一直線に狂い咲き


※嘔吐描写


観音坂独歩の、友人と呼べるだろう一人の女は、端的に言えば――非常に狂っていた。

「ぶわーあっはっははは!! 独歩かわいいー! 輝いてるー!!」と大笑いに大笑いを重ねる女、なまえの正面には、会社の飲み会で悪酔いした挙げ句帰り道でゲロ吐いた独歩の姿。
深夜の一時、人通りのない公園そばの路地で、吐いてる男と腹を抱えて笑い続ける女が佇んでいる。うっかりその道を通ろうとしたコンビニ帰りのモブは、そのままそっと道を引き返した。

「はー……あっは、ぶふふっ、うはー……かわいい。気持ち悪い? 吐いちゃったね? あーかわいい〜独歩吐いてるう〜、ふひひ、可哀相だねえ、飲みたくもないお酒たっぷり飲んで、味もわかんないご飯食べて、結局全部吐いちゃうなんて。かわいそう、かわいい、ふふふ」
「友だち、なら、心配くらいしろ……」

一通り胃の中身をひっくり返した独歩が、変わらず狂ったように笑い続けるなまえに恨みがましく告げる。

この友人は、いつもそうだった。
幼少期の独歩がある雨の日、盛大に水たまりの中でずっこけた時も。学生時代の独歩がマークシート形式のテストで、回答欄を一つずらしてしまい赤点を取った時も。初めて出来た彼女に浮気された挙げ句捨てられた時も。ひとり暮らしを始めてから夏風邪をこじらせて、一人苦しくベッドに沈んでいた時も。不眠に悩み始め、眠れない夜に濁流のような思考が頭の中を埋め尽くし、訳も分からぬまま泣き続けていた時も。
なまえはいつだって気付けば独歩の隣で、ひいひい笑い転げながら、かわいそうな独歩がかわいい、と独歩を嘲笑い続けていた。
笑ったり呆れたりしながらも、慰め、共に反省をし、看病だってしてくれたもう一人の友人、一二三とは天地の差だ。なまえはただただ可哀相な独歩を笑うだけで、冷えピタを貼り替えることすらしなかった。
ただただ、ひたすらに、かわいいかわいいと笑って、独歩には理解出来ない感情で頬を紅潮させながら、なまえは独歩の隣に居続けた。
控えめに言って狂っている。頭がおかしい。そもそも独歩は可愛いと言われるのが似合う男でもない。一二三なら顔的にギリセーフ。

「ハァ〜……笑った笑った。ほんと独歩神がかり的なタイミングで会うよねえ、かわいいとこあたしに見せまくってどうしたいの? 私をこれ以上どうしたいの? かわいすぎて檻に詰めて飼いたくなる。今度させてね」
「誰がさせるか……」
「ひふみんにもそれはヤメロって真顔された。とりあえず帰ろ」

口元を抑えようとした結果ゲロまみれになった手でも構わず、なまえは独歩の手を引く。さすがにそれはと独歩は手を離そうとしたが、思いの外力が強く、というか悪酔いの挙げ句嘔吐までした独歩の力が弱かったのか、その手は外れなかった。

「檻の中の独歩、絶対かわいいと思うんだよー。ちょっと錆のついた鉄製の檻でね、独歩はスーツ姿で、鉄の首輪つけんの。ハァ……? 想像だけでかわいい……最高……。もちろん餌はわんちゃんみたいに餌入れから食べるんだよ。犬食いだよ犬食い。ウワッかわいい。スーツって言ったけどパンイチでもいいね……そん時は白のブリーフ履かせてあげるからね!」
「いらん、やめろ……絶対嫌だ」

素っ気なく拒否りながら、檻の中の独歩ってなんか映画のタイトルにでもなりそうだな、と心の隅っこで独歩は考える。だとしてもB級の、古い映画館の深夜帯にしか上映されないような、しかも年齢制限付きの映画だ。嫌すぎる。
なまえは「絶対かわいーのにぃ」とふてくされた声をあげながら、独歩の手を引き続ける。かつん、かつん。夜に響くピンヒールの音が、独歩を先導していた。

ようやく独歩の家に辿り着く。友人かつ同居人の一二三は、絶賛仕事中だ。独歩を助けてくれる人間が不在であることを、真っ暗な窓の向こうが証明している。
慣れたようになまえが独歩のカバンから鍵を取り出し、エントランスを抜けてエレベーターに乗り込んだ。

「檻がだめなら縄はどうだろう」
「何がどうだろう、だ。名案じゃない……!? みたいな顔で言うな」

エレベーターの中で真剣な顔をするなまえに、体力的な意味でどうにか持ち直してきた独歩はため息を吐く。
そういえばこの時間帯に駅で出会したのは偶然なのだし、なまえもきっと飲み会帰りなんだろう。多かれ少なかれ酔っている時のこの女は、いつもの倍くらい狂いっぷりに拍車がかかる。
今日はどうにも、独歩を拘束させたい気分らしい。「白シャツに縄ってえろかわいいじゃん」とやはりふてくされるなまえの気持ちは一切理解出来なかったが、適当なAV女優でその姿を想像すれば六割ほど納得した。かわいくはないが、確かにえろい。彼シャツだと尚良し。
独歩は精神的にも、ちょっとだけ持ち直してきた。

