「わたしをころせ…………」 翌日、無事元に戻った私は悲しいかな全てを覚えていた。 フィンクスにウザ絡みしたことも、結果ブチギレさせてしまったことも。タカト先輩に、どうも塩対応的な対応をしてしまった……ことも……。 いや無理。どう考えても無理。普通こういうのって翌日になったらけろっと「あれ? 昨日何があったんだっけ?」みたいになる感じじゃないの。何で覚えてんの。 パクの家に泊まったから、今の私はパクの家のソファに沈んでいる。 もう嫌……無理……お外出たくない……と完全に引きこもりの心境だ。フィンクスにも先輩にも会いづらいというか会いたくない。気まずさが天元突破。このままソファの一部になって引越しの時に捨てられたい。 「そう落ち込まなくても大丈夫よ、ミズキ。フィンクスもタカトも事情はわかってるんだから」 「パク……。……でもやっぱ無理……何でタカト先輩にだけあんな感じだったんだ私……絶対気まずい……」 「それは、ミズキがタカトのことを好きだったからじゃないかしら?」 どういうこっちゃと思わず顔を上げる。 優雅にコーヒーを飲んでいたパクは、頭の働いていない私のために説明をしてくれた。やたらと丁寧に。 「敵の念能力のせいで、昨日一日、ミズキの好きな人はフィンクスになっていたようなものでしょう? でも元々好きな人がいて、その人を好きなままだったら念能力の意味がない。恐らく、ミズキがタカトを好いていた気持ちは、昨日一日消えていたと思うの。そうでしょう?」 「……うん」 「あなたの行動原理は、タカトへの想いであることが多い。タカトが好きだから、タカトが何よりも大切だから、で行動していたのに、その根元が消え去っていたんだもの。タカトに対してどう接すればいいのか、どう扱えばいいのかわからなかったんじゃないかしら。好意がなくなれば、それこそただの先輩、だもの」 昨日の自分を振り返りつつ、なるほどと納得はした。けれど気持ちが追いつかない。 そんな、たかだか念能力程度で消え失せるほどの気持ちだったのか。タカト先輩への好きだって気持ちがなくなれば、ああまで私はあの人を突き放すことが出来るのか。 否定出来ないのは、それが起きてしまった事実だからだ。私のこの想いは、こんなにも呆気ないものだった。 たとえ片想いの相手としての好意がなかったとしても、タカト先輩というその人自体を私は好きだ。好きなはずだ。部活の時は教え方が上手くて、話してみると楽しい先輩だったし。こっちに来てからだって、優しくて、強くて、一緒にいると落ち着いた。私の拠り所だった。 はず、なのに。 実際はそんなことなかったんだろうか。好意がなくなれば、私はタカト先輩から興味も失せて、心配される理由にもまったく心当たりがない、ただたまたま同じ世界で生まれただけの人、になってしまうのか。なってしまっていたんだが。 なんか……それ、やだなあ……。 「自分の気持ちの安っぽさを目の当たりにした気がしてつらい……やっぱりしぬしか……」 「謝る必要はあるかもしれないわね。敵の攻撃を受けたのは、ミズキの不注意が原因なんだから。あなたなら避けられたはずよ」 「油断と慢心は命取りだね……正直先輩との初共闘でテンション上がってました」 「想像つくわ。それに、敵はミズキたちを殺しにきてたんでしょう。なのにあなたたちは殺そうとしなかった。それもつまりは、油断と慢心。ミズキは強いわ。少し意識を変えるだけで、今までのミスは全て払拭出来ると思う」 「肝に銘じときます」 再びソファに沈み、数秒考え込んでから、勢いをつけて起き上がる。 とにもかくにも謝ろう。なんにせよ迷惑をかけたのは事実だ。私の気持ちなんかより、タカト先輩の、あとついでにフィンクスの気持ちを考えるべきに決まってる。あと他のみんなにも謝ろう。パクには戻った瞬間土下座キメたから他のみんなにも土下座すべきか。 