知りたいのは貴方の値段


お風呂からあがったら、リビングにあるテレビの前で、くたびれたスーツの男が所在なさげに立ち竦んでいた。
彷徨っていた視線が勢いよく私に向き、真っ青な顔の中で隈に縁取られた目がこれでもかと見開かれて、すぐさま顔色が真っ赤に変わる。私の格好は全裸にバスタオルを肩からかけただけだ。胸も股間も丸出しである。
手元のスマートフォンからズンチャカとラップバトルが流れる中で、男は顔を青くしたり赤くしたり忙しない様子のまま、流れるように綺麗な土下座をキメた。
そして地獄で絶望を煮詰めてきたような声音で、絞り出すように呟く。

「け……警察、だけは、勘弁してください…………」

以降、今にも泣きそうな、それこそ蚊の鳴くような声で何かしらをぶつぶつ呟く男を全裸のままで眺めながら、心の中でなるほどと呟いた。
私の手元で、目前の男と同じ男が、キレる中年の見出しになったろかい!? とシャウトしている。


「とりあえず服着るんでそのままの姿勢でいてください」と告げた声は、我ながら冷たい色をしていた。
正直ヒプマイはにわかなのだ。先日いつのまにかガチハマりしていたハマの女に概要を聞いた程度で、全員の顔とふわっとした名前、ある程度の性格、あとは楽曲くらいしか知らない。ハマのことだけはある程度把握した。
このスマホに入ってる楽曲も、ハマの女に「金なら出すから聴け!」と買わされたものだ。凄まじいゴリ押しだった。私も別ジャンルの漫画を新品全巻セットで送りつけたことがあるので人のことは言えない。

そんな人間のとこに、どうやらこのくたびれたスーツの男――もとい観音坂独歩は、逆トリしてきてしまったらしい。ハマの女のとこに行くのも正直どうかとは思うが、世にはジュクの女も山のようにいるだろうに。
正〜直あんまこの人好きじゃないんだよなあ……。見た目だけなら山田家の三男が好みだし、パッと聞いた性格で言うなら乱数が好き。ちなみにソロなら一二三と警察。
件のハマの女も「独歩絶対彼女に別れ切り出されたら「お前を殺して俺も死ぬ……」とか言いだすタイプじゃん? マジ無理……愛が重すぎる……」と見てきたかのように語っていた。その印象がデカすぎるのと、俺のせい連呼系ネガが普通にこわかった。確実に近寄っちゃいけないタイプ。
それが家にいるってやばすぎない? 思わず語彙が死滅する。やばやばのやばじゃん。ツイッターで急募:等身大観音坂独歩を貰ってくれる人、とか言いたい。送料くらいは負担するから。

考えながらもパジャマを着終え、観音坂独歩が未だ土下座体勢のままぶつぶつ呟いてるのをいいことに、化粧水やらもつけていく。髪だけは諦めて、タオルを頭にかけた。
「もう顔上げてもらって大丈夫ですよ」と声をかけても、彼は土下座をやめない。

「観音坂さーん、観音坂独歩さーん、聞こえてます〜? ラップバトルする〜?」

あのー、とか、おーい、とか。何度か呼びかけても返事がこないので、とうとう名前を呼んだ上におもくそ喧嘩もふっかけてみた。途端、ぴたりと彼のぼやきが止まり、おそるおそると私を見上げる。
ちなみに私はベッドの上に腰掛けていた。1LDKの部屋は広くもなければ狭くもなく、洋室とリビングは一応仕切りこそあるものの開け放されて繋がっている。私と彼との距離はおおよそ四メートル。充分な距離と言える。

「なん、で……俺の、名前……」
「先に言っとくけどストーカーとかではないです。あなたの状況も一応理解してんので警察も呼びません。ところでコレから流れてくる楽曲に聞き覚えは?」

スマホを掲げる。ちょうどガチャーンドゥルルルチャリンチャリンチャリーン!! のところだったのでタイミング微妙だなと私は思いました。
それでも彼には聞き覚えがあったらしい。「え、と、」と唇が動く。

「ついでにこれもどうぞ。それでお察しいただければ幸いなんですけど。……ああでもあっちにもそういうグッズある可能性あんのか……」

ハマの女に「とりあえずダブったグッズも渡しとくね!」と押し付けられたアクキーを投げて渡す。彼が慌ててキャッチしたのは、彼自身がかわいらしくデフォルメされたものだ。
投げながら呟いた通り、向こうにも同じようなグッズがある可能性はあるんだが……いやでも普通に芸能人のライブグッズって考えるとさすがに二次元デフォルメアクキーはないだろう。そこら辺から推理力を働かせてほしい。目指せ名探偵ドッポ。

「……? まったく理解出来ない……なんなんだこれは。もしかして俺か……? 俺なのか……? 色だけは一致してるけどさすがにこれは……。でも電話も繋がらないしアプリも開けない……そもそも駅の階段で転けて気が付いたらこの家だった時点でなにもかもがおかしいんだ。夢? 夢なのか? それともやっぱり俺はあそこで死んだのか? だとしてもあの世でいきなり知らない女の人の家に上がり込むってわけがわからなすぎる。俺が一体何をしたっていうんだ。いつもこうだ。だいたい……」
「だめだこりゃ」

