Curse blessing


※自傷独歩


最近になって割と仲良くなった観音坂さんは、夏場でも決して袖をまくらず、偶然見かけた休日であっても長袖で両腕を隠していた。
たまに飲みに行く時の話題やあのネガティブ具合、目尻にくっきりと浮かぶ隈からして、ははーんとゲスパーをする。そしてそのゲスパーは、酔っ払った勢いでさくっとワンナイトラブをしてしまった日、想像以上のモノだったと判明した。

「えっっっぐ……」

両腕にびっしりと敷き詰められている数多の横一本線は、たまにバツ印になっていたり≠のようになっていたりと、まあ見れば見る程えぐい。一部は随分と昔のものなのか、白くぷっくり膨れていて、新鮮――と言うのも変な言い方だが――な傷はじんわりと腫れたかさぶたになっている。一センチほどの刺し傷もあちこちに見受けられ、それは周囲が痣のように変色していた。うーん、凄まじい。
そりゃ袖まくれませんわな、と納得する。脚に傷はなかったけれど、両腕は一の腕がほぼ全滅だ。ところどころ、二の腕にまで至っている傷もある。

それらをワンナイトラブの翌朝、ホテルのバスルームにて指先でなぞりながら、私は観音坂さんと湯船に浸かっていた。
所在なさげに視線を彷徨わせながらも、観音坂さんは私の手を止めない。されるがままに傷痕をなぞられている。

「引いた……だろ」

吐息と共に呟かれた言葉が、私のうなじを震わせた。
「引いて、当然だ……こんな、オッサンの腕がリスカ痕だらけって、キモすぎるよな……俺なら引く。というか既に引いてる。死ぬ勇気もないくせして毎日毎日自分で腕切って消毒してガーゼ貼って寝るって、どんだけキモい日課だよって話だよな。はは、笑うしかない。酔った勢いでこんなコトして、その上リスカまでバレたんだ。せっかく俺なんかと仲良くしてくれる子に出会えたっていうのに、俺のせいで全部おじゃんだ。そう、俺のせい俺のせい俺のせい……全部俺のせい……ウッ……切りたい……」と、背後でブツブツ言っている。すごい、私まで病みそう。

ぎゅ、と観音坂さんが拳に力を込めると、腕の血管が浮いた。一文字がぷくぷくと所々浮かび上がり、そこに傷痕があることを明確にしている。
血管をなぞり、古い傷をなぞり、新しい傷をなぞり。

ああ、ああ。確かに私は、恍惚としていた。

この傷痕は、観音坂さんが生きようとしていた証だ。生きている証明だ。死にたいという意識の表れだ。それでも死ねない、死のうとする勇気すら持てないという、現実だ。
傷痕で汚らしく歪む両腕が、観音坂独歩という人を現わしている。殺したいのに殺せない。死にたいのに死ねない。生きたいのに上手く生きられない。かわいそうでかわいくて、底抜けに優しい人。
「もう終わりだ……」だなんてぐすぐす鼻を鳴らしながらも、自分から手を離すことは出来ない、弱くて愛しい人。

「観音坂さん、」

傷痕をなぞりながら、くるりと体を反転させ観音坂さんと向き合う。じわりと潤んだ瞳が、おそるおそる私を見上げた。次いで、その瞳が驚きに染まる。
観音坂さんの瞳に映る私は、自分でも呆れちゃうくらい、嬉しそうに微笑んでいた。

「私、観音坂さんのこと、好きになっちゃいました。これからは職場のお友達ではなく、恋人としてあなたの傍に置いてくれませんか?」
「……は、……ぁ、え……? え、いや、なに……言って、……は……?」
「だめですか? 観音坂さん、私のこと嫌いですか。私とスるの、気持ち良くなかったですか?」
「そっ……んなわけ……!! もっとずっと前から俺の方が好きになってたし、昨日もすげえ、気持ち良かったし最高だったしあんなの初めてだった、ていうか、いやそうじゃない、違う……! お、おれに、ひいたんじゃ、ひいてたんじゃ、」

「引いてなんかいないですよお」と空笑いながら、やはり私は彼の傷痕をなぞることをやめない。
指先に伝わるでこぼこが、いつもの彼と昨夜の彼を表現しているかのようで、面白かった。顔に似合わず、意外とガツガツしちゃうタイプなんですよね、観音坂さん。

「両想いならなんの問題もないですよね。大丈夫ですよ、私は観音坂さんの全てを許します。愛します。あなたはそのままのあなたでいいんですよ。私だけは全部認めてあげます。そのままのあなたを愛してあげます。観音坂さんの深ぁい隈も、両腕びっしりの傷痕も、含めてまるっと全部、私は観音坂さんを愛します」

混乱が一周回って落ち着いたのか、それとも現実に追いつけなくなったのか、観音坂さんは呆然としながら「熱烈、だな……」と歪に笑った。笑って、ちょっとの間をあけて、まなじりから滲んだ水を滴らせながら、そうっと片手で私を抱きしめた。
反対の手は、私に傷痕をなぞられたまま。う、ぐす、っふ、と漏れ出す嗚咽が私の鼓膜を揺らす。
生温いお湯に浸りながら、観音坂さんは泣くことを知らなかった子供のように、泣き続けた。私はゆるゆると傷痕を撫でながら、そんな彼の背中も撫でる。


――といった馴れ初めから、二ヶ月。
観音坂さん、改め独歩さんは、休日の前夜には私の家を訪れる。一緒にお風呂に入って、独歩さんに後ろから抱きしめられながら彼の傷痕をなぞるのが、私たちの『いつも通り』になった。

「新しいの、増えてますね。先生や同居人さんは、知らないんですか?」
「癖……みたいな、もんだから。先生も一二三も知ってる……し、止められる、けど……」
「独歩さんが止めたいと思わないなら、やめなくていいんじゃないですか。私は好きですよ、あなたの生きてる証」

真新しい赤い傷痕を人差し指でそっとなぞり、彼の腕を持ち上げて口付ける。ぴく、と背後の体が震えた。
一本一本を検めるように口付け続けていれば、次第に熱の籠もった吐息がうなじをくすぐる。はは、なんて乾いた笑い声が浴室の中に響いた。独歩さんに視線を向ける。

「まるで、なまえに呪われてるみたいだな」
「ええ……? ひどい。これは全部祝福ですよ。私の愛しい恋人が、今日も明日も今まで通りそのままで生きてくれますように、っていう、おまじないです」

私の言葉にうっとりと目を細めた独歩さんは、「知ってる?」と、かすれた声で問いかけてくる。
背中に啄むような口付けを送られるのを感じながら、「何をですか?」と問い返した。

「まじない、って、呪い、って書くんだよ」
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