拾いもの3 [4/10] 太鼓鐘の顕現した本丸は、余所とは違ったが、それなりに穏やかで、時に苛烈で、多分普通の本丸だった。余所の本丸との違いは、審神者がいないってことだけだ。 本丸にいないってだけで、審神者の意思らしきものはなんとなく感じていたし、審神者の霊力も本丸に満ちていた。本丸のあちらこちらを飛ぶのは審神者の代理である式神、その末端で、小鳥やら蝶々やらを象った白い紙だ。式神の本体は執務室に安置された五十センチほどのヒトガタで、それも白い紙で作られている。 本体がいる執務室は一番審神者の気配が濃くて、刀剣男士たちは自然とそこに集まっていた。暇な奴はしょっちゅうそこで昼寝をしていたし、式神は物を食べも飲みもしないのに、おやつやらお茶やらを持ってくる刀剣男士も多かった。花を届ける奴もいたし、一方的に喋り続ける奴もいた。審神者がいない、代理の式神も動かない、喋らない、感情すら見せない。でもそれだけで、やっぱり太鼓鐘の本丸は、きっと普通の本丸だったのだ。 時には数時間ぶっ続けで出陣し、疲労は弁当で無理矢理回復させるような時もあり、刀剣たちが式神に「もうそこまでにしておけ!」「諦めも肝心だぞ!」と忠言をしても資材が一桁になるまで鍛刀を行うような時もあった。逆に数日間審神者からの指示がなく、暇な時だってあった。 演練には滅多に行かなかったけど、小鳥の式神を連れて演練に向かえば、他の本丸の奴らが羨ましくも思えた。自分たちの主と肩を並べて、勝っただ負けただとその場で一緒に一喜一憂出来る。太鼓鐘たちの式神は、ただ演練相手を示し、陣形の指示をするだけだった。勝とうが負けようが、その羽根は震えもしない。それはちょっとだけ、さみしかった。 だとしても太鼓鐘たちにとっては、それが普通の本丸だった。 誰に習ったわけでも言われたわけでもなく、朝昼晩と本丸にいる全員で食事をとり、夜には湯浴みし、遅くとも日付が変わるまでには寝る。審神者からの指示があれば朝方まで出陣している時もあるが、そんな時は誰かしらが夜食を用意してくれている。 不意に見たことも食べたこともないものを食べてみたくなったり、どこで名前を聞いたのかも思い出せないようなものが本丸内で流行ったり、理由はわからないけどやたらと自分に自信が湧いてきたりした時なんかには、審神者の気配を色濃く感じた。 刀剣男士には、本丸によって個体差、というものが多かれ少なかれ現われるらしい。 料理下手な審神者の元で顕現された燭台切は料理をやたらと焦がすだとか。低身長の審神者に顕現された岩融が二メートル未満の身長だったとか。些か悪ノリが過ぎる審神者に顕現された鶴丸はシュークリームの中身をわさびと辛子とタバスコだけで作るだとか。 歌う刀剣男士もいれば、踊る刀剣男士もいる。通常であれば絶対そんなことしないだろう刀剣男士が、その審神者の元であればそれをする。そういう、環境と霊力による個体差。 それを自分たちに感じた時が、太鼓鐘たちはこれ以上ないほどの幸福だった。 今は会えない。けれど確かに、この式神と繋がったどこかに、主がいる。居てくれている。主の霊力を、自分たちは受け取っている。そう実感出来る瞬間が、幸せだった。 余所の刀剣男士との差異を自分たちの中で見つけるたびに、全員が手を挙げて喜んだ。きっと主の影響だ! と泣きだす奴までいたくらいだ。 太鼓鐘もその一人だった。さすがに涙までは流さなかったけど。 「主って、どんな人なんだろうね」 「真面目な人間かもしれないぞ。ここの明石は他の明石よりもめんどくさがることが少ない」 「仕事に関してはね」 「僕は甘い物を作るのが得意な子だと思うなあ。この前ほら、あの、茄子みたいな君が作ったちょこれいと。見た目はちょっと面白かったけど、初めてだったのにとっても美味しかったから」 「誰が茄子だ、色だけじゃないか。……ともかく、料理はきっと得意だろうと思うよ。昨日堀川がパンを作っていただろう。あれは特に美味しかった。きっと主もパン作りが得意なはずさ」 「確かにあれは美味かったなあ! あとは料理以外で言やぁ……そうだな、黙り込む癖がある人間かもしれねえ。余所の薬研は何か言いたいことがある時、ずばずば言う質なんだとよ」 「ここの薬研藤四郎は言おうとしたことを飲み込む癖があるからな、その可能性はあるかもしれない。それと――」 自分たちの個体差から、主がどんな人間であるかを想像する。