語る。


かさりと本のページを捲る音が耳をくすぐる。たくさんの本の香りに包まれながら、私は机の上で組んだ腕の上に横向けた頭を乗せて、ぼんやりと口を開いた。

「美味しい物を食べたときって、ああ美味しいなあって思うじゃん。例えばステーキだったらさ、肉汁が口の中にじゅわあって広がって、塩胡椒の味を舌に感じて、ガーリックの匂いが鼻に抜けて、絡んだソースは濃厚で、って事細かにいかにそのステーキが美味しいかを頭で考えるんだよ。でも、食べ終えて時間が経つと「おいしかったなあ」って記憶はあるのに、それがどんな味だったかは説明しづらいの」

私の言葉を前にいる彼は聞いているのだろうか。ぱらりとまたページが捲られた。
気にせず、私はしゃべり続ける。

「人付き合いもそういうものだと思うんだ。一緒にいて楽しかったな、とか面白かったな、って記憶は残るけど、じゃあどんな会話をしたのかな、あの時、あの子はどんな表情をしてたのかなって思い出そうとすると、思い出せないの」

静かな図書室には、私と目の前の彼しかいない。
開け放たれた窓の外からは、涼しくなってきた風が木の葉を揺らす音が聞こえた。
私はそれを聴きながら、しゃべり続ける。

「でも美味しかったとか、楽しかったって記憶が残ってるなら良いと思うのね。その思い出はそれ以降、それ以下にも以上にも成り得ないんだから。私は思い出の中のその子との記憶が楽しいもので終われるなら、やっぱりそれが一番だと思うの」

薄い木板で出来た栞をページに挟み、静かに本が閉じられた。
眼鏡の向こうの瞳に私が映る。
その中の私は、笑っていた。

「お前の話は要領を得ないのだよ。それで、何が言いたいんだ」
「何なんだろうね、私にもわかんない。緑間君ならわかる?」
「自分にわからないものが他人にわかるはずがないだろう」

馬鹿にするような目線に、ひどいなあと目を細めて、彼の読んでいた本のタイトルを指でなぞった。

「思い出は、思い出以上にはなり得ないんだなあって、そう思っただけだよ」
「……くだらん」

言うと思った。
私は膝の上に載せていたスクールバッグを手に取り、立ち上がる。

「でも、何で緑間君なんだろうね」
「それは俺が訊きたいのだよ」
「私、赤司君に訊くつもりだったのになあ」

物音も立てず開いた図書室のドアの向こうは真っ暗で、私はその中に足を踏み入れる。
背後でまだ座ったままの彼から、また、本を開く音がした。
あの子も、本が好きだった。今も変わらず、あの子は、綺麗な思い出の中のあの子のままだった。
それがどうしようもなく、嬉しくて、だからこそ、思い出のままにしていようと思ったんだ。

「緑間君、今、お医者さんなんだっけ」
「ああ」
「そっか。緑間君も思い出の中とあんま変わらないなあって思ったんだけど、そうでもなくて良かったよ」
「……お前もな」
「……みんながみんな昔のままだったら、こわいもんね」

案外、人は変わらないもので、だけど意外に人はあっさりと変化する。
それを知った私は、あの子の中で、思い出のままだったのだろうか。それとも、違ったんだろうか。
知ろうとも思わない。

「じゃあね緑間君。付き合ってくれてありがとう」
「そう思うのなら、お前からあいつに連絡を入れればどうだ」
「まさか、勘弁」

図書室の中へ向き直る。
白いブレザーを着た彼の背は、あの子とは似ても似つかないけど、懐かしかった。
本の匂い、好きだったなあ。そう思いながら扉に手をかける。

「私だって、あの子の中で、綺麗な思い出のままでいたいんだよ」

鼻で笑う彼に苦笑して、扉を閉めた。



瞼の向こうの明るさに眉を寄せて、ゆっくりと瞼を押し上げる。
けたたましく鳴るアラームを手探りで止めて、はは、と小さな笑い声を漏らした。

「すっごい夢」

携帯で時間を確認すれば、少し寝過ぎてしまった時間だった。
早く用意をして、仕事に行かなければいけない。
今日も部長に怒られてしまうだろうか。いい加減、業務に支障が出ないレベルまで成長したいものだ。
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