[9/10] 正直なとこ、きっと俺の想いが成就されることはないんだろうな、という諦めは少し前から抱いていた。 魔法使いの三十路はちょっとやそっとのことじゃへこたれねーけど、一旦泥に足を掬われると、そっから抜け出すのが難しい。感傷に浸りやすい年頃なのである。 それでも、へこたれてなんかやんねーぞと奮起する子供の俺が、まだ心の中にいるから。諦めてなんかやらねえと唇を噛み締めている俺がいるから。俺は諦めから目を逸らして、掴めるかもしれない四三との未来にしがみついている。 いつか好きになれるかもしれない運命の女の子でもない、俺を好いてくれる子猫ちゃんたちでもない。俺が欲しいのは、ヤリチンで女好きで、軽薄なとこもあっけど周りの人間を大事にしてて、立ち回りの上手い、軻遇突智四三って男なんだ。四三だけなんだ。 そうやって、ずっと、言い聞かせてる。 独歩によるお説教会が開かれてから一月後。四三は再び俺らの家を訪れていた。 連絡もなしにやってきた四三に目を丸くしていれば、「仕事前に来いって独歩に呼ばれたんだけど、お前話聞いてねーの?」とのことで。一つも聞いていなかったし、当人である独歩は珍しく昼前に一人で起きてきて、「ちょっと出かけてくる」と昼過ぎには家を出ていた。 「聞いてねー。え、なに、まさかのお説教セカンド?」 「座禅かってくらい正座したのに? つーかそんな感じにゃ聞こえなかったけどな。とりあえず上がるぞ」 「おう……。晩メシ足りっかなあ、種類増やすかあ」 パスタならまだあったはず……と台所に向かっていく俺の後ろで、四三は慣れたように鍵とドアガードを閉めている。 室内に進んだところで、そういやこれ、とキッチンカウンターに置かれたのは、有名なパティスリーの紙袋だった。 「うっわめっちゃ高ぇとこのやつじゃん! どしたんこれ?」 「結婚式の引き菓子。この前ユウコの結婚式だったんだよ、旦那すげー金持ちでさあ、これとは別に紅茶ももらったんだけどまあ高えわうめえわで。お裾分け」 しばし記憶をさらい、ユウコとは確か四三いわく健全な連れ、の一人だったはずだと思い出す。二十を過ぎたばかりくらいの年頃だった気がするが、そうか結婚か……と形容しがたい気持ちになりつつ、渡された缶の箱を受け取った。 封を切って蓋をあければ、煌びやかな焼き菓子が目に飛び込んでくる。それなりに高いものは食い慣れてるし、このパティスリーのものも食べたことあるはずだが、これは見たことがなかった。どれも美味そうだ。 「結婚式のためだけに作らせたんだとよ、金持ちはやることが違えよなあ」 「ひえーブルジョワ〜。俺っちもそういうことやってみてえ〜」 「ナンバーワンホストが何言ってんだ、余裕でやれるだろ」 「いや余裕ではやれねえよ、ホストを何だと思ってんの? 俺普通の一般家庭生まれだかんね?」 晩メシ前だが一つ摘まむ。サクサクと香ばしいそれはメイプルの風味を漂わせていて、鼻に抜ける香りが幸福感を引き寄せる。うめえ……と目を瞑って堪能する俺に、四三はケラケラと笑っていた。 このままだと独歩の分まで食べきってしまいそうだ。名残惜しみながらも蓋を閉め、後日のおやつにとっておくことにする。 晩メシの準備を始めた俺の正面、ダイニングテーブルについた四三は、空になった紙袋を丁寧に畳んでいる。慈しむような瞳は、俺に向けられたものじゃない。 「はーあ、俺のかわいーオトモダチがどんどん他の奴のモンになってく」 「オトモダチな時点でハナから四三のモンじゃねーじゃん。つーかよくぬけぬけと結婚式顔出せるよな、普通遠慮しねえ?」 「けんつくすんなよ優しくしろ。かわいいかわいいオトモダチの晴れ姿だぞ、直でこの目におさめなきゃ元が取れん。バタフライ熱唱してやったわ」 「それ女友達が歌うべき曲じゃね」 「いーんだよユウコもケイコも旦那も親御さん方も号泣してたから」 「それヒプノシスマイク使ってね?」「持ってねえよヒプノシスマイク」と、各々顔も見ずに話し続ける。今日の四三は、少しだけ普段よりも口数が多かった。 感傷に浸りやすい年頃、なのは四三も同じなのかもしれない。 不特定多数のトモダチは多くても、特定の女は絶対に作らない、四三。それが俺の拠り所ではあれど、四三にとっては別の何かだ。線引きかもしれないし、中王区を守る壁のようなものかもしれないし、こいつなりの思いやりなのかもしれない。 俺のためであればいい、なんて希望的観測は、さすがに持てなかった。 そうやって特別を作らない四三は、トモダチである女の子たちにとっても、特別にはなり得ないんだろう。俺と子猫ちゃんたちとの関係性とも違うそれは、本当に友だち関係の延長線上だ。こいつが可愛がる女の子たちはいずれ、他の誰かの宝物になり、四三の元を離れていく。 「ケイコのパーティードレスも可愛かったけどよ、やっぱウェディングドレスはダンチだよなあ。綺麗だった。本当にさ、今までで一番。