その不幸が妬ましい


※bsr世界で約半年を何十回もループした後ヒプ世界にトリップした無道主1が、独歩に八つ当たりする話。bsrキャラは出ないけど名前だけ出ます。多分無道読まないとわからないと思いますが読み流してください。独歩がマジで可哀相なだけの話です。



独歩が初めて彼女を見かけたのは、とある定食屋だった。まず目に付いたのは独歩よりも背の高い穏やかそうな女性で、その隣に、彼女はいた。
定食屋で店員として働いているらしい彼女は、笑顔こそきれいに貼り付けられているものの、どこか影を背負っているように見えて、思わず凝視してしまう。独歩の入店に気が付いた他の店員に席まで案内される間も、何故だかちらちらと彼女の姿を追ってしまった。
焼き魚定食を注文し、独歩はスマホに目を落とす。彼女のことが気にはなるものの、あまり不躾な視線を送り続けると不審者に思われかねない。
出来上がった定食を配膳してくれたのは、その彼女だった。この店は名札に下の名前のみを記載するシステムのようで、胸元に提げられている名札から、彼女の名がなまえと知る。まるでストーカーのような態度だと思い至り、慌てて視線を逸らせば、なまえの猫のような瞳と目が合った。

「――っ……、」

勢いよく目を逸らし、全身に鳥肌を立たせながら、絶句する。
「ごゆっくりどうぞ」と告げられた定型文は怪訝そうな色を含ませてはいたが、けれど甘やかな蜜のように独歩の鼓膜から脳髄まで染み入った。

電流が走る、という表現ですら生ぬるい。なまえと目が合った瞬間、独歩は己の死を錯覚した。これを一目惚れと言うには、あまりにも深く、暗い。焦燥感のようななにかに駆られる思いで、独歩は踵を返すなまえの背を見上げる。
振り向いた、なまえが、苦笑気味に会釈をした。


それからほとんど毎日、独歩は件の定食屋に足を運んだ。少ない時でも週に四度は向かい、一日中寝ていたい休日ですら顔を出した。
それだけの頻度で来店していれば、さすがに顔を覚えられる。最初の印象に反して思いの外やわらかなタイプだったなまえにも、「ほんと焼き魚定食すきっすね」と気安く話しかけられるようになった。
数ヶ月も経てば第一印象などとっくに忘れ、独歩にとってそれは、ただの一目惚れからの片想いでしかなくなる。下手をすれば十は年下だろう女子に想いを寄せるのは、独歩にとってはどうにも心苦しいものだったが、自覚してしまえばもうその想いを捨てることなど出来なかった。

転機が訪れたのは、ある小春日和のことだ。
その日の独歩はどうしても定食屋に向かう時間が取れず、外回りの隙間時間に公園でゼリー飲料を流し込んでいた。あと十分もすれば次の取引先に赴かなければならない。肩を落とし、ずこ、と音を立ててゼリー飲料を飲み終える。
何をするでもなくぼんやりと公園を眺めていた時、「あ、」と聞き覚えのある声が左の鼓膜を揺らした。
跳ねるように向けた視線の先、いつもはサイドでくくっている髪をおろした、私服姿のなまえが立っている。ふわりと揺れる白のスカートの裾から、膝頭がうっすら透けて見えた。

「どうも。こんなとこで会うなんて奇遇すね」
「あっ……こ、こんにち、は……」

慌てて頭を下げると、ほんの少しの笑う気配。そして思いも寄らぬ行動に出たなまえは、なんと、独歩の隣にすとんと腰掛けた。人一人分開いた距離は、今までで最も近いもので、独歩の左半身が緊張に染まる。
太股の上に置いた両拳を握りしめていれば「昼休憩とかすか」と、さして興味なさそうに問いかけられた。

「はっハいっ」
「声裏返ってる。……あたしそんな怖いっすかね。初めてうちに来た時もびくびくしてませんでした?」
「いっいいや、そんッ、そんなことはっ……すっすみま、すみません」

独歩の内心は絶望にうちひしがれていた。客と店員としての関係ではなく、普通に話せるせっかくの機会であるはずなのに、どもるばかりで舌もろくに回らない。
心臓がばくばくとうるさく、いっそ止まってほしいくらいだった。こんなにも身近に聞こえるなまえの声が、心音のせいで遠い。とっくに夏も過ぎ去ったというのに汗が滲みはじめて、ついでに涙も滲みそうだ。
ただでさえ良い印象など持たれているはずもないだろうに、このままでは余計に悪印象を重ねてしまう。
冷や汗が横っ面を伝い、ぽたりと手の甲に落ちた時。「そういえば」となまえが俯く独歩の顔を覗き込んだ。

