視線の先の人影に、おっ、と動きを止める。レンタルショップの駐輪場に立つ私の視界には、今まさに入店しようとしている部の先輩がいた。絶賛片想い中の相手である。 休日なのにラッキー。テンションが上がって、自然と口角も上がる。おっと、不審者になりかねないので真顔に戻す。 手元に黒い袋を提げてる辺り、タカト先輩も目的は同じらしい。 追いかけて、何か話しかけようか。こんにちは、何借りたんですかー? 辺りが妥当かな。こんなことならもっとおしゃれして来れば良かった。でもでも、何借りたんですかーから話を広げられれば、近くの喫茶店でお茶でも、なんて展開もあり得るかもしれない。ふへへ。 期待という名の妄想に胸を膨らませつつ、ちょうど自動ドアをくぐるところの先輩へ駆け寄る。タカト先輩、と声をかけようとして、そこで先輩も駆け寄ってくる足音に気付いたのか、こっちを振り向いた。 その瞬間。 「っ、え?」 「は……なに、……ミズキ?」 停電したかのように、唐突に周囲が真っ暗になった。でも、停電じゃない。停電だとしたら、今は昼間なんだから、辺りの景色くらいは見えるはずだ。 けれど私の視界に映ってるのは、先輩の姿だけで。タカト先輩も同じなんだろう、私と周囲とを交互に見つつ、疑問符を浮かべている。 この状況は何なのか。「わかるか?」と問われたものの、勿論私にだってわかるはずがない。首を左右に振れば、そりゃそうだとタカト先輩は頷いた。 こんな非現実的なことが起きるなんて。しかも、先輩と二人で! 漫画か小説みたいな展開だ。このまま異世界にトリップして先輩は勇者、私はヒロインかな? な〜んて、ありもしない妄想をしてしまうほどの。 でも本当に、非現実的だ。変わらず視界には暗闇と、暗闇の中にも関わらずはっきりと見える先輩の姿しか映っていない。 これで命に関わらないのなら、割と嬉しい状況ではあるんだけど……。 数分ほど二人で首をかしげていれば、不意にどこからか鐘の鳴るような重い音が聞こえてきた。正確に聞き比べたことがあるわけじゃないけど、除夜の鐘みたいな音じゃなくて、教会とかについてるような、ああいう西洋っぽい鐘の音。 イメージとして先に湧くのは結婚式だろうはずなのに、何故だか私にはそれが、葬儀を彷彿とさせた。――死者を見送る、鐘の音のように。 自分のイメージに顔を顰めたところで、やっぱり唐突に視界が開ける。ポエムっぽく言えば、闇を裂く光。 あまりの眩しさに、目元を手で覆った。 +++ 次の瞬間に映ったのは、繁りに繁りまくっている自然だった。勿論、そこには先輩の姿もある。きょろきょろと見回してみるが、見えるのは木、草、若干の花。それだけだ。 ううん、なんかすごく嫌な予感がする。 「森……か? 何でいきなりこんなとこに……」 「どうします?」 「うーん、どうすっかな」 なんとなくの感覚からして、今私たちがいるのはやや坂になっている場所だ。山と山の間、って可能性もあるにはあるけど、下っていけば森を抜けられるかもしれない。 でも、何かしら助けを呼べるのなら無闇に動かない方がいいに決まっているし……と携帯を確認したところで、小さく舌打ちを一つ。圏外じゃねーかちくしょう。 「ん? なあミズキ、なんか目がすげえことなってるぞ」 「ええっ、え? すごいこと?」 さっきの私と同じくきょろきょろしていた先輩が、ふと気が付けば私をじっと見つめている。うわあ照れる。好きな人といきなり見つめ合っちゃうとか照れるしかない。 恥ずかしさに目を逸らしたけど、すぐに違和感を覚えて、私も先輩の目を覗き込んだ。 私自身の目に違和感はない。痛くも痒くもなければ、何か見え方が変だな、って感覚もない。でも、先輩の目は違った。だから多分、私の目も。 「なんか、黄色? 金色か? に、なってる」 「それ……タカト先輩もです」 「まじかよ」 カバンから取り出した手鏡で確認してみれば、確かに目の色が変わっていた。比喩ではなく、リアルに。 レンタルショップから森に瞬間移動するわ、目の色は金色になるわ、ほんとに今日はいったい何の日なんだ。漫画ならそろそろ謎の敵が現われないと話が進まないやつだぞ。 タカト先輩の「とりあえず下ってみるか」との言葉で、道の悪すぎる森の中を進み始める。背の高い草、ごつごつとした岩場、せり上がっている木の根っこ。トラップ三昧すぎる森の道に、何回転けそうになったことか。 「部活の時も思ってたけど、ミズキって結構どんくさいよな」「部活の時から思われてたんですか……」だなんて、一応穏やか、でも私は結構ショック、みたいな会話をしていた時はまだ良かった。 トントンと軽快に進んでいく先輩は身軽で、ちょっぴりため息をつきつつ「転けても助けねえぞー」「そこは助けてくださいよお」と話しながら後を追う。 森を抜ける気配はなく、水場らしい物音も聞こえず、このまま日が落ちてしまったら、と思考が後ろ向きになってきた頃。 「今、なんか聞こえなかったか?」 「そうですか? 私は何も――」 それはやっぱり唐突に、物音も立てず、現われた。 お望み通りの謎の敵。私たちを視界に映し、雄叫びをあげたのは、熊とも犬ともつかない見た目の巨大な生き物だった。鋭い爪に、蛇のような尻尾が見える。 ああ、本当に、謎の敵だ。こんな生き物、私は現実に見たことがない。 当然、私は身を竦ませた。私と先輩の背丈を足して、ようやく届くかどうかといったくらいに巨大な生き物。見たこともないモノ。怯えるに決まっている。 「っ先輩危ない!」 それでも動けたのは、危ないと叫ぶことが出来たのは、それの手が先輩の頭上へと勢いよく迫っていたからで。 間一髪、先輩を突き飛ばすことが出来た。思いの外先輩が吹っ飛んでったので内心焦ったけど、鋭い爪に右腕を抉られて、それどころじゃない。 服の袖も破れた。血も出ている。でも、気にしてはいられない。さほど痛みは感じなかったから、起き上がった先輩の腕を掴み、走り出した。 「ミズキ、おま、腕……ッ!」 「大丈夫です」 「どこが!」 「大丈夫! ですから、今は走ってください!」 嫌な予感が止まらない。すごく、どころじゃない。全身が警鐘を鳴らしてる。 あんな生き物、現実にいるはずがない。熊の図体に犬の顔に蛇のような尻尾? なにそれどんなキメラよ。そんなの、漫画や小説の中にしかいないはずなのに! どう考えても現状の答えはこれ一択でしょ、ってのは頭に浮かんでいる。だけど、そんなすぐには認められない。受け入れられない。 だってそれは、漫画や小説の中だけで起こるから、空想するだけだからこそ楽しいものなのに。現実に、起こり得るはずがないのに。でも、でも、やっぱりそれしか答えは浮かばなくて。 ……そんなわけない、これは夢だ。きっと白昼夢でも見てるんだ。 目的地もわからず走り続けながら頭の中で何度も繰り返すのに、じくじくと痛み始めた腕が、これは現実だと訴えてくる。 痛みもある。血も出てる。うっかり掴んでしまったタカト先輩の腕にだって、温度があった。 じゃあ、これは、本当の本当に、現実? あんな生き物が普通に生きている、絶対に私たちが今までいた世界じゃない、異世界に、マジで来ちゃったっていうのが? ← → 戻 |