拾いもの8 [9/10] 正門へと向かう貞ちゃんを目で追いつつ、私はふと立ち止まる。 このまま帰るより、膝丸と髭切をこちらに連れてきた方がスムーズに話を進ませられるのでは? と考えたからだ。元の本丸に戻ってしまえば、こちらで何があったのか、貞ちゃんは何のためにこんな神隠しまがいのことをしたのか、証明のしようがない。ここに膝丸と髭切を連れてくれば、一目でわかることだ。百聞は一見にしかず、である。 それでもまあ怒るのは怒るだろうけど……と肩を落としつつ、貞ちゃんを引き止める。 「帰る前に、やっぱ膝丸と髭切も、ここに呼ぼうと思います」 怪訝そうな顔を向けられた。 「ここは一応、俺の神域……みたいなもんだぜ? 俺が呼ばなきゃ誰も入れないし、俺はあいつらを呼ぶ気はねえよ」 「呼ぶ気がないものを呼び入れるのは申し訳ないですけど、多少はこっちのわがままも聞いてもらいます。――膝丸、髭切」 首元と、手首の呪具に触れて、名前を呼ぶ。 傍らの空気がねじれて、桜吹雪と共に、二振の太刀が現われた。それは一瞬で人の形をとり、その場に降り立つ。 唖然としながらも、なるほどと得心がいった様子の貞ちゃんを見据え、二人の太刀は自身を貞ちゃんへと突きつけていた。 「一時とは言え主を隠した罪、見過ごせはせぬぞ」 「主も警戒心というものがないよね。だいたい、どうしてすぐに僕たちを呼ばなかったのさ」 「あれこれ私も怒られるコースなんです? ていうか二人共刀はおろしてください」 髭切に笑顔で睨まれてびっくりした。私も怒られるのか。すぐ呼ばなかったのは申し訳ないと思うけども。 刀をおろしてくれと言うだけ言ってみたけれど、もちろん二人は従ってくれない。突きつけられたままの貞ちゃんはこれといって気にした風もなく、二人を見上げていた。 「仮契約だからこそ、か。呪具で主と直接繋がっているあんたらは、境界に縁を遮られはしないんだな」 いいなあ、と吐息のように漏れた言葉は、独り言だったのか。私たちが反応するより早く、ゆるくかぶりを振る。 「来ちまったもんは仕方ない。謝りはしねえけど、説明くらいはするよ。……あんたらが、これからは俺の仲間になるわけだしな?」 どこか挑発的な笑みで告げ、とりあえずは私もそれに乗っかる形で、膝丸と髭切に事の次第を話した。 貞ちゃんが私にさせたかったこと。この神隠しまがいの理由を。 まあ話し終えたところで、膝丸は「だから何だ」だったし、髭切も「主を隠した事実に変わりはないよね」だったんだが。さすが護衛役というかなんというか。 私を守る、と誓った舌の根も乾かぬうちに神隠しまがいの行為をしたことは、二人にとってアウトだったらしい。私を貞ちゃんから守れなかった、という自責の念も少なからず含まれてはいるんだろう。 それでも、守る、にはいろいろな意味がある。貞ちゃんには私を害するつもりはなかった。実際、この場で私は傷を負ったわけではないし、貞ちゃんには元の場所に帰らせる気もあった。だから貞ちゃんと、ついでに私にとっては、貞ちゃんの言う「主を守る」という誓いには抵触していない。 そも、この神隠しまがい自体、あの本丸でなければ出来なかった行為だろう。二人が貞ちゃんを、私をいつでも隠せる存在、として危惧しているのなら、それは杞憂だ。 貞ちゃんと、あの本丸と、私。その三つが揃わない限り、この狭間への道は開かれない。彼の本丸に帰ってしまえば、この貞ちゃんに私を神隠し出来るような力はない、はずだ。多分。 ほとんどの刀剣の神気も、さっきお焚きあげしたことで貞ちゃんから離れたのだし。 「神隠しは主への謀反も同義だ。君はそれを、不問にするつもりか?」 そんなこんななわけだからまあいいじゃないですか、と話を締めようとした私に対し、苦言を呈するのは膝丸だ。 私にとっては別にいいことでも、膝丸と髭切にとってはそうじゃない。そりゃ確かに、守られる側が神隠しなんて大事を「まあいいじゃないですか」で済ませていれば、守る側は気が気じゃないだろう。 わかるけど、でもこれあくまで神隠しまがいだし……ちょっと遠出くらいの気分なんだが……。 しばらく無言で考え込み、こちらも黙ったまんまの貞ちゃんを見やる。宙へと視線を向けていた貞ちゃんは、私の視線に気が付いたのか一拍の間をあけてから目を合わせた。 