あ、だなんて間抜けた声が漏れる。 不意に、そして唐突に思い出したのは、漫画のワンシーン。ヒソカがゴンに、残り四日あるから君なら動けるようになるだろう、と伝える場面。 残り四日。今日は、四次試験開始から三日目。 つまりそのシーンが起こるのは、今日ということになる。 どうしようか。うーんと唸りながら伸びをする。 思い出してしまった以上、私はゴンに会いたい。筋弛緩剤だって量を誤れば死に至るはずだ。そうならないことを知っていても、じゃあ気にしなくていいや、とはならない。 ゴンに会って、何が出来るわけでもない。だとしても、会いたいと思った。会わなきゃいけない気がした。 そうと決まれば、だ。 「魚ばっかも飽きてきたし、ブタとかいねえか探してくる」とハンター世界に馴染みきった精神で狩りに行ってしまったタカト先輩に、置き手紙を残す。 島をうろついてくるので帰らなくても気にしないでください、先輩もお気をつけて。なるべく綺麗な文字で認め、オーラで強化した木の枝を使い、そこら辺の木に突き刺しておく。これで多分問題ないだろう。 まあメールか電話いれればいい話なんだけどな? うっかり引き止められたら困るからね。仕方ないね。 さてと、と円を広げれば、ゴンの居場所もすぐにわかる。 軽く走ったって五分もかからない距離だけど、ちょっとだけゆっくり行こう。そう決めて、私はその場を立った。 まずは木の上に跳び、先輩とのキャンプ地からやや離れたところで鞄からポーチを取り出す。ポーチの中から出てくるのは、煙草とライターだ。えへ。 火をつけてからのんびり木の上を移動し、煙を肺いっぱいに吸い込む。 「久々の煙草うっ……ま……最高……うっヤニクラ」 ハンター試験が始まってからこっち、一本も吸えていなかったんだ。仮アジトから離れてからも、精々一本か二本吸ったかどうか。つまりは一週間くらい余裕で禁煙してたことになる。 そりゃヤニクラもしますわっつー話だ。一旦立ち止まり、おおお……と唸りながらぐわんぐわんする感覚をやり過ごす。 ほんとに、ここまで吸う機会がないとは思わなかった。緊張で吸いまくるかも! ていうか三次試験とかへたすりゃどちゃくそ暇だよね! って思ったから、荷物になるの覚悟でカートン持ってきたのに。一箱も減ってない。すごい荷物。 でも吸えるタイミングがきた瞬間猛スピードで火ぃ付けたから、私は禁煙からはほど遠い生き物だよ。おたばこおいしい。すぱすぱ。 ヤニクラもどっかいったとこで、にこにこ満面の笑みで煙草を満喫する。 歩き煙草どころか走り煙草だけど、ちゃんと携帯灰皿も持ってるので許してほしい。さすがに山火事の犯人にはなりたくないので。 いやあしっかしマジで久しぶりの煙草は最高ですなー! と再び煙を吸い込んだ時、スパンと目の前をトランプがかすめていった。煙草を真っ二つに切りながら。 慌てて火のついた部分を左手でキャッチし、口元に残ったフィルター部分は携帯灰皿の中にぺっと吐き捨てる。 「ミズキ、未成年の喫煙、ダメゼッタイ」 「ヒソカ……マジなんなのお前……」 毎度のことながら無駄に絶までして近付いてきた男は、携帯灰皿を奪うと、私の左手に包まれた煙草の残骸をその中に捨てた。 火傷……してないね? 義手だからね、気付かなかった、なんてどうでもいい会話をしつつ、さよなら私の一服タイム、と煙草に別れを告げる。また会える日を楽しみにしてるよ煙草。 「な〜んでわざわざ私が一人になった時に来るかね」 「煙草を吸ってるミズキの気配がしたから」 「どんな気配だ」 ヒソカと会う度にため息吐いてる気がする。 それにしても久しぶりだね、だなんてハートマーク散らしながら抱き付いてくるヒソカからは、血の臭い。相変わらず好血蝶がひらひら舞っているとこを見る限り、肩の怪我はまだ治っていないらしい。意外と自己治癒力低いのな。 「プレートは集まったの?」 二人で木の枝に立ったまま、引っ付いてくるヒソカを引き剥がしつつ雑談タイムを始める。 まあねと余裕そうに笑ってるってことは、やっぱりゴンとは出会った後なんだろう。胸元に44のプレートが無いのがその証拠だ。 胸元から肩の傷口へと視線を移し、数秒考え込んでから左手に炎を灯す。 空がだんだんと暗くなっていく中で、橙色の炎は私とヒソカの顔を明るく照らしていた。 