先輩とフィンクスに土下座で足るのかは、微妙なとこだけど。足らない気がする。土下寝か? 逆に謝ってないな。 「とりあえずみんなに謝ってくる!」 「そうしなさい。コーヒーは?」 「飲む」 くすくすと笑うパクにコーヒーをもらい、のんびりタイムで覚悟を決める。 タカト先輩やフィンクスが怒ってたとしても、気にしてなかったとしても、謝らなきゃ。フィンクスはともかく、きっと先輩には嫌な思いをさせた。不安にもさせてしまったかもしれない。 人のことはあまり言えないけど……あの人は多分、私よりも脆いから。 状況がそうさせているだけだとしても、タカト先輩にとっての私は、それなりに重要な立ち位置にいるはずだ。そんな立ち位置の人間に、あんな、居ても居なくてもどっちでもいいような対応をされたら、嫌に決まってる。少なくとも私は嫌だ。逆の立場だったら号泣してた自信がある。 だから、もしとても傷つけてしまってたとしても、謝らなきゃいけない。傷つけてしまったのだから、謝らなきゃいけないんだ。 いってらっしゃいとパクに見送られ、自分の家へと向かっていく。 気持ちはさながら戦場に向かう兵士だ。戦いはしないけど、精神的には割と修羅場っている。 いっそふざけんなよと殴られでもすれば、私の気は楽になるんだけど。タカト先輩はそんなことしないだろうし、したとしてもそんなことで先輩の気は楽になんない。 数分で辿り着いた、私の家。先輩の住む家。気配は家の中にあるし、一人きりのようだ。私が帰ってきたことにも気付いているはず。 ていうか先輩、自分の部屋にいるっぽいけどこれ押しかけていいんだろうか。共有スペースまで出てきてくんないかなあとか自分勝手に考えつつ、玄関で靴を脱ぐ。 気配が動かない辺り、もしかしたらまだ寝てるのかもしれない。日はもう随分高くなってるけど、先輩も昨日は疲れただろうし。昼寝をしててもおかしくない。 ともあれここまで来ちゃったんだから、マジで覚悟決めるしかないな……。 すうっと空気を吸い込み、玄関からリビングへと続くドアを開け放つ。 「ただいま! ……です!!」 そういやタカト先輩とここに住み始めてから、ただいまなんて言ったことなかったなと思い出す。思い出しながら、ずんずんと奥へ進んでいった。 もうどうにでもなれ。なるようにしかならないのだ。 先輩の部屋に着き、二度ノックをする。しばらく返事はなく、やべえこれマジで昼寝中だったらどうしよう、と思い始めた頃、微かな音量で曲が響いてきた。 自然と開くドア。そ、操作系便利ぃ……自動ドアじゃん……。 「えっえぇっと……ただいま帰りました、タカト先輩。その……ですね……」 いざ本人を目の前にすると尻込みしてしまう。 とりあえず寝てたわけではないらしい。ソファに浅く座ったタカト先輩の手元には、栞の挟まれた一冊の本。読書中だったみたいだ。 言い淀む私を見上げ、「入れよ」と静かに告げられる。 ……えっ、入っていいの? 先輩の私室に? と思考に急ブレーキがかかった。えっそれなんかへたな二人っきりより緊張するんだけど私大丈夫か? ここが私の墓場か? パニクりながらも「お、お邪魔します……?」なんて何故か疑問系で呟き、タカト先輩の部屋に入る。入るのも、なんなら見るのも初めてだった。 私の部屋と比べて物が少なく、あんまり生活感がない。私はベッドを使ってるけど、先輩は布団派のようだ。隅にきちんと畳まれているのが見える。あとは小さいテーブルと足のないソファ。小さい本棚が一つ。それだけ。 「もう、元に戻った……んだよな」 「えっ? あっはい、戻りましたいつものミズキです」 どこに座ればいいんだろうと思っていれば、手招かれる。いやもうここでいいんですけど……ドアの前で正座しときますよ私……。 あの、だって座るとこ、ソファしかないじゃないですか。タカト先輩が既に座ってるソファ。あかんでしょ。だめなやつだよ。 