ゾルディック家がある、パドキア共和国のククルーマウンテン。
そこまで向かうための飛行船の中で、私と先輩は対峙していた。いや厳密に言うと対峙とまではいかない雰囲気なんだけど。私の心境は今でも割と修羅場だ。

「じゃあ、……話しますね」
「……ああ」

グラスの水を一口飲んで、喉を潤す。

とうとう、この瞬間が来てしまった。タカト先輩に、全てを話す日が。
この世界がどういう場所で、どういうストーリーで、誰が作り出し、誰を主役として、進んでいくのか。それを今から、何も知らないままみんなと仲良くなったこの人に、話すんだ。

「タカト先輩は、漫画とか読みますか?」
「……いや、あんまり。それがなんか、関係あんの?」
「なら、知らないのも無理ありません」

本当に、言っていいの?
不安が胸をよぎる。でも今更、もう戻れはしない。先輩との約束を、反故にも出来ない。
ごくりと唾液を飲み込んで、宙に言葉を置く。

「この世界は、漫画の世界なんです」
「は、……、え……?」

先輩は理解出来ていないようだった。
それでも話せと言われたのだから、話すと、決めたんだから。私は言葉を続ける。

「HUNTER×HUNTER、週刊少年ジャンプで連載中の有名な作品です。最新で三十四巻まで出ています。主人公はゴン、キルア、クラピカ、レオリオの四人。中心はゴンですね。旅団のみんなは、おもにクラピカの敵として描かれています」
「どういう……ごめ、ちょっと待って」
「――はい」

やっぱり、話さない方が、よかったんじゃ。
そう思うけれど、目の前で私の言葉を精一杯理解しようと努めている先輩を見ると、そんなことは言えない。今更、途中やめも出来ない。
先輩が落ち着くのを待ちながら、もう一口、水を飲んだ。

「つまり、俺らが今まで話してたやつらはみんな、架空の存在……ってこと?」
「そうですね。冨樫義博という作者の作り出した、空想上のキャラクターです」
「そ……んな、まさか、」

静かに顔を動かす先輩の、視線が向かう先。
そこにあるのは、ゴンたちが眠っている部屋の扉だ。

「ここが漫画の世界だから、私はそれを読んでいたから。旅団のことも、ゴンたちのことも、今年のハンター試験で何が起こるのかも、全部知っていたんです。イルミがキルアに酷いことを言うのも知ってました。キルアがボドロさんを殺すことも知ってました。だから私は、あの場で誰よりも早く動けたんです」
「……ミズキ、」
「みんなが紙面上の存在で、これからどうなるのかも、生きるのか死ぬのかも、全部知ってる私は、何も知らずにみんなと仲良くなっている先輩に、それを教えたくありませんでした」

私は、みんなから向けられる好意が怖い。
そのおかげで生きていられている以上、よかったと思う気持ちはある。当然、嫌われるよりは好かれている方が嬉しい。みんなと話が出来るのはとても嬉しいことだし、私だってみんなのことが大好きだ。
でもその好意が返ってくることには、違和感を覚える。

結局、HUNTER×HUNTERという作品が好きで、漫画として世界やキャラクターを見ていた私にとっては、みんなは紙面上の存在でしかなくて。
でも、間違いなくみんなは今ここで、自分の意思で生きていて。心臓は動いているし、体温はあるし、呼吸だってしてるから。

そんな考えを持つ自分が、嫌だった。そんな違和感を、タカト先輩にまで抱かせたくなかった。

「隠していて、ごめんなさい。隠すことで、余計に先輩を不安がらせてしまう可能性までは、考えてませんでした」

だけど私は、目の前で黙り込む先輩を見て、後悔している。
やっぱり話すべきではなかった。黙っていればよかった。たとえ先輩に嫌われたとしても、見捨てられたとしても。
これは言うべきじゃ、なかったんだ。

「……ごめん、ミズキ。ほんとにごめん」
「っ、え?」

なのに先輩は、私たちの間にある机に手をついて身を乗り出し、私の頭を優しく撫でてくれた。
今でも困惑して、戸惑っている、泣きそうな笑顔で。

「わかったよ。何でお前が今まで、頑なにそれを隠してたのか。俺のために、悩ませてごめん。無理矢理話させて、ごめん」

ぐ、と何かを、耐えるような表情。私を見つめる金色の瞳が、ゆらゆらと揺らいでいる。

「聞いてからわかったって、遅いのにな。……俺はやっぱりそれを、聞くべきじゃなかったよ」

耐えるように、誤魔化すように、タカト先輩がくしゃりと笑う。笑おうとして笑えなかった、いびつな笑顔だった。
その表情を見た瞬間に、自然と溢れだした涙が頬を伝っていく。

