イルミが仮アジトに来てから三十分。盛大な論争、端的に言うと口喧嘩が始まってから、約十分。 「お前なんぞに娘はやらん!」 「クロロの意見は聞いてない。俺はミズキを気に入ったからうちに連れて帰るって言ってるの」 口喧嘩をしているのは、クロロとイルミだ。 私がいつハゲの娘になったというのだ? とか、せめて私の意見は聞けよ、とか、色々言いたいことはあるんだが、どうにも口を挟むタイミングが掴めない。 当事者っぽい私が話に入れないのだから、他の旅団員も同様だし、先輩なんて完全にポカーン、の顔だ。 呆れ顔のマチに肩ぽんされ、私も呆れ気味に肩を落としながらため息を吐く。 要約すると、イルミが「俺はミズキのことを気に入りました、嫁にするので実家に連れて帰ります」と言っているのに対して、クロロが「ミズキは俺の娘であり旅団員も皆ミズキを気に入っているので、手放すわけにはいきません」と。そんな感じだ。 引っかかるところが多々あるので、前述の通りタイミングが掴めないせいもあるんだが、私は口を閉ざしている。 でもこの終わりが見えなさそうな口喧嘩にはそろそろ飽きた。終いには念能力バトルになりかねないし、いい加減止めるべきか。 「そもそも私、ゾル家に行くつもりないよ」 聞こえるか聞こえないか程度の声量で呟けば、「何で!?」とイルミがどえらい剣幕で振り向いてきてびびる。 「な、何でも何も……私はここを割と気に入ってるし、あといきなり嫁はちょっと無理……」 「そんな……」 「せめて友だちからとか、そういう……あれ、段階を踏んでほしいかな」 若干引き攣り気味の笑顔で告げれば、イルミはわかりやすく赤面して、大人しく首を縦に振った。素直。 じゃあ改めてよろしくね、と手を差し出す。数秒私の手を見つめてから、よろしく、とイルミも手を差し出した。握手を交わし、にこりと笑う。 赤面してる割には無表情なイルミだけど、この時ばかりは、ほんのちょびっとだけ笑っていたような気がした。 「何でそこでほんわかまとまっているんだ!」 クロロがなんか騒いでたけど、とりあえずは無視である。 +++ 私の説得によってイルミが帰った後、私は怒り冷めやらぬ、といった感じのクロロをじいと見つめていた。 な〜んか原作とキャラ違うな、とは割と初期から思っていた。結局は勝手なイメージでしかないけど、原作のクロロなら最初っからいきなりプリン買いに行かせるなんてことしないだろうし、姑の嫁いびりみたいに無駄な雑用を押し付けもしない、と思う。 まあそれはよしとしよう。ここはそういう世界です、で済む話だ。私とタカト先輩が旅団の元にいる時点で、原作とはかけ離れているのだし。 でも、イルミと口喧嘩してた時にクロロが放った言葉。どんなにキャラ崩壊してるように思えても、根本的なとこはあんまり変わらないように見えていたはずの、クロロの言葉。 私は、それが引っかかっていた。 「――あのさあ、クロロ」 藪蛇かもしれないからあんまり訊きたくなかったけど、はっきりさせるためには、訊かざるを得ない。 「私とタカト先輩は、クロロに異世界の話をする、その対価として衣食住の面倒を見てもらう、って関係でここにいるんだよね? んで、もう私と先輩の知識で話せる範囲の話は、全部した。もう私たちの世界について、話せることはない。私だってほっぽり出されたいわけじゃないから今までうやむやにしてたけど、何でクロロは私たちをここに置き続けてくれてるの? まさか本当に、娘だなんて思ってるわけじゃないでしょ?」 クロロが私と先輩を殺さなかったのは、自分の知識欲や好奇心を満たすため。それももうとっくに、満たされてはないかもしれないけど、終わったはずだ。私たちに出せる情報はもう無いのだから。 盗んだものを一通り愛でたら、売るなり捨てるなりする。クロロのそういうところは、この世界でも変わらない。 だから私はクロロの「ミズキは俺の娘だ」なんて言葉を、これっぽっちもまともに受けていなかった。旅団を、クロロ=ルシルフルという男を多少なりとも知っているからこそ、何言ってんだこいつ、といった感想しか持てなかった。 「初めて会った時に私が言ったことだって、嘘だってわかってたでしょ。異世界の話は聞き終えた、私はクロロたちにとって怪しい人間であることに変わりはない。……何でクロロは、私を殺そうとしないの?」 もう一度言うけど、藪蛇にはなりたくない。じゃあ殺そう、なんて言われたら当然私は焦る。 でも、疑問だった。不思議でならなかった。あの幻影旅団が、私とタカト先輩をここに置き続ける理由が、私にはわからなかった。 クロロは沈黙のまま、私を見つめている。その表情から感情は読み取れない。 周囲も静かだった。誰も喋らず、私とクロロとを見つめている。 数分かもしれないし、数秒程度だったかもしれない。クロロは一瞬私から目を逸らして、問いかけた。 「殺されたいのか」 「まさか」 即答する。 だろうな、とクロロは呟いた。やっぱり、感情の読み取れない声音だった。 「――フィンクスとシャルとタカトは、以前三人で街に出ていたな」 続く言葉はいまいち話の繋がらないもので、思わず訝しげな顔をしてしまう。