願いは事実よりも深い [4/4]


ネットで調べてみたところ、飛行船で半日ほどの距離にある海沿いの街が、どうやら有名な観光地らしいことをシエミは知った。写真を見る限り、イタリアのヴェネツィアに雰囲気が近い。
旅行サイトのURLも載せて、ここがいいです、とフィンクスにメールを送る。深夜の二時手前頃だったが、三十分後には返信が届いた。
「飛行船とホテル予約しといた」とだけのメール。早いなあとシエミは小さく呟いて、少しだけ首をひねる。

フィンクスがネットでの予約やらに強い印象はあまりない。そもそも携帯だって電話とメールにしか使ってなさそうな人だ。もしかしたら、情報関係に強いあの人を叩き起こしでもしたんじゃなかろうかと、ちょっぴりの不安。
だとしてもシエミには関わりのないことだ。幻影旅団員の内、その情報に強いだろう人を含む二人はシエミを知ってはいるだろうけど、彼らと会うことはない。フィンクスも当然、会わせようだなんてしない。
でももしそうだったとしたらごめんなさい、と彼らの住居がどこかも知らないまま空に手を合わせ、「ありがとうございます」とだけ返信した。


実際に行ってみれば、あまりこの世界を知らないシエミにとって、旅行はとても楽しめるものだった。
あの幻影旅団の一員と旅行をしている、と考えると変な感じはしたが、シエミと二人でいる時のフィンクスは、旅団らしさをまったく見せない。
だからこそシエミはまるで普通の恋人のように旅行を楽しめたし、フィンクスとの仲もより深まったような気がした。

まず、フィンクスが予約してくれたという部屋は、ダブルベッドの一室だったのだ。
部屋を見た瞬間のフィンクスが「シャルの野郎……」と呟いていた辺り、シエミの想像は真実だったらしいと判明もしたが、シエミ自身もそれどころではなかった。
こんなのは初めてだ。男性と二人きり、一つのベッドで寝るなんて、シエミはこれまの人生で経験したことがない。知識だけは持ってるせいで、かああ、と全身を真っ赤に染めてしまったのもいい思い出……とは、さすがに言えなく。
とはいえ今更別の部屋を用意するのも面倒くさがり、結局二人はその部屋に泊まった。

あとは普通に観光をして、美味しいものを食べたり、お土産を買ったり、写真を撮ったり。
もちろんフィンクスは写真に写ろうとしなかったので、シエミが撮ったのはもっぱら景色の写真ばかりだ。
「んな海ばっか撮って楽しいのかよ」とフィンクスは呆れ面だったが、それでも楽しげにしていた。シエミも楽しかった。


 *


フィンクスとシエミの関係は、穏やかながらも着実に、ゆっくりと進んでいった。
旅団が狩り場を変えればシエミもそれに伴って引越しをしたし、当分旅団の仕事はない、という状況になったら、適当な街で二人暮らしもした。

シエミの浮かべる笑みが自然なものになるにつれ、フィンクスは安堵を抱えていく。
このまま、あの日の約束なんて忘れてしまえばいい。絆されてしまえばいい。そうすればフィンクスは、シエミを殺すなんてこと、しなくてすむ。
基本的にフィンクスは執着が薄い人間だが、それは全てに執着しないわけではなく、その範囲が狭いだけの話だ。自分の決めた範囲の中に入る、それなりのものが見つかれば、フィンクスといえど執着心くらいは湧く。
今のフィンクスにとって、それがシエミだった。
ずっと、フィンクスが生きている限りはずっと、生きていてもらいたい。隣で笑っていてほしい。らしからぬことは理解している、馬鹿らしい願望だ。それでもアホくせえと捨てることは出来ない、願いだった。

シエミの笑顔を見ていたい。その気持ちに変わりはない。
穏やかな日のような安心感は、シエミがいなければ得られないものだ。自分には到底見合わないものだとわかっていても、一度その温もりを知ってしまえば、離れがたかった。離れようとすら思えなかった。

当然、シエミの幸せを考えるのであれば、手放すのが一番だとも理解している。
どれだけシエミに執着していようとも、それが幻影旅団を離れる理由にはならない。フィンクスが蜘蛛の一部、手足であることは、変わりようがない。
そんな人間がそばにいれば、どんなにフィンクスが気を張っていようとも、いずれはシエミに危険が及ぶだろう。
そうなってしまえば、シエミの笑顔は見られなくなってしまうかもしれない。フィンクスが幻影旅団であることを知っているシエミといえど、目の前でフィンクスの戦いを、人を殺す瞬間を見てしまえば、もうあの穏やかな日のような笑みは、浮かべなくなってしまうかもしれない。

はじめの頃は、接客用の愛想笑いでもかまわなかった。シエミが笑ってさえいれば、何でもいいと思っていたはずだ。
けれどシエミが心から浮かべる笑顔を見てしまえば。その笑顔に慣れてしまえば、もう愛想笑いなんかじゃ満足できないだろう。そんなものが見たいわけじゃない、と声を荒げかねない気すらする。

そうなってしまった時、自分はどうするのだろうか。フィンクスは想像しかけた思考を、無理矢理止める。
離れないし、離さない。自分がちゃんとシエミを見張って、守ればいい話だ。
そこまで考えて、自嘲した。誰かを守るなんざ、柄じゃないだろうに。

 
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