それはここの刀剣男士たちにとって、日常茶飯事の時間潰しだった。休憩の合間に、料理の合間に、眠る前の夢物語に。 そうしていつか、主に会えたとき答え合わせをしよう、と。いわゆる「ぼくのかんがえたさいきょうのあるじさま」みたいな虚像を作ってしまっている自覚はあったけれど、仮にそれとは正反対の人間が来たって、太鼓鐘たちは受け入れられる自信があった。受け入れないはずが、なかった。 だってずっとずっと待ってた、ずっとずっと会いたかった、自分たちだけの主なのだから。 でもそんな日は来なかった。 ある年の、秋頃だった。その日を境に、式神からの霊力供給が途絶えた。 こんなことは初めてだった。審神者からの指示がない日でも、霊力だけは供給されていた。初期刀である山姥切も、初鍛刀である今剣も、初めてのことに困惑していた。 もしや主に何かあったのでは、と政府に連絡するも、式神の誤作動かもしれないとしか返答がない。果てには「あなた方を率いる審神者はあの式神です」とまで断言されてしまった。政府はどうやら、式神と繋がったどこかにいる審神者の存在を、認識していないらしかった。 それではもう、刀剣男士たちにはどうしようも出来ない。うんともすんとも言わない式神に主、主、と声をかけ続け、届くことを祈って、でも式神はあっさり政府に回収された。 不備はないと数日で帰ってきた式神は、やはりうんともすんとも言わず、霊力も供給されない。 刀剣男士たちは、政府にもう連絡しなかった。ただ毎日毎日、ずっと式神に向かって願い続けた。 俺たちの声を聞いて。どうか届いてくれ。どうか俺たちを見つけてくれ。僕たちに君を見つけさせてくれ。 願った。祈った。それでも届かなかった。届くはずがなかった。だってもうその式神は、ただの紙きれに過ぎなかったのだから。 霊力の供給されない本丸で、一振、また一振と顕現がとけていった。物言わぬ刀の姿に戻っても尚、残り滓のような霊力を、神気を使って、式神に祈り続ける。 どうか、どうか、俺たちを見てくれと。 諦めた奴らがもう主が帰ってこないならと己を折り、本霊に還っていく事件も起きた。折れた破片を見つけた山姥切は、自分を責めていた。 「俺がもっと頼りがいのある初期刀で在ることが出来れば、こいつらは折れようとしなかったかもしれない。俺が今は主を待とうと強く言えていれば、眠るだけで済んだはずなのに」 山姥切の懐には、もう刀に戻ってしまった今剣がしまわれていた。折れた破片は残った奴らで、眠ってしまった奴らの側にまとめておいた。 次の日には、山姥切も眠っていた。まさか自分たちが最後になるとはと思いながら、太鼓鐘は山姥切と今剣も、みんなの側にまとめておいた。山姥切はこの本丸の初期刀で、実質リーダーみたいなものだったから、もうどこにも繋がっていない式神のすぐそばに置いてやった。審神者に次ぐ一番の上座だ。 「すっかりさみしくなっちゃったね」 「だな」 まだ人の姿をもって残っているのは、燭台切、鶴丸、小夜、歌仙、太鼓鐘の五人だけだった。 眠った奴らと折れた奴らのいる執務室を眺めながら、縁側で食事をとる。こんな時でも、習慣はなくせなかった。鶴丸がこんな時だからこそとわざわざ握った寿司には一つだけわさびがこれでもかと仕込まれていて、それを食べた小夜は真顔だった。 主は辛いものが平気な人かもしれないねと、全員で少しだけ笑った。小夜の目がうっすら滲んでいたから、多分我慢強いだけだろうと歌仙が呆れ気味に呟いていた。 「ここで、待たせたな! とでも言いながら主が現われてくれれば、その驚きだけで生きていけるくらいなのになあ」 翌日、鶴丸が刀に戻り。 「まったく、こんな終わり方は雅じゃない。起きた時に主がいたなら、叱ってやらなければいけないな」 その翌日、歌仙が刀に戻り。 「主は、この結末に……復讐を望むかな。その時、僕は……あの人の刀になれるだろうか」 更にその翌日、小夜が刀に戻った。 太鼓鐘は小夜が刀に戻った日の夜、自分もそろそろだろうと考えていた。もう指先の感覚がほとんどない。足の先が透けている気がする。まるで幽霊みたいだ。 きっと、燭台切ももう長くない。太鼓鐘の目には、燭台切の足も透けて見えている気がする。 付喪神の幽霊が二人、物言わぬ刀たちに囲まれて静かな本丸に佇んでいる。とんだホラーだ。 ここの刀剣男士を見る限り、審神者は幽霊や怪異の類を好んではいなさそうだから、もし今この場に来たら、怯えさせてしまうかもしれない。 