これもやっぱり、なんとなく、なんだけど、この子は今回の件について反省なんてものはしていないだろう。そもそも悪いことをしたとは思っていない。今だって雰囲気に若干のめんどさが滲んでいる。 それでも大人しくこの場にいるのは、先の言葉通り、膝丸と髭切がこれからは己の仲間になると考えているからだ。謝る気はないけど、無駄に事を荒立てたくもない。子供のような大人のような、微妙な態度で黙り込んでいる。 「――そういえば、刀剣男士の神気を一時的に封じ込める呪具があるんですけど」 なんにせよ、何かしらの罰を与えなければ膝丸と髭切は納得しないだろう。折れだとか刀解しろだとか言わなかっただけ僥倖というか、予想外というか……まあとにかくはマシだ。 貞ちゃんの異質さが薄まったのも理由の一つかなと考えつつ、言葉を続ける。 「それを、そうですね……三ヶ月。貞ちゃんには付けてもらいます。帰す気もあり、ここが正しくあなたの神域でなかったとはいえ、神隠しであることは事実なので。一応の罰です」 「その呪具を付けたら、俺はどうなるんだ? 刀に戻るのか」 「いや、人の身は得たままです。ただ、刀剣男士としての働きは一切為せなくなります。遡行軍を撃破することは勿論、神隠しなんてやりようもない。刀装も作れず、手入れも出来ない。つまり、ちょっと普通よりは頑丈なだけの人間、になる感じですね」 神隠しを画策した刀剣男士や、瑕疵本丸等にて堕ちかけている刀剣男士なんかに使われる呪具だそうですよ、と付け加えておく。 神隠しまがいのことをしたのは事実なんだから、政府に言えば貸してもらえるだろう。政府にこそ刀解を進言されそうだけど、まあそれはなんとかするとして。 意外にも貞ちゃんは、自嘲気味に笑いながらあっさり頷いた。そっか、わかった、と。 思わず「いいんですか?」と問いかけてしまえば、頭の後ろで手を組んで、今度はあっけらかんと笑った。 「主と一緒にいるためなら、何だってやるさ。それが、俺の望みなんだからな」 曖昧な笑みでその言葉を受け取り、意識を背後に向ける。燃え盛っていた本丸はもう崩れて、徐々に火も小さくなっていっていた。 誰の気配もない、静かな本丸。この子の、内側の世界が、燃え尽きている。 「……膝丸と髭切も、それでいいですか」 「納得はしないが、……よしとしよう。しかし、再びこのようなことがあれば、俺はそのものを斬るぞ」 「僕も臍丸と同意見かな。仏の顔も三度まで、というけど、僕たちは仏ほど心が広くはないから。今回は主に免じて、ってやつだよ」 「膝丸だ、兄者」 「……じゃあ、そういうことで」 貞ちゃんに歩み寄る。その手をそっととり、貞ちゃんの背後を一瞬見やってから目線を合わせた。 「帰りましょっか、貞ちゃん」 「そう……だな。行こう、主の本丸に」 私の側からぴったりと離れない二人に内心苦笑しつつ、少しだけむすっとした表情を作ってみせる。 不思議そうに首を傾げる貞ちゃんの頬を軽く引っ張って、パッと離した。 「私たちの、本丸です。今日からはあそこが、あなたの帰る家ですよ」 「そ、か。俺の、帰る家、か」 噛み締めるように数回頷いて、瞬く間だけ、貞ちゃんは泣きだしそうな顔を見せた。 その表情の意味を悟ろうとするのはあまりにも無粋に思えたので、意識を逸らす。 私の刀剣。私が持つ、三人目の刀剣男士。 太鼓鐘貞宗、通称貞ちゃん。膝丸や髭切とは違い、呪具なしで本契約している、希有な存在。 歪んで澱んで、ねじれたこの子は、私が死んでも、生まれ変わっても、私の傍に居続けるだろう。何百年何千年が経とうとも。私が地獄に落ちたとしても。私の元にいるためなら何でもすると言うこの子なら、きっと。 そんな執着と呼ぶべきだろう愛情が、私は確かに怖かった。今でも背筋を冷たい手が撫でるような恐怖は、消えていない。それでも私はこの子を受け入れるし、決して離さないだろう。 たとえこの太鼓鐘貞宗が、もう本霊には還ることの出来ない、別の何かだとしても。この子は私の本丸で生きていた、私だけの刀剣男士なのだから。 「俺、今よりもっと強くなるからさ」 「はい」 「主の、一番の懐刀になるから」 「私の持つ短刀は、貞ちゃんだけですからね」 「主も、俺を大事に使ってくれよな」 「勿論です。私の貞ちゃん」 へへ、とようやく貞ちゃんらしい笑みを見せて、今度こそ私たちは崩れた本丸に背を向けた。 