当然クロロは、気にも留めず話を続けた。 「コルトピはミズキをよく見ている。パクはミズキの化粧品を見繕うのが楽しいそうだ。マチは、本人は口にしないが、ミズキとタカトの服を選びたがっている。シズクも二人の様子を気にかけていた。フェイタンはミズキに興味を抱いている。それでもミズキ、お前にはわからないのか」 「……」 「理解は出来るが納得いかない、といった顔だな」 今度は私が沈黙してしまった。 だって、考えてみてほしい。たかだか数ヶ月だ。半年も経っていない。そんな短すぎる期間で、幻影旅団を相手に、どうやってそれを信じろというのだろう。 私は彼らが好きだ。一緒にいられることは勿論嬉しい。今までの環境は、あまりにも幸せすぎる世界だった。 だからこそ、信じることが出来ない。 そんな、夢見がちなことを、事実だと思えるはずがない。 「タカト」 「……えっ、俺?」 「お前は俺たちをどう思う」 不意に、クロロが話の相手を先輩に変える。半ばつられるかのようにタカト先輩へ顔を向ければ、先輩はしばらく考え込んだ後、周囲を見渡した。 「何て言えばいいのかはいまいちわかんねえけど……大事だと思ってるよ。俺とミズキを助けてくれた恩もある。今着てる服だって、全部クロロに買ってもらったもんだし。……うーん、なんて言やいいのかな、第二の家族……みたいな?」 「だ、そうだ。俺たちとタカトは、出会ってから大した月日も流れていない。それでも、タカトはああ言える」 クロロの視線が私へと戻る。私は、沈黙したままだ。 初めて旅団に会った時、先輩の無知を私は羨ましく感じた。今、まったく同じ感情を私は抱いている。 私が旅団を知らなければ、原作を知らなかったら、私も先輩みたいに、それを素直に受け取れたのだろうか。意味のない、たらればだけど。 「ミズキの言う通り、お前が怪しい人間であることに変わりはない。だが、ミズキが俺たちに敵意を持っていないことくらいは誰にだってわかる。それに、衣食住の面倒を見て、お前たちを生かしているのは俺だ。親が子供にすることと、何の違いがある?」 「……、ん……」 「お前がどう思っているかは知らないが、俺にだって愛着くらいはある」 やっぱりキャラ違うなあ、なんて、心の隅っこで考える。クロロがそんなことを言うなんて、私の中では、絶対に有り得ない。 でも、確かにクロロの言葉は、私の鼓膜を震わせた。 愛着が湧いた。それが、私と先輩を殺さない理由。 幻影旅団の団長だって、人間だ。情にほだされることだってあるのかもしれない。元よりクロロは、クロロなりに旅団員を大切にしているようだったし。彼が大事にする枠の中に、私と先輩も入っていた。そういうことなんだろう。 ――それでも必要があれば、きっとあっさり、殺すのだろうけど。 「ミズキは、ぼくたちが怖い?」 いつの間にか近くに来ていたコルトピが、私を見上げる。髪の隙間から覗く瞳と目を合わせて、へたくそな笑みを浮かべた。 「こわいよ。あなたたちはきっと、私のことも、先輩のことも、簡単に殺せてしまう。死にたくないから、殺せる力を持った人は怖い。――でも、それ以上にみんなのことが好きだから、殺されたくない、一緒にいたい。そう思ってる」 「ぼくがミズキのこと、殺すと思う?」 「……必要なことなら」 細められたコルトピの目は、泣きそうなものにも見えた。私の願望かもしれないけど。 「殺さないよ。ミズキを、もちろんタカトも、殺す必要なんてない」 そうっと私に触れた手は、当然のように温かくて、思わず口を閉ざす。まるで怯えるみたいに繋がれた手を見下ろして、無性に悲しくなった。 それでもこの、温かくて優しい手は、私を殺してしまえる手なんだと。誰かを殺している手なのだと。知っているから怖くて、それでもこんなに愛おしい。 最初から思っていたことだ。ワンチャン気に入られたらいいなあって、考えていたのは私だ。でも実際に気に入られてみれば、怖くなった。 キャラクターから愛情を与えられることなんて有り得ない。当然だ、彼らは紙面上の存在なんだから。愛することは出来ても、愛されることなんてない。 だから私は、わかろうとしなかった。信じられなかった。 「……ミズキ、」 タカト先輩の声がする。顔を上げれば、先輩までいつの間にか側に立っていた。 何を言うわけでもない。ただそこに、先輩は立っている。何も知らないからこそ、みんなを大切に出来る人。 「ごめん、クロロ。みんなも。……変なこと訊いた」 そっとコルトピの手を握り返して、呟く。ちょっとだけ肩を竦めて、無理矢理笑った顔をクロロへ向けた。 「娘に反抗期はつきものだからな」 「まあ娘ではないけどな」 今だって本当に信じたわけじゃない。でも、彼らが好意を示してくれるのなら。 私が欲しいのは、先輩が安心して生きられる保障だ。ここまで言うのだから、私たちが敵意を見せない限り、旅団は私と先輩を殺さないだろう。そして、私とタカト先輩が、旅団のみんなに敵意を見せることなんて起こり得ない。 だから大丈夫、と私は自分を納得させる。 ← → 戻 |