足りない頭の悦び


「左馬刻〜、ジッポきれた火ぃ貸して〜」

奥の部屋から煙草一本片手に事務所のドアを開けたが、そこに左馬刻の姿はなかった。あれ、ちょっと前にはいたはずなのに。
代わりにというかなんというか、ソファに悠然と座り、スマホを右手、煙草を左手にしている男が一人。見覚えがあるようなないような、眼鏡のイケメンだった。瞬時に脳内で『ドサドと見せかけて本命にはドマゾ』と判断を下す。この手のイケメンってだいたいそう(私調べ)。

「左馬刻なら出かけましたよ。後十分か十五分もすれば帰ってくると思いますが」
「マジですか。じゃあお兄さん火ぃ貸してください」

人間縦半分くらいの距離をあけて、眼鏡イケメンの隣に座る。
イケメンはわかりづらく一瞬だけ顔を顰めて、ため息を吐きながら更に人一人分距離をとった。「どうぞ」とお高そうなジッポライターを差し出される。礼を言って受け取った。
ハァ〜……これはなかなか。シンプルながらも高級感を漂わせるデザイン。確かな重み。お兄さんなかなか稼いでらっしゃいますな。まあそりゃ左馬刻とつるむような人間なんだからそれなりに稼いでんだろう。左馬刻の周りにいる人間は、だいたい金持ちか素寒貧の二択だ。女だと様々だけど。

「左馬刻どこ行ったんですか?」
「さあ? なにか苛立った様子で出て行ったので知りませんね。半には戻るとだけ」
「ふーん? 女のとこだと思う? それとも男?」
「男じゃないんですか。あそこの傘立て、蹴り飛ばしてましたし」
「ほんとだ。新しいの注文しとこ」

見やれば先月買ったばかりの傘立てが見事にへちゃげていた。ポケットに入れていたスマホを取り出し、通販サイトで同じ物の色違いをちゃちゃっと注文する。

イケメンの煙草はもう半分程灰になっていて、私の煙草は三分の一くらい。火サスの凶器になりそうな灰皿にトンと灰を落とせば、一拍をあけてイケメンは煙草をもみ消した。
赤色の手袋、外さないんだろうか。実は義手だったり大火傷の痕があったりすんのかな。私はいいこなのでいきなり首突っ込んだりはしない。

「――ところで、なまえさん」
「あれ、やっぱり私、お兄さんと会ったことあります?」
「ええ、通算五回ほど」
「あら〜」

ごめんなさい、と頭を下げる。私は人の顔と名前を覚えるのが壊滅的に下手だった。
唯一初見で顔を覚えられたのは、シンジュクのロン毛おじさんくらいだ。ええっ! 三十路でその髪色にその髪の長さで医者!? 勇者ですか!? むしろ魔王っぽいかな!? と心底驚いたので一発記憶に成功した。魔王じゃなくて神だったわ! って思った記憶もあるので、多分名前には神がつく。神楽坂とか、多分なんかそんな感じ。別の人の名前が混ざってる気もするけど。

それはさておき、この呆れ面であからさまなため息を吐くお兄さんはいったいどんな名前だったか。赤の手袋。シュッとしたスーツ。七三眼鏡。Sに見せかけたM(私調べ)。
アッなんか思い出してきた。確かなんか、割とかわいい名前だった気がする。左馬刻と、この人と、あともう一人迷彩柄の誰かで、ヨコハマディビジョンをはってた人なのは思い出した。そんで確か、全員名前のどっかに動物がついてた。
かわいい動物……かわいい動物。猫、犬、蛇、パンダ。パンダはとりあえずないな。ワンチャン名字が大熊猫さんである可能性も否めないが。

「…………猫山さん!」
「誰ですかそれは」
「違いましたか……。あっいや名字じゃなくて下の名前……? 下の名前に……動物……蛇……」
「ヘビではないです」
「蛇ではない……」

さっさと答えを教えてくれればいいのに、イケメンは私が答えを導きだすまで待つ腹づもりらしい。おっとなかなかのサドみ。まあ私あなたの本命じゃないもんね!