気分的には数時間、実際には二秒ほどの逡巡を終え、結局私は先輩の正面に正座する。少し怪訝そうにされたけど、何も言われなかった。 「その……昨日のこと、ごめんなさい。戦闘でも、その後も、タカト先輩に迷惑かけました。ごめんなさい」 とりあえず土下座の用意だけはしつつ、出来るだけはっきりと謝罪する。 先輩は無言で、見えないけど多分、私を見下ろしていた。じっと見つめていた。なんとなく視線を感じる。髪跳ねてないかな、なんて場違いにも考えてしまう。 無言でいられるのは想定外だったので、私は困惑していた。これ以上何を言えばいいのかわからない。やっぱり土下座をすべきだろうか。 「……なあ、ミズキ」 「ハッ、はい?」 思いっきり声が裏返った。顔を上げた先で、先輩は一瞬だけ目を丸くしてから、小さく笑う。 ……あ、よかった。笑ってもらえた。そう思ったのも束の間。タカト先輩の表情が、真剣ながらも寂しそうなものに変わる。 「俺、多分ミズキが必要なんだよ。この世界で生きてくためだけじゃなくてさ、なんつーか……俺が生きてくのに、お前が必要なんだ」 急ブレーキどころでなく、思考が完全に停止した。 待て、私は今、何を言われた? 「だから、ミズキがいなくなるかも、ってことすら考えたくない。お前が蜂に刺されて眠ってた時、情けねーけど……マジで怖かったんだよ。このまま起きなかったらどうしようってな。んで起きたらああだし」 「す、すみません……」 「もう、あんな思いはしたくない」 くしゃりと、泣きそうな顔をした。タカト先輩の泣きそうな、弱っているような顔は、見たことある。でもあの時は、辛うじて誤魔化してくれていた。笑おうとして笑えなかった、歪な笑顔を見せてくれた。 でも今の先輩は、笑ってない。笑おうとすることすら、出来ていない。 呼吸が止まった気がした。心臓も止まった気がした。 それなりに重要な立ち位置、なんてものじゃない。この人はこんな場面で、嘘を吐く人じゃない。 本心から私を必要だと、失いたくないと、思ってくれている。 嬉しいとか、照れるだとか、そういった反応は意外にも出てこなかった。ただただ心臓が痛かった。止まったような気がした心臓が、どくどく、ずきずき、痛みを広げるように脈動している。 「私――……、」 言おうとしたはずの言葉が、舌の根元で霧散する。 漏れようとした吐息を飲み込んで、頭の中まで戻して、きちんと言葉を並べ直してから、もう一度口を開いた。 今度は言える。ちゃんと、伝えられる。 「私も、私にも、タカト先輩が必要です。忘れたくない、離したくない……っ、心配したいし、心配されたいです。でも一番は、一緒に笑ってたいです。みんなと、タカト先輩と。迷惑、かけて、ごめんなさい。あなたを不安にさせて、ごめんなさい。もう絶対、絶対に、タカト先輩を不安にはさせません」 「……ミズキがなんも話してくんねーのが不安」 「先輩そういうとこありますよね〜……!?」 今回は雰囲気変えようとしてくれんの早いなー! と謎のぶん殴られた感を抱きつつ、笑う。先輩も笑っていた。今度はちゃんと、笑ってくれていた。 「なあミズキ。もっかい、俺のこと呼んでくんね?」 「タカト先輩?」 「うん、……うん、だよな。そっちの方がしっくりくるわ」 「そうですか? 毎回タカト先輩ーって呼ぶの、地味に口が疲れるんですよね」 「じゃあタカトって呼べばいんじゃね」 「無理です」 「即答かよ」 まだ心臓は痛い、けど普通に話せている。ちょっと失礼な軽口だって言えている。 この痛みの正体は、私にはわからなかった。喜びでも嘆きでもない、めちゃくちゃ痛いけど、嫌ではない痛み。 この人を傷付けたくないと、心底思った。 今までは正直、守らなきゃ、って気持ちが強かったんだけど。守りたいと、再認識した。 私はタカト先輩の、支えでありたい。この世界でタカト先輩が生きていくための、足場でありたい。 ← → 戻 |