階段を昇り終えてようやく地下を抜ければ、目の前に広がるのはヌメーレ湿原。湿気のすごさにげんなりしながら眺めていると、サトツさんの話が始まった。
ああこんな感じだったこんな感じだった、と聞き流していれば、先輩がやや顔を寄せてくる。うっときめき。

「なあミズキ、ここってそんな危ないのか?」
「ええと……単純に道がわかんない以上、試験官を見失ったら厳しいとは思います。でも先輩くらいなら油断しなければ大丈夫ですよ」

それに万一サトツさんを見失ったとしても、円で捜せばいい話なのだし。
ヌメーレ湿原は確かに気味が悪いし、生息している動植物たちも狡猾だ。加えて、霧の深さと地面のぬかるみもひどい。だとしてもそれなりの身体能力と判断力があれば、さほど問題はないだろう。

「ウソだ! そいつはウソをついている!」
「お、始まった」
「何だあいつ?」

声を荒げて現われたのは、人面猿。このシーンも懐かしいなあ。
原作の初期も初期なのに割とはっきり覚えている自分に軽く呆れながら、事の成り行きを見守る。人面猿の言い分が終われば、ヒソカが人面猿とサトツさんにトランプを投げつけて終了だ。
特にやることもないなと、小さなあくびを漏らす。その瞬間、二枚のトランプが私と先輩めがけて飛んできた。
一枚はあくびをした時に口元を隠していた手でキャッチし、もう一枚は放ったオーラではじき飛ばす。

夢小説界隈ではよくあることだ。可能性としては考えていたけど、まさかマジでこっちにもトランプ投げてくるとは。必要ねーだろ何なんだよ。

「くっく、なるほどなるほど」
「楽しそうにしてんじゃねえ、よっ」

きっとちゃんと選んで飛ばしたんだろうハートのエースを縦半分に破り、片方はヒソカ、もう片方は逃げようとした人面猿へと投げ飛ばす。
左脚のアキレス腱にトランプが刺さった人面猿は、そのまま追い打ちをかけるようにヒソカから投げつけられたトランプによって絶命した。
ついでに私がヒソカに投げたトランプはあっさりキャッチされていた。オーラになんか仕掛けてやりゃよかったちくしょう。

「ミズキさん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。あとミズキでいいよ」
「あ、俺も」
「そう? じゃあミズキとタカトね!」

にっこり笑うゴンを軽く撫でて癒してもらう。存外嫌がれることもなく、むしろ嬉しそうにしていたので更になでなでした。
ああもう本当にゴンかわいい。お持ち帰りしたい。


 +++


再び始まったマラソンに、走りながらひっそり眉根を寄せる。
ほとんど独り言のように「やばいなあ」と呟けば、聞こえてしまったらしいキルアに「どうした?」と問いかけられた。わざわざ振り向いてまで気にかけてくれるキルア、めちゃくちゃかわいい。思わずにっこり。
でも、やっぱり足元の違和感はひどくて、また顰めっ面になる。

「多分ブーツに水染みてきた」
「……のんきか。そんなブーツ履いてるからだろ」

やっぱりムートンは失敗だったか。用意してる時はオーラでカバーすればなんとかなるっしょ! とか思ってたけど、それを思い出したのは既に水が染みてきてからだった。纏状態でもそんくらいは防いで欲しかった気もする。
キルアからの呆れきった眼差しにちょっぴり泣きそうになりつつ、あとで革のブーツに履き替えようと決めた。だからこそ私の荷物はこんなにも多いのだ。

私がそんな、キルア曰くのんきなことを考えている間に、後方集団はまるっとはぐれてしまったらしい。
じゃあそろそろかと肩を竦めていれば、背後からレオリオの叫び声が聞こえてくる。ヒソカのこういうところが、苦手なんだよなあ。ため息。

「レオリオ!」
「っゴン!」

レオリオの叫び声が聞こえた瞬間、逆方向にゴンが走りだす。引き止めるようにキルアがゴンの名前を呼んだけど、ゴンが立ち止まることはなかった。キルアは苦虫を噛み潰したような顔で、それを見送っている。
そんなゴンを見た瞬間、私の足もほとんど無意識にゴンを追いかけようとしていた。
けれどそれを止めたのは、先輩の手で。

「どうせあいつがなんか始めたんだろ。ミズキまで行く必要はない」
「……、」

先輩は、ヒソカが何をしているのかをわかってるんだろうか。キルアとゴンが話をしていたし、先輩自身ヒソカのことは知っているんだから、わかってるだろう。
その上で、普通の価値観を持っている先輩が、私を止める。
それは他の誰かよりも、私の身の安全を優先してくれたからだ。心配そうにしているタカト先輩の顔を見れば、わかる。

私だって、行かなくても大丈夫なことはわかってる。少なくともあの場にいる、ゴンとレオリオとクラピカ。この三人は大丈夫だ。無事第二次試験会場までやってくることも知っている。
だとしても先輩の気持ちを、私はどうにも嬉しく思えなかった。