「ヒントください。草食動物ですか」
「……まあそれくらいならいいでしょう。答えはイエスです」
「ハッ……! 牛男さん!?」
「殴られてェのか?」
「最近の大人いきなりキレる〜」

その後も「犬と書いてケンくん!」「国家の犬と罵られることはありますが違います」「じゃあ熊男さん!」「○○男から離れなさい」「猿彦さん!」「彦でもないし猿でもない」「亀吉さん!」「俺はジジイか? まあ若干近付いたと言えなくもないですが」「亀が近い……? 蟹……? 蟹男さん……?」「だからその男から離れなさいと。だいたい何故亀から蟹になる」「猿も亀も蟹も昔話に出てるなって」と会話を続けていたんだが、答えは出そうにない。

「そこまで出るならまだ出てきてねえ動物がいるだろうが!」

だなんていきなりブチギレられてしまったけれど、あとなんか動物いたっけ。そもそも別に私、動物に詳しくないんだけど。
イケメンのクソデカボイスに驚いた拍子に、煙草を取り落としてしまった。まあもうほとんど燃え尽きかけてたからいいや、と拾ってそのまま灰皿に押し潰す。
二本目の煙草を咥え、火をつけようとしてから火がないことを思い出した。

「火ぃ貸してください」
「人の名前も覚えられんような女に貸す火はない」
「最近の大人はケチんぼだ……」
「最近のクソガキは躾がなってねえようだなァ?」

火のついていない煙草を口に咥えたまんま、ちえ〜と唇をとがらせる。
そうこうしていると、「おいジュートォ!!」とこちらもまたおっきな声で叫びながら、事務所のドアが勢いよく開かれた。蝶番壊れそう。

「テメエ人の事務所で何騒いでやがっ――……あ゙? 何でこっちに出てんだなまえ」
「ジッポきれた。石が。だからジュートさんに借りてたの」
「左馬刻テメエ余計なことしやがって」
「あ゙ぁ!? 余計なことしてんのはテメエだろうが! なまえと口きいてんじゃねェよ頭悪くなんぞ!」
「あれっまさか心配されてんのジュートさん? 私に口撃されるとは思わなかった」

なにはともあれ、左馬刻のおかげでこの眼鏡イケメンの名前がわかった。ジュート。じゅうって名前の動物は浮かばないから多分とが動物で、と、ってなるとこっちも多分だけど兎だ。かわいい。顔に似合わぬ。
ワンチャン獣兎説もあるけど、なんか触れれば撃つぞみたいな雰囲気あるし、銃兎さんなんだろう。謎解明!! すっきり!

「邪魔をする。喧嘩はやめろ、二人共。なまえが怯えている」
「あっもう一人の迷彩の人。こんにちは」
「こんにちは。なまえは挨拶は出来るのに、相変わらず小官の名は覚えてくれていないんだな」
「なんか重ね重ねスミマセン」

ワーワーギャーギャー喧嘩している二人を止めつつ事務所に入ってきたのは、迷彩柄の巨人。銃兎さんの名前が判明したからなんとなく思い出したよ。確か鳥系だったでしょ。

「鳥……にわとりさん?」
「三歩進めば顔も名前も忘れるなまえの方が、小官よりもよほど鳥頭だな」
「おっと思わぬ毒舌。アッ毒舌で思い出した! 毒島くん! りおーくんだ! 毒島りおーメイソンくん!」
「惜しい。だが進歩だ。褒美に土産をやろう」

惜しかったらしい。でもご褒美になんか獣臭漂うタッパーを渡してくれたので、多分だいたい正解だ。
左馬刻と銃兎さんが硬直してんのが見えるけど、このお土産は大丈夫なお土産だろうか。消費期限さえ切れてなきゃ大概のものは食べられると思ってるけど。

「なまえは小官の食事を随分と美味しそうに食べてくれたからな。今日はここにいると聞いて、持ってきていた」
「中身なにこれ?」
「料理名を言ってもなまえにはわからないだろう。ネズミとヘビを焼いて味付けしたものだ。新鮮だぞ」
「りおーくんナチュラルに私のことバカにしてくるね? 実際バカだからいいけど。あっ意外と美味しそう。左馬刻〜、電子レンジ借りる〜」
「オイやめろお前ここのレンジ使えなくするつもりか!!?」
「それを食うならテメエの家で食えクソガキ!!」
「好みで黒胡椒を足しても美味いぞ」

再び、ワーワーギャーギャーとある種の阿鼻叫喚。昔と比べて左馬刻の事務所は賑やかになった。昔は舎弟くんたちの悲鳴か素寒貧の悲鳴か女の喘ぎ声しか聞こえなかったのにね。左馬刻が楽しそうで私もはっぴー。
まあその左馬刻、今真っ青な顔で私のこと引き止めてるけど。なんでさ、食べ物あっためるだけで電子レンジは壊れないよ。万一壊れたら私が注文しといてあげるから。お金出すのは左馬刻だけどな。
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