[2/10] 「俺が四三のこと、好きっつったらどうする?」 何でもないことのような声音で呟けば、正面から「はあ?」と心底から意味が分からないと思っていそうな疑問符が漏れた。カタンと音を立てて、ビール缶が机に置かれる。 俺はカーテンの閉まった窓の向こうを眺めながら、四三の顔を見ることが出来ない。 二十四時間営業の焼肉屋で働いているもう一人の幼馴染みは、俺と生活リズムが被ることが多い。今日も出勤時間がだいたい同じだったからと、俺と独歩の家にて二人で晩飯を共にしていた。 付き合いは小学校から。俺と独歩と四三と三人で、どこでもかしこでもつるんでいた。それが当然のことのように。 けれど俺とも独歩とも、四三は違っていて。そも幼馴染みとはいえ他人なんだし、俺と独歩も全然違うんだから当然なんだけど、四三は特に違っていた。 気付いた時には彼女を作っていて、次の週にはそれが違う女になっていて、高校の時にはもう特定の女は作らず、夜道を気楽に歩ける程度に遊んでいた。 いつからか俺と独歩がルームシェアをするとなった時も、四三にだって当然声をかけたが、「んなもんしたら女連れ込めねーじゃん。お前は死ぬし独歩には殺されかねねー、絶対ェ嫌」とすげなく断られた。 それでもこうやってちょくちょく一緒にメシを食べるし、独歩も交えて三人で遊ぶ時もある。そうやって会う度、会う度、いつも四三は違う女の匂いを引っさげていた。 そういう男だった。 冒頭に戻る。四三からの視線が横っ面に刺さるのを感じながら、俺はちびちびとぬるくなったビールを流し込んでいた。 片膝を立てて、頬杖をつく。行儀の悪い姿勢のまま俺を睨んでいた四三が、嘲笑うように鼻を鳴らした。 「一二三さ、俺に触れるか?」 その言葉の意図がわからなくて、つい顔を向けてしまう。 四三は案の定嘲笑を貼り付けたような顔をしていて、頬杖を付いたまま片眉を寄せた。 「お前が怖くて怖くてたまんねえ女と、俺は今朝もヤったよ。女と乳繰りあって、女の体液がそれこそ染みこむくらいあっちこっちべたべたになって。俺のが女のナカに出入りしてんだよ。それに触れんのか、お前」 想像、してしまった。 みだらに睦み合う四三と、どこで見かけたかもわからない顔もあやふやな女の姿を、想像してしまった。 次の瞬間には「ゔ、」と嘔吐いてしまい、四三がそっとゴミ箱を足で俺の方に寄せてくる。耐えきれなくて、そのまま吐いた。聞いたこともない女の声が、俺の脳内で甘ったるく四三の名前を呼ぶ。食ったばっかの晩メシを全部吐いて、中身がなくなっても胃液だけ吐き続けた。 涙も鼻水もだらだらこぼれた汚い顔で、四三を窺う。頬杖を付いていた手が鼻を摘まみ、それでも目だけは「そらみろ」と言わんばかりに細められていた。 洗面所で口をゆすぎ、ゴミ箱の中身を処理して、真っ青な顔をぶらさげながらリビングに戻る。 窓が開けられていた。夜風に揺られるカーテンの向こうで、四三が煙草を吸っている。 俺が戻ってきたことに物音で気付いたんだろう。ベランダに立ったまま、室内の俺へと振り向いた。俺は煙草を吸わない。臭いもあんまり好きじゃない。だからこの境界線を、越えられない。 「わかったろ。お前のそれは当分治んねーし、お前に男を抱く度胸も男に抱かれる度胸もねえよ」 「……男とヤれるかは、わかんなくね」 「いーやわかるね。どーせお前、さっき想像したんだろ、俺と女がヤってるとこ。俺の裸のがよっぽど見慣れてるだろうに、女の体ばっか想像してたんじゃねえの?」 図星だった。言葉に詰まる俺に、「な?」と煙を吐きながら笑う四三の声は、存外優しい音をしている。 「俺だって男抱く趣味もなきゃ男に抱かれる趣味もねえ。一二三が俺と、どこにでもいる恋人同士みてえにいちゃこらしたいってイチミリでも思ったんなら、それは単なる逃避だよ。恋人が欲しい。でも女はコワイ。なら男はどうだ? ってな。