またもやぶつぶつモードに入った観音坂独歩に、やれやれのポーズをする。
建設的なお話が出来そうにはないし、どうやら彼は名探偵ドッポではなかったらしい。まあ正直私もいきなり知らんとこに来て、見知らぬ異性に自分のアクキー渡されたら死ぬ程困惑する。わかる。ちょっと無理難題が過ぎたね。めんごめんご。

「とりあえず帰ってきてもらっていいですかー観音坂独歩さん聞こえてるー?」
「えっ!? アッはいっ!?」
「じゃあ私が分かる範囲で現状説明するんで、一言も口開かずに聞いてくださいね」

素直なのかなんなのか、両手で口を押さえた観音坂独歩に一つ頷き、この事態――逆トリについて説明していく。
相手のこと一切考えず、あなたの世界はヒプノシスマイクっていう創作物の世界で〜とか、元の世界に戻る方法は私も一切わからなくて〜とか言っちゃう辺り、マジで私夢主向いてねえわと胸の内で独りごちる。
いやだって推しならまだしも私この人のことさして知らんし……隈やべーけどイケメンで二次元の人間ってわかってるからここまでやってるだけで、言っちゃえば普通に不審者だしな……。私にツテがあればどこぞに売り飛ばしてた……。
自分で言っといてなんだけど売り飛ばす案めちゃくちゃ名案だなと思いつつ、説明を終える。観音坂独歩は悲愴感五億パーセントくらいの顔で、口元を両手で押さえたまんま、固まっていた。
さすがに同情した。ので、なけなしの善意でフォローにならないフォローを付け足しておく。

「まあここに来た以上帰れる可能性もここにあるだろうから、降って湧いた休暇だと思ってここでニートライフ楽しんだらいいんじゃないですか? こういう逆トリの時って大概元の世界は時間止まってるか、動いてたとしても自分が元の世界に戻ったら逆トリした時間に戻ってるとか、そういう感じですし」

幸い人一人増えても困らない程度の金はある。
あぶく銭みたいなモンだし、私としてもこれを貯蓄しておくつもりは一切なかったお金だから、ここでまあ顔だけはそこそこ嫌いじゃないイケメンに使えると思えば、まあ……ウン……まあ許容範囲……よしとしよう。友人たちとパーッと使う予定だったけど。

それでもなんやかやとぶつぶつネガっていた男にだんだん面倒臭くなり、世の逆トリ夢主優しすぎない? 女神か天使のそれ? と遠い目をしながら、バンッ! とベッドを叩いた。埃が舞う。
私は女神でも天使でもない。推しでもねえ男を家に置こうとしてあげるだけ最上級の優しさだ。でもうっかりツテが見つかったら売り飛ばすからな。絶対だ。イケメンはアラサーでも金になるんだよ!

「いいから黙って頷いてください。どうせ行くアテもなきゃどうすりゃいいかもわかんないんでしょ。戸籍もない金もない異世界の人間がここで手助けされずにどう生きてくつもりなんですか? 俺のせいだとか何でだとか言ってる場合じゃなくない? あなたが私に言っていいのは「大変申し訳ありませんが今後よろしくお願いいたします」の一文だけなんだよ! ほらセイッ!」
「えっ、あっ、た……っ大変申し訳、ありません、が、今後よろしくお願いいたしま……す……?」
「はい! 承りました!! じゃあまず着替えて風呂!! 汗くせえ!」
「ヒエッごめんなさっお風呂お借りします!」
「バスタオルは洗面所の棚の中です! 着替えは出しとくので!」

チィッ! と勢いままに舌打ちをこぼせば、男はもう半分泣いてるような顔でお風呂へと向かっていった。閉じられた扉を見送ってからテレビの前へと視線を戻せば、仕事用らしいカバンの上に揃えられた靴と、かすかに汚れたウェットティッシュが載せられている。
そういや階段でつまずいたら云々みたいなことを言っていた気がする。土足で踏まれたのがフローリングでよかった。ウェットティッシュで拭いてくれた辺り常識人である。
靴を玄関に置き、カバンは隅に立てかけといて、ウェットティッシュはゴミ箱に捨てた。
一応そこら辺にアルコールスプレーを吹きかけてから、彼の着れそうな部屋着を探し始める。

勢いとはいえ初対面の人間にキツく言い過ぎただろうか……とイチミリくらい反省したのは、着替えを置くためにあけた洗面所の扉の向こう、お風呂の中から、ぐすぐすと鼻をすする音が聞こえてきたためである。
まあ反省はしたけど後悔はしていない。こっちまでネガってしまったら一生話進まなさそうだし。

頼むから三日くらいで帰ってくんないかな。神様そこんとこよろしく。
多分一ヶ月とかかかったらもうカラオケでラップバトルするしかない気がする。もしくは物理で殴るか。私のラップ力皆無だし。
一番は売り飛ばすコースなんだけどな……と、私はスマホで『人身売買 方法』なんて検索してみるのだった。イケメンって何円くらいになるのかな。
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