幼馴染みの夜


※若干下ネタ


奇跡的に独歩の定時上がりと一二三の休日が被ったその日、なまえはたこパフルセットを抱えて二人の住居に上がり込んでいた。なんなら出かけていた一二三と、定時上がりにも関わらず結局やることもなく直帰してきた独歩の二人を、家主よろしく「おっかえり〜!」と迎えてみせた。

「ただいま…………って、何でお前がいるんだ」
「あれっなまえじゃん!? ただまー! 何それたこパ!? たこパすんの!? よっしゃ〜マジかよテンアゲ〜!!」

同時に喋る二人に対し、なまえはうんうんと頷く。一二三がうるさすぎて独歩が何言ってるか全然聞き取れなかった。なので聞き流し、たこパの準備を続ける。

三人は生まれた頃からの幼馴染みだった。保育園も幼稚園も、小中高もずっと一緒に過ごし、親同士まではちゃめちゃに仲が良い。一二三が途中で女性恐怖症になるという危機はあったものの、当時の一二三は数秒考え込み、「いや、なんつーか……なまえは女とか以前に……ウン……とりあえずセーフ」とわやわやした結論を出したため、事なきを得ている。その時のなまえはとりあえず一発一二三を殴った。
大学こそなまえだけが別だったものの、卒業後の進路までほとんど地域的な意味で同じだったせいで、アラサーになった今でも付き合いは続いている。がっつりと。
なまえは独歩と一二三の部屋の合鍵を、独歩と一二三はなまえの部屋の合鍵を、なんの違和感もなく普通に持っちゃうレベルで。
今日もなまえはその合鍵で勝手にお邪魔したのである。それが許される程度の仲なのは、言うまでもなかった。

「たこパ準備出来たー!」「イッエーイ!!」とさっそくたこ焼きを作り始めるなまえとノリノリの一二三に、スーツからスウェットに着替えた独歩が「いやだから! 何でなまえがいるんだよ!?」と至極真っ当な問いを繰り返す。
いるのはいい。別にいるのはいいんだ。でもそもそも独歩が定時上がりになったのは、えっ……何年……ぶり……? 本当に帰っていいのか……? これは巧妙な罠で実は帰った後すぐさま戻ってこい連絡が来るか、それともパワハラ減給が待っているのでは……? やっぱり帰らんとこかな……、と疑心暗鬼になるレベルで奇跡的な出来事だったわけで。
やっと独歩のセリフが聞こえたなまえは、ドヤ顔でたこ焼きをひっくり返している。

「一二三が休みなのは元から知ってたし、独歩が珍しく定時退社キメたってのはミキちゃんに聞いたー」
「ミキちゃ……えっ、いや、誰」
「独歩んとこの受付嬢。知らん? 黒髪ポニテの二十四歳。目尻のほくろがセクシーと噂の」

そこまで言われて、独歩はようやく一人の受付嬢を思い出す。稀に出会すたび「お疲れさまです」と微笑んでくれる、穏やかそうな、かわいらしい女性だった。
あ、あの子が俺のことを認識してくれ……て……!? と独歩の脳内で花が舞う。「独歩ちんも早く座れよー! ひゅーったこ焼きうまそー!」と箸を構えながらも、いつの間にやらグミだのマシュマロだのをそっと机の脇に置いていた一二三に、ゲンコを落とす気すら湧かない。だってあんな可愛い子が! 俺の定時上がりに気付いてくれてたんだぞ! これは完全にワンチャンあるだろ!?
独歩は童貞だった。ちなみに一二三も。
しかしそこで、ハッと気が付く。

「何で、俺の会社の受付嬢と、なまえが、知り合いなんだ?」
「ミキちゃん大学の後輩ー。ついでに言っとくと花飛ばしてるとこ悪いけど、あの子付き合って三年の彼氏持ちだから。ドンマイ童貞」

ご丁寧に、「(笑)」まで付けて告げてくるなまえに、独歩は断崖絶壁から落下するような気分を味わう。「付け加えるとIT企業のエースくんらしいよ。写真見せてもらったけどイケメンだった」といういらん情報に、コンクリ詰めで海に沈められる気分も味わった。
いい女にはいい男がいる。これは自然の摂理である。さっきまでの満開花弁脳内はどこへやら、極寒の荒れ地のような脳内のまま、独歩は崩れ落ちるように座布団に座った。
こんな俺相手でもたこ焼きはあったかく迎えてくれる。たこ焼き最高。

「ほんで、うめーけど何でたこパ? あ、なまえ醤油とって」
「たこ焼きに醤油……? いやあ、独歩が五億年振りに定時上がりって聞いて、どーせこの無趣味彼女無し社畜のことだから一人寂しく直帰キメんだろうなと思ったから。一二三もちょうど休みだったし、これはたこパしかなかろうと」
「五億年ぶりって、俺はカンブリア紀から社畜してんのか。嫌すぎる」
「どっぽちんプロ社畜だもんな〜!」

ゲラゲラ笑いながら、一二三は冷蔵庫からビールを取り出す。「独歩も飲むっしょ? なまえは?」「飲む」「飲むー」と三本取り出して、当然そのまま机に置いた。
三人してカシュッといい音を上げながら開け、全力でビールの喉越しを味わう。定時上がりのビールも、休日のビールも最高だ。特に独歩は普段の疲れが溜まってるせいもあって、既に酔いが回りつつある。

たこ焼きをむさぼりビールをあおり、次第に三人ともが酔っ払ってくる。
「おい誰だよたこ焼きにレモングミ入れたやつまっっず!」「マシュマロ意外とイケるぞ」「独歩味覚狂ってるゥ〜! ちな犯人俺っちでっす!」「ころす」「許した。というか待てなまえ、そこ焦げてる。ふざけんな炭だろそれいつから焼いてんだ」「マシュマロ野郎に文句言われたくねえ〜!」だなんてゲラゲラ笑い続けていたんだが、酔っ払い筆頭観音坂独歩が、不意にキレた。酔っ払いなので。