最後の最後、正門をくぐる直前に、一瞬だけ振り返る。 誰かが頭を下げている気がした。深く、深く。懇願するように、謝罪をするように。 会えてよかった。守れなくてごめん。待つことが出来なくてごめん。どうか幸せに。最期の一振を、よろしく。――そんな声を聞いた気がして、ほんのちょびっとだけ口角を上げる。 頼まれるまでもない。自分から足を踏み入れた泥船だ。自分から首を突っ込んだ厄介事だ。最終的に自分の手で、掴むことを選んだ縁だ。 責任くらいは、当然とる。 安心して、と胸を張って言えはしないけれど。 私も、会えてよかった。さようなら、私の子だけが住んでいた、私の本丸。 政府で諸々の手続きを終えてから彼の本丸に帰れば、折良く彼が正門近くの庭にいた。どうやら非番の短刀たちと息抜きに遊んでいたらしい。 「思ったより遅かったな、おかえり」と、彼の言葉に続けて周囲の短刀たちも「おかえり」「おかえりなさい」と声をかけてくれる。私も、膝丸と髭切も慣れたように「ただいま」を口にする中で、貞ちゃんだけが沈黙していた。 左の手首に付けられた呪具が、風に揺られてちりんと鳴る。 「おかえりなさい、貞ちゃん」 いたずらっぽく笑ってみせながらその顔を覗き込めば、強張らせていたらしい全身の力をふっと抜いて、一度俯き、すぐに顔を上げた。 明るい笑顔。昏さの籠もらない瞳。傷一つない肌。 そうしてゆっくりと私の胸に飛び込んで、その背に腕を回した。私も貞ちゃんを抱きしめて、ぽんぽんと軽く背を叩く。 「――ただいま、主」 貞ちゃんの背に回した手に、誰かが触れた気がする。私はその手も軽く叩くように撫でて、目を伏せた。 ただいま、私の刀剣男士。 * ――君の力になることはわかっていたから黙っていたけれど、やはりアレの存在はどうかと思うよ、お姫様。アレだけでも排除出来ないのかい? 君にとってもアレはいない方がいいものだろうよ。 過ぎてみればあっという間の二日間。本丸で無事爆睡をキメて翌日の昼過ぎに起床した私を迎えたのは、鼓膜を撫でる女の小言だった。いきなり元気だなお前は。 だいたいアレって何のことだよと内心で吐き捨てれば、わかっているくせに、と嘲笑気味の声を返される。そりゃそうだけども。 わかっていて、それでもいいやと気付かないふりをしたもの。貞ちゃんの黙した、最後の秘密。私とおんなじ、隠し事。 私だからわかった。私じゃなかったからきっと、誰も気付かなかった。事実、膝丸や髭切ですら若干の違和感を抱きつつも、その正体にまでは辿り着けていない。 だとしても、それをどうこう出来るならとっくにやっている。貞ちゃんに、ではなく自分に、である。 ――酷いなあ。わたしは君の生を願っているだけなのに。 それは女の言う「アレ」も同じことだ。願いと書いて呪いと読むような、重く、冷たく、けれどどこか生温い執着。 貞ちゃんの背後にいるものは、貞ちゃんの生を願っている。私の生を願う女と同じで、きっととてもよく似ていて、でも違う。 あれが貞ちゃんにとっても必要なものなら、私はどうするつもりもないし、仮につもりがあったとこで、どうにかする方法もわからない。 誰にだって秘密はあるものだ。それこそあんだけ素直な彼にだって、私に言っていないことはいくらでもあるはず。言わなくてもいいことだから、言わない。何でもかんでもを話す必要はない。 ――つまりわたしの存在を黙しているってことは、君はわたしを必要としてくれていると受け取っていいのかい? あの太刀共よりも、己の短刀よりも、アレよりも? 「冗談キッツいわ」 ぼそりと吐き捨てて、布団から出る。机の上に飾られた、小鳥を象った折り紙をしばらく眺めてから、立ち上がった。 バスタオルと着替えを持ってシャワーを浴び、支度を調えてから階下におりる。 ……否定はしない。この女は私に必要なものだ。いない方が静かでいいけど、居たら居たで役に立つ。 彼のために、役に立つものは全て手元に置いておく。刀剣男士の機微を悟れる力。いざという時の戦力。私の言葉に、絶対に従うもの。 私が持つ全ては、彼のためだけにある。 ――どんな人間だとしても、僕にとっては大好きな、唯一の主だよ。 風と共に、聞き慣れない声が鼓膜を震わせる。周囲に人の姿はない。軽く周囲を見渡してから、母屋へと続く渡り廊下を進んだ。 それきり、その聞き慣れない声が私の耳元を撫でることはなかった。 |