この世の幸せ全部自分のもんだってくらい、かわいく笑ってたんだよ」 「よかったじゃん」 「……ああ、良かった。いいことだ」 ぽつりと呟いてから沈黙したかと思えば、バンッと音をたてて机に突っ伏す。もしかして酔ってんのかこいつは。 「俺は別にブリーダーになりたいわけじゃねえんだよクソ〜!」とくぐもった嘆きが響き、タイミング悪く帰ってきたところの独歩が、ドアを半開きにしたままビクッと体を震わせていた。 「た、ただいま……? 四三は、どうした……捨て猫でも拾ったのか」 「むしろ俺が捨て猫だわ」 「じゃあ俺っちが拾ってやっから元気出せって四三〜。おかえりー独歩。けっこー色々買ってきたんだ?」 「あ……ああ、まあ、いろいろ……」 「野郎に拾われてもなんも嬉しかねーわ……あーでもメシは美味いんだよな〜……」 呆れる俺に、項垂れる四三、困惑する独歩。なかなかに狂った空間だ。 独歩は買ってきたものをソファの辺りに置いて、四三の向かいに腰を下ろす。あの紙袋って服と靴だよなと眺めていれば、「ええと、その、いいか? 四三、今大丈夫か」と、独歩は何かしらの話を始めようとする。 机に突っ伏していた四三がゆるりと顔を上げ、そのまま背もたれに体を預けた。俺も晩メシ作りの手を一旦止め、四三の隣に移動する。 「わざわざ俺を呼び出してまで話したいことがあんだろ? 俺のことは気にすんな、大丈夫だから」 「そーそー、モテ男がフラレただけだし」 「振られたわけじゃねえよトモダチだわ」 俺を肘で小突いてくる四三を見て、大丈夫だと判断したんだろう。 独歩は姿勢を正し、あのな、と口を開く。 「どうせ一二三も四三も、隠したところでどっかから情報手に入れてくるだろうし、俺もお前たちに相談したいから、話す。――再来週の、土曜日、雅さんと昼から……その、出かけることになって。そこで、こ、告白を、だな、しようと、思うんだ」 「「……」」 四三と俺とが絶句する。真っ赤な顔で目を泳がせる独歩を凝視して、次の瞬間には俺と四三の声が重なった。 「「まだ告ってなかった!!?」」 予想外とかいう範疇を遙かに越えていた。 俺も四三も、独歩と松雪ちゃんのデートを全部が全部追えていたわけじゃない。さすがにそこまで暇人じゃないし、仕事帰りの突発的デートなんかは知るよしもなかった。 だから俺らの知らないとこで、きっと告白して、もう付き合ってんだろうとばかり……。 だってあんだけの頻度でサシ飲みして、松雪ちゃんも相当肩の力抜いてた。独歩さん雅さんなんてちょっと堅苦しさは感じるけど名前で呼び合ってて、なのに日中デートが初で告白もまだ!? マジか!? 「声がデカい……そこまで驚かなくてもいいだろ、その……タイミングが、なかったんだ……」 「タイミングなんかアホほどあったろ!? よく今まで松雪ちゃんに逃げられてなかったなお前逆にすげえわ! あれから何ヶ月経ったよ!?」 「てことはずっと友だちとしてあんだけサシで出かけてたわけ!? マジで逆にすげー! 松雪ちゃんも気が長ぇってレベルじゃねーじゃん!? 一周して脈あんのかねーのかわかんなくなってきた!」 つい勢いのまま四三と共に言い募ってしまえば、独歩の体がどんどん小さくなっていく。 「そう……そうだよな、俺に意気地がないばかりに……きっと雅さんも心の中では迷惑がって……いっそ告白なんて図に乗ったことせず、黙って姿を消すべきなんじゃ……ああでも職場で顔を合わせてしまう……雅さんが目の前にいるのに目で追わないなんてのは無理だ、あんなかわいい人を見ずに生きるなんてもう目を潰すしか……」と、悲観的なんだか何なんだか、よくわからない独り言をぶつぶつ呟いている。 日中デート、告白、と聞いて、今日の独歩の行動に合点がいった。買ってきたあれらは、いわゆる勝負服というものなんだろう。気合いの入り方が違う。 驚きは次第に高揚感へと変化していって、俺は身を乗り出すと縮こまっている独歩の肩を強く叩いた。ばしん、と思いの外籠もってしまった力に大きな音が鳴って、独歩の体が跳ねる。 「自信持てって独歩! な!? お前あんだけ頑張って自分から行動してきたんじゃん、松雪ちゃんにも絶対伝わってるって!」 「……だな、独歩、お前がそんだけやる気出してんの初めて見るし。応援するよ。俺と一二三で出来ることがあんなら、何だって協力してやる。だからあと一歩、がんばれ!」 同じく身を乗り出した四三が、独歩の反対側の肩を叩く。再び体を跳ねさせて、けれど独歩は痛みを訴えることもなく、今にも泣きそうな顔で唇を噛んでいた。 「あり……がとう、一二三、四三……。――……でもお前ら、絶対着いてくるだろ……」 「そりゃ告白なんて見逃すわけにはいかねえだろ!」 「うんん〜四三正直者すぎる〜! でも俺っちもめちゃくちゃ気になる! ごめん!!」 「ハア……もう、好きにしろ……頼むから邪魔だけは絶対にするなよ……」 |