「……それは?」 「私の念能力。肩、まだ治ってないんでしょ」 「荒療治なら遠慮するよ」 「いいから出せよ」 どっちかっつーと荒療治のが好きなタイプだろが。心の中でぼやきながらも、顔には満面の笑みを貼り付ける。 わずかに口元を引き攣らせながら、ヒソカは肩を出した。オーラで覆うように、炎の灯った指先で傷をなぞる。 「はい終わり。まだ不慣れだからね、特別にタダにしといてあげる」 慣れてきたらマチよろしく金ふんだくってやろう。 完治とは言わないまでも、傷自体はもうほとんどわからなくなったヒソカの肩を眺めて、うむと一人頷く。数日すれば、怪我したことすらわからないくらいになるだろう。 もうちょっと慣れれば、一発で全快させられるかな。ここら辺も要修行だ。 すごいね、と感嘆のため息を吐くヒソカの表情に、ちょっとだけ背筋がぞくりとする。あ、これあかんやつや。じゃあ私行くとこあるのでーとその場を去ろうとする。 けれどもはや様式美のそれと言っていい感じで、私の腕はヒソカにがっちりホールドされていた。ちくしょう。 知ってた! いつもの! って集中線つけといてください。 「ミズキはますます美味しそうになるね……」 「そりゃどーも離せ」 ぺろりとヒソカが舌舐めずりをする。 こわい。命と貞操の危機を感じる。 「今すぐ、食べちゃいたいよ」 ……貞操の危機を感じる!! すぐさまその場を離れようとしたものの、私の腕にはべったりと伸縮自在の愛が貼り付いていた。げえっと思ったのも束の間、そのまま勢いよく引っ張られ、ヒソカの胸にダイブする。 うわこれ絶対やべえ、とか、思う間もなく。 あの時シャルにされた、軽いキスなんて生易しいものじゃない。 ちゅううう、とちょっともう勘弁してくださいくらいの勢いで、キスをされた。深い深いちょっと待ってくれ、舌を入れるな。 脳みそは元気いっぱいにやめろや!? と半ギレているんだが、さすがに驚きが勝ったのか、身体は言うことを聞かず完全に硬直している。 そうして、口の中に溜まった唾液を吸いながらようやく離れた唇に、なんとか我に返った。 「――満足?」 眉間に皺を寄せながらも鼻で笑ってやれば、ヒソカはきょとんと不思議そうな顔をした。 大方私が恥ずかしがるなり怒るなりして、殴るか蹴るかしてくるとでも思ったんだろう。ハッハーン残念でしたー。私はハーレム漫画のツンデレヒロインみたいなキャラじゃありませんー。私が手ぇ出すのは純粋にむかついた時だけでーす。 「……足りない」 「おかわりはねえよ」 笑みを深めながら顔を近づけてきたのには普通にむかついたので、顎めがけて頭突きを一発。これは痛い。そんで私も痛い。硬でもしときゃよかった。 舌でも噛んだのか、私から顔を背けてヒソカは木の幹に手をつく。若干うなだれているようにも見える背中に、ハンッ! ざまあみろ! と胸の内で悪態をついた。怒ってないわけではないのだ。 「ヒソカのスキンシップが無駄にハードなのは知ってたけど、さすがにもうこんなことしないでよ。べろちゅーとか冗談じゃすまないんだから」 これでも貞操観念はまともな方のつもりで生きているのだ。がっつりしたキスは恋人としかしたくない。 ていうかこいつ顔は良いから普通にいろいろアレなんだわ。ふわっとした言い方にさせてほしい乙女心。こんなことされて何も思わないほど、経験豊富じゃないんだよなあ。 「……冗談?」 ゆっくりと顔をこちらに向けてきたヒソカに、もう何度目かもわからないため息を吐きだす。 「ヒソカのことだから本気じゃないでしょ? 面白がって私で遊ぶのも大概、に――……」 中途半端なところで言葉が途切れたのは、ヒソカの雰囲気が変わったからだ。 思わず、おそるおそるヒソカの名前を呼ぶ。反応は、ない。 ただじっと私を見つめているヒソカの目は、どのページでも見たことがないもので、恐怖すら感じた。 なに、この違和感。私、なんか地雷でも踏んだ? 「ボクは本気だよ」 一歩、ヒソカが私に近付く。 伸縮自在の愛がつけられているわけじゃない。逃げようと思えば逃げられるはずなのに、足が竦んで動かない。 「冗談なんかじゃない。ミズキが好きだから、ミズキに触れたんだ。ボクは君が好きなんだよ」 「――……っ、」 その言葉に、呼吸の仕方を、忘れた。 ← → 戻 |