ぐちゃぐちゃになった感情が、涙となってどんどんこぼれていった。
やっぱり言わなきゃよかった。先輩を悲しませた、困らせた。私が黙っていることを選べば、耐えるのは私一人だけで済んだはずなのに。ごめんなさいは、私の台詞なのに。

「ミズキに、全部背負わせてごめん。でも俺も、悩むし……まだわけわかんねえけど、これからは、」

頭を撫でていた手が静かに降り、ぎゅ、と私の手を包み込む。
呆然と、涙の膜越しに見える、繋がれた手を眺めてから。先輩へと、顔を上げた。

「俺も一緒に、背負うから」

繋がれた手に、力がこもる。

「ありがとう、ミズキ。話してくれて」

止まらないままの涙を、ちょっと乱暴に服の袖で拭われた。
数秒の間をあけてから現状を理解した私は、びっくりして、一瞬固まったあと思いっきり飛び退いてしまう。座っていたソファの背に身体を全力でぶつければ、ソファが後ろに動いた。
そんなびびんなよと、先輩が苦笑をこぼす。

「あいつらが、旅団のみんなが漫画のキャラクターだなんて、まだ信じられねえよ。でも、納得した自分もいるんだ。ああ、だからどいつもこいつも、みんなあんなに強いんだなって。フィジカルだけじゃなくて、メンタルもさ。
 ……これから、どうみんなと接すればいいのかとかは、わかんねえけど。でも、ミズキはそういう葛藤を、最初からしてたんだよな。全部知ってるミズキがいたから、俺は生きて今ここに居られて、今までみんなと楽しく話せてたんだ」

ソファを戻し、姿勢を直したあとで、先輩は静かにそう告げる。

「だから、ありがとう、ミズキ」
「……せんぱい、」

それは、私だって同じだ。ありがとうを言うのは、私の方なんですよ、先輩。
タカト先輩がみんなと、屈託のない笑顔で接していたから、仲良くしていたから。ああここは普通の世界なんだって、ハンターの世界だけど、みんなが普通に生きている世界なんだって、思えたんだ。
だから私も、みんなと普通に話せて、みんなを大事に思うことができた。

タカト先輩が、いてくれたから。大好きな人が、隣にいてくれたから。
私は、自分を保てた。

「――んで、さ。今までのもわかってたってことは、これから何が起きるかも知ってんだよな。それでミズキは三次試験の時とか、面倒事回避してたんだろ? これからは俺にもそういうの、教えてくれるよな」

うって変わって、にやりと笑いながら先輩は私の隣に座り直し、肩を組んで顔を近づけてくる。近い。そして笑顔があくどい。

……雰囲気を変えようとしてくれてるんだとは、すぐにわかった。
本当に、優しい人。

「先輩まで面倒事を回避してたら、周りに不審がられちゃいますよ」
「ひっでえ、俺にも背負わせろって言ったばっかなのに」
「渡す荷物は選びます。……冗談ですよやだなあ!」

すっと先輩が音楽プレイヤーを取り出したのが見えて、瞬時に笑顔を貼り付ける。
やだもうなんかほんとにタカト先輩、シャルと似てきてる。でもそんなとこも好き! くやしい!

「ええっと、結構ショッキングな話も多いですし、私のせいで話が変わったとこもありますから、時間もかかるし内容もアレなんですけど」
「大丈夫だよ。時間はまだあるし、試験でグロ耐性もついたから」
「ウワア……」

で、ですよねー! 目の前で身体に腕突っ込まれた人間見てますもんねー!

じゃあまあ、ゆっくり話していきますね、と前置きをして。
これからゾルディック家でどんなことが怒るのか。それからゴンとキルア、クラピカ、レオリオはどう行動していくのか。その後、ヨークシンで起こり得る可能性のある事件。なくなるはずの、なくなってほしいと願う、出来事。そして、その先。
それらを少しずつ、話し始めた。

グラスの水は、一杯じゃ足りなかった。




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