「常連さんの名前は何なんです?」
「ヒッ……ぇ、あッ……」

弾かれるように顔を上げ、すぐさま我に返り慌ただしく名刺ケースの在処を探る。さぞ滑稽な状態だろうと内心自嘲しながらもようやく見つけ、己の名刺を取りだし、取引先を相手にするより何百倍も丁寧に、最敬礼で差し出した。
「はぁ……」と呆然としているかのような吐息ののち、片手でひょいと受け取られる。おそるおそる顔を上げれば、何故かなまえはやっぱりとでも言いたげな顔をしていた。そして見逃してしまいそうな速度で一瞬だけ顰め面を作ったかと思えばすぐさま消し去り、へらと笑う。

「独歩さん、すね。あたしはなまえです。よろしくどーぞ」
「ヒぅッ……。あ、ぇ、う……、なまえ……ちゃ、さん……」
「変な呼び方。まあちゃんでもさんでも何でもいいすよ、年下だし。……一応」

ぽそりと付け加えられた言葉に若干引っかかりはしたが、独歩はそれどころではなかった。
客と店員でしかなかった、独歩となまえが。公園で二人ベンチに腰掛け、名を呼び合う。これを進展と言わずして何と言う。今までの不幸をまるっと全て、きらきらしたパステルカラーで塗り潰されていくような心地がした。

――しかし、そんな幸福は続かない。


独歩となまえとの関係は、ゆっくりとだが進んではいた。秋が終わる頃には連絡先を交換し、冬の中頃には食事にも出かけた。
その頃にはなまえが未成年ではないことを知れていたし、甘い物が好きで、美味しいものを食べた時には本当に幸せそうに……けれどどこか寂しそうに笑うところだとか、意外にもと言っては悪いが、茶道に精通していることだとか、そんなことも知ることが出来ていた。
二人で入った飲食店で猿回しのニュースが流れていた時、親の敵でも見るかのようになまえが顔を顰めたのには、独歩も随分と驚いたが。聞けば「猿と竜嫌いなんすよ」と吐き捨てられ、猿はまあまだわかるが、りゅ、竜……? と首を傾げたりもして。

こうやって穏やかに距離を縮めていけば、いつか、手を繋げる日が来るかもしれない。独歩はなまえに嫌われてはいないだろうとある種の確信は持っていたし、なまえも独歩の隣を歩くことに慣れているような気がした。何故かいつも半歩後ろを歩いていたが、それでも独歩にその距離は心地良かった。いずれ縮むだろうと思っていた、その距離が。

全ては錯覚に過ぎなかったのだと、その日、独歩は知る。

目を覚される日、独歩はこれ以上無いと言っていいほどの不運に見舞われていた。何もかもが上手くいかず、全部が全部裏目に出て、取り返そうとしても空回りするだけ。
やはり己は幸せになんてなれず、今夜も眠れないまま、これからもずっと屍のように生き続けるのだろう。ただ眠りたいだけなのに、世界はそんな些細な願いすらも叶えてはくれない。当然だ、俺が神でも俺なんかの願いは叶えない。こうやって不幸にまみれながら、隈だけを延々濃くし続けて、きっといつか残暑の蝉のように枯れながら死んでいく。
ああそうだ、いっそ、死んでしまえば全てが終わる。

独歩が深夜の街灯に照らされ独りごちていた場所。それは奇しくもなまえに初めて名前を呼ばれた公園で、座っているベンチも同じだった。
終電もとっくに過ぎた時間だ、周囲に人気はない。わかっているから独りごちていたのに、すぐそばからかさりと、ナイロン袋の揺れる音が聞こえた。

「ッぁ……、なまえ、ちゃん……?」

全身を跳ねさせた独歩が顔を上げると、そこになまえが立っている。一瞬、その姿が救いの女神のように、独歩は思えた。けれどそんな思いは直後、霧散する。
なまえはどこまでも無表情だった。ともすれば険しい表情にも見えるそれは、次第に理不尽に耐えるようなものへと変化していく。
片手にぶら下がるコンビニ袋と、うっすら見えるケーキらしきデザートが、あまりにも不釣り合いだった。

「――死にたいの」

ぽつりと暗闇に落ちる、苛立ちに満ちた声。
否定をすべきだと、独歩にはわかっていた。なのにそれが誘い水のようにも思えて、つい、頷いてしまう。すぐさま悪手だったと気付いたが、もう、遅かった。

「痛ッ――!?」

乱暴にコンビニ袋を投げつけられ、独歩は痛みに驚きながらも硬直する。蓋も外れ、ぐしゃりと潰れたデザートが地面に転がったが、独歩の視界には入らない。
独歩の視界には、肩を震わせ、どうにか衝動を抑えようとしながら片手でもう片手を握りしめるなまえの姿と。無数の蛇のように、ざわめきながら蠢く影。それしか映っていなかった。
あまりにも現実から乖離した光景なのに、独歩はなまえの顔から目を逸らせない。何かを間違えた。どこかを食い違えた。どこかから、独歩は、道を踏み外した。それだけを漠然と理解はするが、心だけが追いついてこない。