でも、それでもよかった。怯えたっていい。悲しんだっていい。主に会えれば、それでいい。眠ったやつらも、折れた奴らも、怒るかもしれない。それでも最後には、会えて良かった、嬉しい、と涙を流して喜ぶだろう。 その時には太鼓鐘も、泣いてしまうかもしれない。格好良くないから、そんなことはしたくないけど。 「みっちゃん、俺もそろそろ寝るわ。なんかもう、力入んねーし。みっちゃんが起きてるうちに主が来たら、一発はたいてやってくれよな」 「主が女の子だったらどうするの。というか、そんなことしたら男だったとしても吹っ飛ばしちゃうよ。僕の打撃値、知ってる?」 「だから言った」 「辛辣だなあ。主もそういうお人なのかな。――ねえ貞ちゃん、まだ寝ないでよ。僕じゃきっと主を怯えさせてしまう。主を見つけて、迎えるのは、貞ちゃんの方が適任だ」 そっと、空気に文字を並べていくような喋り方だった。ぼんやりとした視界の中で、太鼓鐘が見上げる先。燭台切は、己の刀を手にしている。 「誰にも言わなかったし、今まで貞ちゃんにも内緒にしてたんだけどさ。僕、主のこと大好きだったんだよ。どんな人かも知らない。性別すらもわからない。それでも大好きだった。この本丸に流れていた霊力が、時折感じた気配が、大好きなんだ。僕が一人きりの状態で主に会ったら、抱き潰しちゃうかもしれない程にね」 突然の告白に、太鼓鐘は目をぱちくりとまたたかせる。太鼓鐘には恋愛がよくわからなかったので、そ、そっか、と疑問符混じりに応えることしか出来なかった。 なのに燭台切は、満足そうにうっそりと笑う。 「それに、貞ちゃんのことも大好きだから、出来る限り長く生きていてほしい。あ、これは抱き潰したいとかそういう意味じゃないよ。仲間として、多分きっと、人の子の言う友だちとして」 「それは言われなくてもわかってるよ」 「よかった。だから、貞ちゃんが主を見つけて。ずっとずっと、主に会えるまで、生きて」 「……でも、無理だろ。もう霊力が無い」 半ば吐き捨てるように告げる。 太鼓鐘だって、生きて、起きていられるものなら起きていたい。他の奴らだってそうだ。寝たくて寝たわけじゃない奴の方が多い。でも実際、もうこの本丸には霊力が供給されていないのだ。霊力なくして、刀剣男士は人の姿を保てない。審神者がいなければ、刀剣男士はただの刀でしか在れない。 けれど燭台切の笑みは陰らなかった。明かりも消え、日も照らさない本丸の中で、燭台の明かりのような瞳だけがゆらゆらと揺れている。 怪訝そうに眉を歪めて、太鼓鐘は燭台切を見上げた。さっきからずっと手にしたままの刀。それをこいつは、一体、何に使うつもりなのか。 ちらと浮かんだ考えに、答えに、太鼓鐘は口角を引き攣らせた。 苦笑、あるいは自嘲。滲んだ嗤いのようなものに、内心考える。これ、個体差だったらどうしよう。場違いな心配だとはわかっていた。けれど考えてしまう。 自分たちの歪みが、主からの影響だとしたら。だからといって主への想いがなくなるわけでも、減るわけでもないけれど、そのもしかしてが事実だったら、難儀な主だと思った。 そうして、太鼓鐘は結論を出す。 「会って、確かめなきゃな」 自身の短刀を取り出し、燭台切を折る。最期に一言「ごめんね」と唇だけで呟いて、燭台切は一旦消えた。 破片の一つを口に放り込み、口の中をずたずたに切り裂きながら噛み砕いて、飲み込む。 これは太鼓鐘のわがままだ。燭台切のわがままだ。それでも全員を連れていけば、誰も文句は言わないだろう? 刀たちが物言わぬ姿なのをいいことに、太鼓鐘は全ての刀を己で折った。そして全ての破片を噛み砕き、腹の中へと納めていく。口の中に広がる鉄の味が、血なのか破片なのか、よくわからなかった。 全てが終わったところで、ついでとばかりに式神も切り裂く。白い紙で出来た人形は何よりもあっさり切れて、その紙片も太鼓鐘は口に含んだ。 真っ赤に染まる紙片に、祈る。 どうか俺たちを、主の元へ。 ――大丈夫だよ、貞ちゃん。きっと主だって、僕たちに会いたがってる。 ああ、そうだ。そのはずだ。だって俺たちの主なんだから。俺たちだけの、主なのだから。 頷き、太鼓鐘は正門に設置されたゲートを操作して、誰の気配もない本丸を去った。 折れた破片しか残らない場所。多分、きっと、太鼓鐘たちにとっては、普通だったはずの本丸。 そこが、刀剣男士による刀剣男士破壊が起きた本丸として永久廃棄指定されるのは、まだ先の話。 |