別にそれ自体はわるかねーし、好きにすりゃいいと思うけどよ、お前はどう足掻いてもヘテロだ。どんだけ怖くても、恋愛対象は女なんだよ」 「……、」 「一人だけ逃げてやんなよ、置いてかれたら独歩が泣くぜ」 何も言えないでいる俺の頭を、煙草を吸い終えた四三の拳が軽く小突く。 置いてかれたら独歩が泣く、か。なるほどそれは、確かに一理ある。 ここまで正確に己のことを分析されると、いっそ清々しさすら覚えた。小学校からの付き合いだ。俺の幼い初恋も、女性恐怖症になった経緯も、それを克服しようとホストになってからのことも、四三は全部知っている。俺が四三のことを、ある程度把握しているのと同じように。 逃避だと断言されれば、半ば納得はした。それでも喉に引っかかった小骨のように、なにかが引っかかる。そうじゃないと、俺の中の何かが悲痛に叫んでいる。 それはまるで駄々をこねる子供のようだった。何がどう違うのかも明確に出来ないくせに、違う違うと、否定だけを言いつのる。 喉が引き攣って、末端から徐々に体温が失せていくのを感じた。違う、違う違う! 駄々をこねる俺の声が引き攣った喉から張り裂けそうになるのを、大人になってしまった俺が必死に耐えている。 「いつまでぼーっと立ってんだよ、一二三」 呆れたような声に引き戻され、ゆるゆると四三に視線を向けてから、足元のクッションにすとんと落ちた。 うまく力が入らない。吐いてしまったせいで腹は減っているのに、食欲が一切湧かない。今日俺、仕事出来んのかな。スーツさえ着てしまえば、この虚脱感もなんとかなるんだろうか。 「……お前のそれは当分治んねーって、言ったけどさ」 「、……うん」 「それでもいつか、治る日はくるんだろうよ。そん時、素の、伊弉冉一二三としてのお前がいろんな女と接して、触れあって、それでもかわいー女たちよりイケメーンな俺のが絶対良い! ってなったんなら」 「うん……」 「ま、そうなったらしゃあねえからな。一考の余地くらいは残しといてやるよ。抱かれてはやんねえけど」 くしゃりと笑って、四三は最後に残ったビールをあおった。今更ながら、俺はともかくとして普通に焼肉屋勤務の四三が仕事前に酒を飲んでいいのか、と考えはしたけど、まあ四三のことだからいいんだろう。こいつは酒に弱いわけでもない。 四三はいわゆる、ヤリチンと言っていいだろう男だった。でも、女にはべらぼうに優しかった。だからどんだけ遊んでても、夜道を怯えて歩く必要はなかったし、女の選び方がうまかったのか、俺みたいに強く執着されることもなかった。 そうやってのらりくらりと、上手く生きている男だから、俺はこの幼馴染みが好きなんだ。俺に出来ないことを、あっさりとやってのける。俺が大事に出来ないものを、大事に出来ている。 憧憬にも似たそれは、けれどやっぱり、逃避でしかないんだろう。違うと叫ぶ俺はまだ居座っているけど、かといってはっきりとした反論も出てこない。 「――そん時は、俺っちが女の子役なわけ?」 「抱きたくもねえ男抱いてやるかもしんねーっつってんだから、それで勘弁しろっての。幼馴染みに求めるハードルが高ぇよ」 「俺より四三のが身長低いじゃん」 「一センチだけな!? ガタイは俺のが上だわナメんなへなちょこ。一二三も独歩も俺に腕相撲で勝ったことねーだろ」 「そうだけど。……ちぇー。女性恐怖症治して、それでも女の子より四三のがいいってなったら、俺っち脱童貞じゃなくて脱処女しなきゃいけねーのね……」 「なりたくなきゃ頑張って最愛の彼女作れー。俺のためにも」 けらけらと、ほとんど無理矢理笑って、だけど俺は笑えていた。 きっと、所詮俺の抱いた恋情のような想いは、その程度のもので。四三がきっぱりと否定してくれたから、その上で、逃げ道まで残してくれたから、こうやって笑い流せる程度のもので。 でも、でもな、だけどさ、四三。 俺は確かに、お前が今まで抱いてきた女たちに、嫉妬したんだよ。 |