それでも深呼吸を一つして、タカト先輩の手から逃れようとしていた腕の力を抜く。先輩の腕からも力が抜けたことを確認して、そっと手を離した。

「ごめんなさい、タカト先輩。キルアも。先に進みましょう」
「おう」

軽い笑みを見せる先輩と、しょうがねえなとでも言いたげな表情のキルア。二人が先に走りだし、私は背後を気にしつつもその後を追った。

先輩の価値観は、至って普通だ。常識的な日本人のもの。だからこそ、旅団のみんなが顔も名前も知らない誰かを何も気にせず殺している、傷つけていることに対して、怯えを見せていた。
それでも今、先輩は、その顔も名前も知らない誰かを、きっと無意識に切り捨てた。
……うーん、順調に旅団に毒されている気がする。そりゃ私もタカト先輩と比べれば他の有象無象なんて興味すら湧かないけど、私と先輩とじゃそもそもの視点が違うのだし。

どうしたもんかなと思っている内に、二次試験会場に辿り着いていた。まだ中には入れないので、タカト先輩とキルアと三人、その場で一息吐く。
思考を切り替え、次は料理かと二次試験に思いをはせる。私の得意料理はさっと作れるつまみ系だ、さすがに寿司は作れない。大人しく落ちて原作に合わせるとしよう。

「つーかさ、ミズキとタカトってどういう関係? 恋人とか?」
「ばっ違っ、何言ってんのキルア!?」
「わかりやしー」

ちょっとこの辺り見てくるわ、と先輩が離れたタイミングで、キルアが思わぬことを言ってきた。
おませさんだなー!? とかなんとか言いながら、キルアの頭を強めに撫でる。撫でるっていうか押さえつける。
慌てつつ痛がりつつ謝ってくれたので手は離したけど、まったくもう! なんてことを言うんだキルアは! うっかり先輩に聞かれた上ではっきり否定されたら私が可哀相だろ!
でも恋人とか? って言ってくれたのは嬉しかったのでアメちゃんあげちゃう。恋する乙女は情緒不安定なのだ。

「何で飴……」
「とにかくタカト先輩とはそういう関係じゃないからね、絶対本人の前で言わないでね!」
「口止め料?」
「ではないけど! それよりあれ、ゴンたちじゃない? 行かなくていいの」
「あ、ホントだ。行ってくるわ」

タイミングよく現われてくれてありがとうゴン。そしておかえり! 無事で何より!

一人になり、改めてキルアに言われたことを思い出しながら少し照れていれば、私を見つけたらしいゴンに名前を呼ばれた。次いで呼ばれた先輩はすぐに向かい始めるけど、どうにも私は足を動かしづらい。
だってゴンのいる場には、クラピカもいるのだ。もし覚えられてなかったとしたら。ここがあの過去とは別の、並行世界だと突きつけられてしまったら。
それに覚えられてたとしても、今度は年齢のこととかで面倒そうだ。五年の差って結構でかい。

「ミズキー?」
「あ、い、今行く!」

今行くっつっちゃったよ。

しゃあないから腹をくくり、ゴンたちの元に向かう。
遠目に見た感じ、タカト先輩はちょうどクラピカとレオリオと自己紹介をし合ったところのようだ。そっとため息を吐いて、歩くスピードを上げた。

辿り着けば、素晴らしいプリティースマイルのゴンに「この人がミズキだよ!」と紹介される。どうやら私の存在自体は既に知らせていたらしい。
レオリオはあっさりと自己紹介をして、握手まで求めてくれたけど。反面、クラピカは唖然とした様子で私を見つめていた。それこそ、穴が開くほどに。

「ミズキ、って……ほ、んとうに、ミズキ……お姉、さん……?」
「……あー、うん。久しぶり、クラピカ。元気そうでなにより」
「っミズキ……、ミズキお姉さん……っ!」

私の左手におそるおそる触れてきたクラピカは、私があの時のミズキだと確信を持ったのか、ぎゅうと勢いよく抱き付いてきた。
今にも泣きそうで、でもめっちゃ嬉しそうなクラピカは可愛いんだけど、でも先輩の前なんだよな! 私はどうすれば!?

わたわたしている間に落ち着いたらしいクラピカと一言二言交わしたあと、再びまじまじと顔を見つめられる。
顔がいいクラピカにそう見つめられるとやっぱり照れる。まったくもう綺麗に成長しおってからに。

「ところでミズキお姉さん、その……あの日から変わってなくないか」
「エッ? まあ、あはは、いろいろあってね」

案の定年齢というか成長についてツッコまれたが、ぽりぽりと頬をかきながら誤魔化す。念そのものを知らない今のクラピカに、どう説明すりゃいいのかまったくわからんし。
若干冷や汗はかいていたけれど、クラピカはそうかと頷くだけで済ませてくれた。そうして、「また会うことが出来て、本当に嬉しい」だなんて、あの日みたいに優しく微笑んでくれるものだから。
ちょっぴりため息を吐いて、私もまた、あの日みたいにクラピカの頭を撫でたのだった。




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