「焦げたらもうたこ焼きじゃなくて焦げだろ! タコ焦げ!」

意味が分からない。しかしそれにツッコミを入れられる人間は、この場にはもういない。一二三は「略してたこげ!!」と一人で抱腹絶倒している。
なまえはそっと箸を置いたと思えば、バァン! と大きな音を立てて床を殴った。食うだけの人間が出されたものに文句言うの、いけないことだと思います。

「ハァ〜!? 男のひとり暮らし代名詞チャーハンすら作れない味覚音痴にどうこう言われたくないんだけど!?」

そのキレ気味が思いの外ガチだったので、独歩の勢いが若干しぼむ。一二三は「なまえガチギレじゃんマジウケ〜!」とやはり抱腹絶倒している。

「お、俺がチャーハン作れないのは関係ないだろ! あとチャーハンって地味に難易度高いからな!」
「今チャーハンの話してねーんだようるせえな! オメーの童貞もらわれたいんか!?」
「ヒッ!? い、いやだ、初めては好きな人と両想いになった一ヶ月後にって決めてるんだ、嫌だ」
「アラサーおっさんのくせして中学生処女かよウケる」
「独歩がおっさんならなまえはおばさんだよな〜!」
「ハァ? テメエの童貞も卒業させるぞ一二三」
「やだ〜! 俺っちも女性恐怖症克服した後、出会った運命の子と幸せはっぴっぴな初めての夜迎えんだから〜!」
「ウッワ中学生処女もう一人いた」

今度はぐすぐす「やだ……初めては黒髪の大人しそうな女の子がいい……」「俺っちはゆるふわ茶髪の女子アナみたいな女の子がいい……」「それもわかる……」「黒髪も良い……」と何故か泣きながら好みの女の子談義を始めてしまった酔っぱらい童貞二人に、なまえはチィッと大きめの舌打ちを一つ。
夢見るアラサー童貞とかキモい以外の言葉が出ない。「野郎の童貞とか後生大事にとっとくもんでもないでしょ」と何本目かのビールを煽りながら吐き捨てれば、蹲っていた二人の視線がじろりと向いた。

「そう言うなまえも処女だろ。二十九歳処女も大概地雷臭すごいからな」
「そうそう。今時婚前交渉しません派? いやいやないわー!」
「言っとくけど私処女じゃないからな」
「ハ?」
「ハァ?」
「ガチトーンこわ」

「残念でした〜あんたらのいなかった大学時代に彼氏作って卒業してます〜!」とプギャー顔を見せるなまえに、「いや嘘だろ」「見栄張るなって」と童貞二人が慌て始める。
俺たち一蓮托生じゃなかったのかよ! 俺たちを見捨ててお前、大学時代って、最短でも五年……えっ大学って何年前? 俺たち今二十九歳だからえっと、……えーとにかくおま、おまえー!! の心境である。酔っ払いにはさんすうがわからぬ。
幼馴染みが知らぬ間に、しかもとっくの昔に『女』になっていた現実を、酔っ払い童貞は上手く飲み込めない。結局再び「いややっぱ嘘だろ」「だから見栄張んなって、正直になろ? な?」「今更俺たちに隠し事とか、な?」と慌てつつ、聡しモードに入る。
酔っ払い非処女は、そんな二人を鼻で嗤った。嗤ってから、舌打ちをした。

「独歩には黒髪清楚系後輩女子といい感じになり付き合うことに成功するも何故かまったくヤらせてくれず、しかしいずれは好きな子とハッピー初夜を迎えるだろうとその日を夢見ながらメシを奢り服を奢り貴金属を奢り、搾れるだけ搾り取られたあとやっと初夜を迎えたと思ったら美人局であることが判明しマッチョゴロツキにボコられる呪いをかけた。
 一二三にはある日お客さんとして無理矢理連れてこられた系ゆるふわちょっとだけ男性が苦手なんです……系女子に一目惚れをしホストモードで甲斐甲斐しく接しつつ次第に仲良くなっていき、この子となら、きっと俺も……と素で会える日を心待ちにしていたら、私一二三さんのおかげで片想いしていた先輩とお話出来るようになったんです! 今度、デートにも行けることになって! とお店で告白され、ああ君にとって俺は所詮ホストでしかなかったんだなという悲しい現実を突きつけられる悲しい恋物語を送る呪いをかけた」

ほとんど一息である。抑揚の一切無いその語り口は、まるで決められた未来の筋書きを読み上げているかのようだ。
童貞二人は一気に酔いすら覚めたような顔を青ざめさせる。

「やめろ……洒落にならん……マジでありそうな感じやめろ……」
「一昨日そういう感じの女の子来たわ……未来予知っぽくてマジ無理……つらたん……俺っちたちに希望はないのか……」
「なんか言うことは?」
「大変申し訳ありませんでした」
「ごめんなさい」
「私は寛大だから許してやるよ。感謝しろよ童貞」

すっかり酔いも覚めてしまった二人は、もそもそとこちらもすっかり焦げてしまったたこ焼きをつまみ始める。
一通りすっきりしたなまえは、こいつらよく食べるなーとその様を眺めてから、ビールのおかわりをするため冷蔵庫に向かった。

幼馴染み三人の夜は更けていく。
そういえば明日も仕事だった。独歩がそれを思い出したのは、爆睡する二人にとりあえずブランケットと毛布をかけてやった後、深夜の一時のことであった。
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