ニンニン!


※独歩の様子とキャラがおかしい


その日の俺は、百年に一度の奇跡でも降り注いだのかってくらい恵まれていた。
大口の契約は取れるし、ハゲは休みで居なかったし、毎日頼まれる雑用もほとんどなかったし、自販機でコーヒーを買ったら当たりが出るし、コンビニのくじで高めの栄養ドリンクは当たるし、残業もせず定時であがれたし、滅多に予約の取れない美味いと噂の焼肉屋の予約が一発で取れた。
ついでに一二三の仕事は休みだったし、二人で焼肉屋から居酒屋、ちょっと高めのバーまでハシゴして、これ以上なくハッピーな気持ちでふらふら帰路につく。

いつもの俺だったら、明日死ぬかもしれないとか、これは夢なんじゃないかとか、むしろ災厄の前触れなのではだとか、そういうネガティブなことを延々考え続けて、酒が入れば結局は日頃の愚痴まみれになり結果悪酔いして、トイレに籠もってしまってただろうに。
今日は程良く腹も満たされて、酔い方もほろ酔い程度。足は少し覚束ない気もするけど、ちゃんと歩けてるし吐き気も頭痛もない。
未だかつてなく世界が美しく見えた。世界が俺の人生を祝福している気がする。
明日死ぬかも? こんな終わりなら大歓迎だ。全部夢かも? 生きる気力の湧くいい夢じゃないか。災厄の前触れ? これだけの希望を抱えていれば災厄なんてワンパンで跳ね返せる気がする。

フラッフラ歩く俺を、こちらもまたほろ酔いの一二三が「だいじょーぶかよどっぽ〜!」とゲラゲラ笑いながら小突く。
いつもなら「何が面白いんだよ……」とジト目を向けていただろう。でも今日の俺は人生最高の日なので、一二三のデカい笑い声も祝福の拍手くらいにしか聞こえない。

「だいじょーぶだよ、歩けてるだろ」
「どこが〜!? すっげえふらふら! 顔も締まりねーしウケる!」

うるせ、と軽くどついけば一二三もふらつく。酒に慣れてるはずの一二三だってふらふらじゃないか。人のこと言えないぞ。

駅の構内に入り、二人並んで時折肩をぶつけ合いながら歩く。終電はとっくに過ぎたが、駅の構内を通り抜けてあっちのタクシーを拾った方が少し安く済む。夜風にあたれば多少は酔いも覚めるし。
明日が休日なのも最高だ。今日はよく眠れる気がする。昼までぐっすり爆睡してやる。
固く心に決めながら歩いていると、ふと、構内に貼りだされたポスターが目に付いた。ニンニン! とポップなフォントで効果音の書かれた、和風サーカスのポスターのようだ。三人の男女が忍装束で飛び交っている。
普段なら気にもしないだろうそれを、面白そうだな、と思いなんとなく足を止めてしまう。そんな俺の視界の中に、同じくポスターの前で足を止める二人の女性が映った。

「やばいめっちゃ忍者。体験コーナーもあるって」
「忍者……また忍者になるの? 汗だく筋肉痛の悲劇をまた繰り返すの……?」
「繰り返したくない、あの悲劇……。でも面白そうだね、手裏剣はまた投げたい」
「肩もげちゃう……」

ぼんやり立ち止まった俺に「独歩?」と一二三が声をかけてくる。それを意識の外で聞きながら、俺は女性たちの会話に何故か聞き入っていた。
どうやら京都に旅行した際、忍者体験をして筋肉痛になったらしい。わかる、忍者体験がどういうものかはわからんが、多分俺もそうなる。
背中しか見えないが、俺と一二三よりは若いだろう。ふんわりと巻かれた茶髪の隙間から、赤く染まるうなじが覗く。彼女たちも酒を飲んでいるらしい。

それはさておき、忍者か。忍者体験も面白そうだな。あのポスターの男女のような衣装を着るんだろうか。俺の年齢を考えるとそれはさすがに恥ずかしいが、手裏剣投げとやらはやってみたい気もする。
多分一二三もそういうの好きだろ。京都に行くのなら、寂雷先生もお誘いして温泉旅館に泊まるのもいいかもしれない。懐石に舌鼓を打つ己を想像して、ふわりとテンションが上がる。
先生は忍者体験まではしないだろうけど、侍や新撰組なんかの衣装が似合うだろう。一二三も岡っ引きみたいな衣装が似合いそうだ。俺? 俺は……忍者気になるけどな……さすがに……。

忍者か……と考えながらふらふらした俺の足が、未だポスターの前で立ち止まる女性の元へと進んでいく。
「はっえっ、独歩!? ちょ、独歩……!!」と慌てる一二三の声が背後に聞こえた。

今日の俺は、百年に一度しかないような奇跡に恵まれていて。
楽しく酔えた結果、テンションも上がりまくっていて。
――当然、翌朝になり全てを覚えていた俺は、頭を抱えて昨夜の自分をぶっ殺したくなるくらい、悔やむことになるんだが。
今の俺はそんなことをまったく知らず、その場のノリと勢いだけで、「すみません、」と女性に声をかけてしまった。

「……ニンニン!」

手をポスターの忍者のように、両手の人差し指だけを立てて握り合う。へらりと笑う俺に茶髪の女性が顔を向けた。
ぱっちりと上向いた睫毛に彩られた瞳が、きょとんと丸くなっている。
酔っ払いの俺が「ニンニン!」と再度繰り返せば、遠くから「どっぽぉ……! やめろってえ……!!」と悲痛な一二三の声が響いてきた。茶髪の女性はやはりきょとんとしているし、隣の女性もぽかんとしている。

しかし一拍の間をあけて、茶髪の女性の手が、俺と同じようにおずおずと引き結ばれた。困惑しきりの顔で、やはり俺と同じように、へらりと笑う。

「ええっと……に、ニンニン……!」

その瞬間、俺はこの人と結婚すると決めた。


ぺこりと会釈をして去って行った女性たちを呆けながら見送っていれば「何してんだよ独歩ぉ!! おま、明日、明日絶対自殺すんなよ!! 首吊るなよ!? なんかもうこえーから今日リビングで雑魚寝な!?」と凄まじい勢いで一二三がどついてくる。顔を見やれば半泣きだった。

「おれ、あの子と結婚する」
「……は?」
「決めた。結婚する」
「いや……名前もなんも知らねえっしょ……ここら辺の子かもわかんないし……。確かにノリはいい子だったけど、隣の子完全に不審者を見る顔してたからな。つーかあっちが酔ってなかったら下手すりゃ警察沙汰だったかんなさっきの」

珍しくまともなことを言う一二三には確かにと思うが、俺の脳内は「結婚する」で埋まっていた。
頭の中にはリーンゴーンと教会の鐘の音が響いている。網膜に貼り付いた、茶髪の女性が浮かべる困惑気味の笑顔。その体は真っ白のウェディングドレスで包まれていた。


――そして翌朝の俺は前述通り頭を抱え、必死な一二三に自殺を止められることになる。
けれどそれから半月後、取引先との打ち合わせのために訪れた飲食店で茶髪の彼女と再会し、「あ、ニンニンの人」と声をかけられるなんて未来は……当然、普段通りに戻った俺には想像も出来なかった。
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