無知こそ最大の防御


仕事を終えて家に帰ると、明かりのついた暖かな部屋、美味しそうな夕食の香り、そしてにっこりと幸せそうに微笑む大男が、私を迎えてくれた。
「おかえり、なまえ」と鍋つかみをつけた手でオーブンから鉄板を取り出す大男、こと毒島メイソン理鶯くん。彼との出会いは半年程を遡るが、初対面の時も現状とさして変わらないので、回想は割愛する。回想キャンセル入りまーす。
とりあえず、美味しそうな匂いにつられて出てきた唾液をごくりと飲み込み、「ただいま……――」と返す。出そうになって飲み込んだ続きは「――で、いいのか……?」という疑問だ。

ここは私の家なわけで。私は理鶯くんに合鍵を渡した記憶なんてないわけで。
そもそも、私と理鶯くん、恋人どころか友だちですらないわけでして。

「今日の夕食は鮭のグラタンだ。以前なまえは魚類が好きだと言っていただろう。左馬刻と銃兎に相談をしたら、随分と熱心に鮭を推されてな。日本人は鮭が大好きだ、それなら絶対外れないと。スープも用意した。すぐに用意するから、着替えてきてくれ」

このように完璧な良妻よろしく微笑んでいるが、この男を一言で表すのなら、ストーカーである。
初対面と現状がさして変わらないと言ったのは、つまりそういうことだ。この男は初めましてで我が家に不法侵入をし、会社の飲み会で死んでいた私を甲斐甲斐しく介抱してくれたのだ。完全にグロッキーだった私は警察を呼ぶことも出来ず、大人しく理鶯くんの作ったしじみの味噌汁で朝を迎えたわけである。あ、回想しちゃった。

それ以降、三日に二回ほどの頻度で、理鶯くんは我が家で良妻になっている。
私がこれを受け入れている、もとい諦めている原因は、さっき理鶯くんが名前を挙げた「左馬刻と銃兎」という男たちのせいだった。
……だってこの男、バックにヤクザと警察いるんですよ。どないせえと。理鶯くんと初対面一週間後には待ち伏せ食らってお話されたわ。「通報しても全てもみ消しますので」と、暗黒微笑的なそれで脅してきた入間さんに対し、碧棺さんは「監禁されたくなきゃ大人しくしとくんだな」と引き攣った顔をしていた。
監禁フラグも立ってるんだ……と静かに納得をしてしまった私は、どうやら通報ももみ消されるらしいのだし、まあ料理は美味しいし、家の掃除しといてくれるし、と全ての不満を飲み込んだ。とりあえず私に彼氏いなくてよかったと心底思った。
彼氏がいたら多分、今頃彼氏はヨコハマの海に沈んでいる。


部屋着に着替え終えた頃、理鶯くんも食事の用意を終えたらしく、私の名前を呼んできた。ダイニングに向かうと、ほかほかと湯気を立てる、美味しそうな夕食が私を迎えてくれる。ほう、と吐息を漏らした。これだけはマジで最高。
以前こそなんかヤバイもんでも入ってたらどうしよう……とびくびくしていたけれど、実際はたまにカエルだのヘビだのといったゲテモノの類が材料に含まれている程度だった。それも「虫類だけはマジでやめて」「確実に一般人が食べても一切体に影響ないって断言出来るものだけ使って」と真顔で告げれば、スーパーで買える食材ばかりになったのでほっとしている。
どうやらお金の出所は碧棺さんと入間さんのようだけど。あの人たちは理鶯くんの保護者かなにかなんだろうか。

しかし相変わらず、食卓に並ぶのは私一人分の食事のみだ。理鶯くんは対面の席に座り、私が食べているのをにこにこ幸せそうに眺めるだけ。
一度「一緒に食べればいいのに」と言ってみたのは、三ヶ月くらい前だったろうか。ぱちくりと驚いたようにまばたきをして「いいや、なまえが小官の作ったものを食べてくれるだけで、十二分にお腹がいっぱいだ」とやんわり断られたのを覚えている。多分なんかこだわりがあるんだろう。

「今日の仕事はどうだった」
「いつも通り。可もなく不可もなしだったよ。あでも一人、久しぶりにめんどいクレーマーが来たなあ」
「そうか。どんなやつだ?」

こういった具合に、理鶯くんは私の一日を聞きたがる。そして私がちらりとでも愚痴を吐けば、その対象はいつの間にか姿を消している。
ヤクザと警察に保護者ヅラされてるストーカーこっわあ……と最初こそ震えたが、最近は私も便利に使わせていただいていた。ストレスフリーな日々を送りたいので。
ただそれが原因で、バイトを半年の間に七人も失わせてしまった店には申し訳なく思っている。「人手が足りないんだよねー」と愚痴れば次の月にはなにやらバイトの応募が殺到していたようなので、自分の中ではよしとしているが。