ようやく家に帰ってきた独歩は、そのまま風呂場に直行する。シャワーを浴びる気力はなかったが、このまま寝落ちでもすれば翌朝の一二三に発狂されかねないし、なまえが何をするかもわからない。
とりあえずもう一人の友人まで狂わせるわけにはいかない、と半ば使命感に燃えながらシャワーを浴び、洗濯機まで回した。歯磨きもきちんと済ませ、独歩は割と復活してきた気分で洗面所を出る。人はそれを深夜テンションと言う。

しかしそのメンタルも、独歩のスウェットに一二三のハーフパンツを勝手に身に纏い、冷蔵庫にあった缶ビールと独歩秘蔵の高級するめで晩酌しているなまえの姿を見て、一気にどん底へ落下した。ここはお前の家か?
とりあえず手にしたままの洗濯カゴで、なまえの頭を小突く。一応、狂ってはいるが、性別的にはれっきとした女だ。独歩が払う税金の、十分の一しか払わないでいい存在だ。なので攻撃は控えめに。

「うはぁ……独歩が殴ってきた……これはこれでかわいい……」

直後、後悔した。そういえばこの女狂ってるんだった。

あからさまにげんなりとする独歩の表情もなんのその。「洗濯物干すの? がんばれー」とビール片手に手をひらひら振るなまえに、手伝おうとする気概はまったく見られない。手伝うと言われても驚くが、もうちょっとなんかあるだろ。
終いにはソファでごろごろしながらスマホをいじり始め、独歩が洗濯物を干し終えた時にはスヤァと完璧に寝落ちしていた。

「おい、なまえ、おい。……おい、起きろ」
「う〜んムニャムニャ、独歩が机で足の小指強打して呻りながらうずくまりつつちょっと涙目になりながらクソッ机すら俺を馬鹿にする……! とか言ってくれれば起きれる気がスヤァ」
「お前実は起きてるだろ。……はあ、化粧落とさなくていいのか。シャワーも浴びてないのに寝るな」
「起きてるけどねむい。独歩、連れてって」

うっすらと瞼を押し上げたなまえが、独歩に向かって両手を広げる。腹の底からのため息を吐いて、数秒の間をあけて、もう一度嘆息した。
一度目のため息は、なまえに向けたもの。二度目のため息は、己に向けたものだった。

観音坂独歩の、友人と呼べるだろう一人の女は、端的に言えば――非常に狂っている。
少なくとも友人関係にある男の失敗や体調不良を、かわいいかわいいと言いながらも心配すらせず慰めもせず、けらけらひいひい笑い飛ばす女。
深夜に男一人しかいない家にあがりこんで、勝手に男の服を着て、勝手に人ん家の冷蔵庫漁った上に、風呂まで連れてけと無防備に両手を広げる女。

「お前ほんと、一回俺に犯されても文句言えんぞ……」

独歩が呆れ混じりに七割本音をぼやけば、なまえはしばらく沈黙した後、あははと声を上げて笑った。そのままひいひいと腹を抱えて笑い始め、何がそんなに面白いのかと独歩は眉根を寄せる。ついでに舌打ちもした。
お前ほんと、マジで犯すぞ。口にはしないが、心の中でだけ独りごちる。むしろ一回犯しといた方が少しは大人しくなってくれるのではないか、という打算もあった。

しばらくしてようやく笑いの波が引いたらしいなまえが、笑いすぎた結果の涙目で独歩を見上げる。
そうして何を言うのかと思えば、「独歩あんだけ私に笑われといて私のこと抱きたがるとか、頭おかしー!」だったので、そう言われてみればそれもそうだと頭を抱えてしまった。

結局、この狂ってる女と十年以上どころか二十年以上つるんでしまってるのだし、もしかしたら独歩も狂っているのかもしれない。
ということはもしや、同じ幼馴染みである一二三も……!? と思い至ってしまい、独歩は「早くお風呂つれてってよー」とじたばたするなまえから目を逸らして、窓の向こうに友人の姿を思い浮かべた。
どうか、どうか、こいつはハナから狂ってるし、俺ももうここまできたらこの際狂っててもいいから、あいつだけはどうか健全に……! 正しく生きてくれますように……!!

深く深く、心の底から独歩は願う。
しかし当の、もう一人の友人である一二三は、なまえと一緒になって「いつ独歩あたしのこと犯してくると思う?」「いやー年内は堅いっしょ!」だなんてちょくちょく語りあっているので、独歩の願いは叶わない。
「なまえ頭おかしいけど、独歩のテンションに耐えられんの俺と先生除いたらなまえくらいじゃん?」とは一二三の弁なので、まあそういうことだ。
類は友を呼ぶ、と言うのだし。
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