「独歩さあ、友だちに自分の神様、殺されたことある?」
「――、」

突き刺すように鋭利な冷気で、独歩の奥歯がカチカチと音を立てる。歯の根が震えて、言葉が紡げない。全身が粟立ち、本能という本能の全てがここから逃げろと警鐘を鳴らし続けている。
それでも、動けなかった。すっかり衝動を抑えこんだ様子の、なまえの静かな瞳に見下げられ、座ったままに腰が抜ける。膝が笑う。そんな状態で、動けるはずもなかった。

「ないよね。いるもんね、友だちも神様も。じゃあ友だちを殺したことは? 友だちに殺されたことは? 無いよねえ、独歩、友だち一人だけだもんね。その人が生きてるってことは、ないんだよね」
「、ひゅッ、――」
「ただ、生きていてほしいだけなのに。幸せに生きてほしいだけなのに、それだけの願いを何十年も抱えて澱ませて、それでもあの人のためだけにって、何回繰り返しても終わらなくて、幸せに出来なくて、――っ幸せに、なれなくて。あたしはただ、三成様に生きてほしいだけなのにっ、そんだけの願いすら叶えられない……ッ!」

ぼろぼろと零れだした涙を乱暴に拭い、なまえは一呼吸をつく。

「ああ、そうだ、ねえ独歩。好きな人を殺したこと、ある?」

――ちゃぁんと答えてよ、ねえ?
じわじわと蠢く影が、独歩を捉える。真綿で首を絞められるような感覚、が比喩ではなかった。
口調や表情の割に軽やかな足取りで独歩に歩み寄ってきたなまえが、鼻先のくっつきそうな距離で再び「ねえ」と嗤う。その問いは、あからさますぎる程の反語だった。
恐怖からくる涙を溢れさせながら、独歩は首を振る。当然、左右に。

険しかったなまえの表情が、ふわりと緩んだ。

「そう。それは、幸せだね」

その声音は、表情は、まるで心からの賛辞のようで。

独歩に纏わり付いていた影が、ふっと全て地面に消えていく。ゆるゆると見上げた先のなまえはもう独歩を見ておらず、遠くを眺めながら手元で何かを捏ねていた。あらゆる光を吸い込むような真っ黒のそれが、蝶々の形となってなまえの手元から羽ばたく。
ぼんやりそれを目で追っていると、なまえがぽつり、「ごめんなさい」と呟いた。

「人の不幸も、幸せも、他人が決めていいもんじゃないとはわかってんの。でもあたしは、やっぱりあなたが羨ましい。友だちと敵対しなくてもいい、友だちを殺さなくてもいい、友だちに殺されなくてもいい、そんな普通の人生を送れる人が。友だちに自分の神様を殺されるなんてこと、想像すら出来ないでしょう? ま、あたしもそれは実体験したわけじゃないけど。
 ……あたしの知る最も不幸な人は、友だちに神様を殺されて、友だちに復讐するためだけに、幽鬼のように生きてた。あれ生きてるっつっていいのかわかんないくらい、ご飯も食べず、ろくに眠りもせず、全身を血に染めて復讐だけを望んでいた。その人を死なせないのが、あたしの目的だった。……叶ったことなんて、一度もなかったけど」

なまえの手が、独歩の目尻に触れる。身動ぎ一つ出来ず、独歩はされるがままだ。

「少しだけ、似てる。……だからこそあたしは、あなたが死を望むのを許せない。あなたが自分を不幸だと思うことが、許せない。ごめんね、全部八つ当たり」

身を翻したなまえの足元で、消えていたはずの影が蠢き始める。
ひやりとした悪寒が、独歩の体を無理矢理に立ち上がらせた。今ここで引き止めなかったら、もう二度と、一生、なまえと会えないのではないかという予感。ほとんど確信に近いそれに押されるように、なまえの名前を呼ぶ。手を、伸ばす。

「独歩にとっての不幸の全部が、あたしにはきらきら光って見える幸福なんだよ。それだけ、知ってて。――ごめんね」

掴もうとした腕が、体が、影の中へとぷんと沈む。
最後に告げられた「じゃあ、また。どこかで」という小さな言葉に、独歩の喉から呼気が漏れた。

なまえの沈んでいった地面に触れる。そこにはもう影すらなく、触ってみたところであくまでも地面でしかない。
砂粒で汚れた掌を見下ろしていると、砂粒がぽつり、ぽたり、一ヶ所ずつ湿っていった。自分が静かに泣いていることを自覚して、独歩の掌がまた濡れる。


以降、独歩が定食屋に赴いても、なまえの姿はなかった。なまえと仲良さそうにしていた、背の高い女性の姿も消えていた。
店員たちにおかしい様子は見られない。けれど、前からそこにいたかのように店員たちの輪に混ざる、二人の男女は、あれだけ足繁く通っていた独歩には見覚えのないものだった。
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