「……ふう、ごちそうさま。今日も美味しかったよ、理鶯くん。このグラタンはまた食べたいな」
「気に入ってもらえたなら何よりだ。なまえが美味しそうに食べてくれて、小官も嬉しい。……風呂の用意をしてこよう。テレビでも見ていてくれ」
「はーい。ありがとう」

ううん、良妻。食器を下げるくらいは私でも出来るんだが、自分がいる間理鶯くんは私に一切の手を出させない。食器を下げ、風呂の用意をし、お湯が溜まる間に食器洗いをこなす。もちろん、私の食後のコーヒーを出すことも忘れない。
そのコーヒーもノンカフェインである。気遣いの塊か?

こんだけ甲斐甲斐しく良妻をする割に、そしてストーカーまでしてるくせに、理鶯くんは私に性的な目を向けてこない。たまーに抱きしめられることはあるし、ほっぺにキスくらいの触れ合いはしてくるけど、なんというかいやらしさがないのだ。
親愛の証とか、挨拶とか、その程度の触れ合いしかない。熱が籠もっていない、というか。
別にこの巨躯とヤりたいわけでもなし、そもそも諦めて受け入れてるとはいえ、私だって理鶯くんを恋愛対象として見てはいない。つきまとわれている限り彼氏は作れないだろうなあ、とは思うけど、別に恋に恋する年頃でもなし。結婚願望もないし。
ただ、何でだろうなあ、という疑問は浮かぶ。あんまり知らないけど、男って下半身でモノ考えてんじゃないの? 好きな女がそばにいたら抱きたくなんない?
「え、一回もヤったことないですよ。キスすらないです」と、五ヶ月目辺りでのお話こと通報牽制様子見、で保護者二人に告げたら、こちらが引くほど驚いていた。から、多分理鶯くんが特異なのだと思う。

かといって「理鶯くん、私を抱きたいとか思わないの?」とか言っちゃうのは、完全に誘い受けのそれだ。確実にいけないルートを開通させてしまう。
なので私は沈黙するし、この疑問は解消されない。
若干、実は太らせて食べようとしてるんじゃ……? と思ってしまう私もいるんだが、その可能性には是非外れていただきたい所存。 ガチでむしゃむしゃされるなら性的な意味でいただかれる方がマシだよお。今日の具材が私に決まるのはいやです。

「なまえ、風呂が沸いたぞ」
「ん、ありがとう。理鶯くんは今日もうちでは入らないの?」
「ああ、ありがたい申し出だが。気を遣わせてしまってすまない」
「いいえ。じゃあお風呂入ってくるねー」
「シャンプーが無くなっていたから替えておいた。左馬刻の妹がおすすめしているものだそうだ。気に入らなかったら言ってくれ、また新しいのを持ってくる。小官は明日の朝食の用意をしているから、ゆっくり入るといい」

返事とお礼を告げ、浴室に向かう。湯船はうすらと濁ったオレンジ色で、甘いながらも爽やかな香りが漂っていた。入浴剤までいれておいてくれる良妻。完璧か?


ゆったりとバスタイムを楽しむ私は、知らない。
部屋のありとあらゆる場所、当然浴室やトイレにも設置されている盗聴器や、監視カメラの存在を。ひっそりと私に気付かれない速度で消えていく、友人たちのことを。急遽海外へ栄転していった、両親の引越しを。人知れず水底へ沈められていく、過去の男たちの現在を。
私はまだ知らない。毒島メイソン理鶯という男の、ゆるやかに麻痺させていく劇薬のような、恐ろしさを。

――ちなみにそれから更に半年と一ヶ月後、私はそれら全てにようやく気が付き、「なんつーやばい男を野放しにしてくれてるんですか!?」と保護者二人を問い詰めることになる。
そして「だから俺らが必死こいてお前に縫い止めてたんだろ」「全てを知ったのなら、是非私たちの苦労も知っていただきたいですね」とあっさり吐き捨てられることにもなるんだが。
やっぱりそれらを、わーこのシャンプーめっちゃさらさらになるすごーい、なんて考えている今の私は、知らないのである。
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