、心臓を忙しなく高鳴らせる。 「……そーいうドストレートなの、苦手なんだって……、あーもー……」 なまえが独歩から顔を背けたと思えば、胸元をどんっと強めに押された。たたらを踏み、なまえから手を離してしまう。 その隙を当然逃さず、なまえは独歩の傍らをすり抜けていった。ぽつりと一言、独歩の告白への返答を、耳元で掠めるように囁いて。 今度こそ、今度こそだ。これが絶対に、なまえと独歩との永遠の別れになる。もう独歩が、なまえの姿を見かけることすらないだろう。名前を聞くこともない。そんな確信があった。 それでも、不思議と悲しくはない。ちくりとした切なさは胸を刺すけれど、それだけだ。 そもそもが出会うはずもなかった。運命の悪戯、というには少し気障すぎる気もするが、なまえとの出会いはその類だ。 抱いた想いは消えなくても、なまえのこと自体はいずれ忘れてしまうだろう。そんな予感が、独歩にはある。だからこその、胸の痛み。 忘れたくは、ないな、と思った。 幸せそうに甘い物を食べている姿も。俺の名を呼んでくれた声も。あの日の夜に見た、恨めしそうな泣き顔も。最後の言葉も。すべて。 だけど、きっと、忘れてしまうんだろう。独歩となまえが並び立つ道なんて、無いのだから。 ――あたしも、嫌いじゃなかったよ―― 頭の中で、なまえの声がリフレインする。今夜の夢は、穏やかなものが見られそうな気がした。 |