修行 [53/56] 極の情報が入ってきたのは、それから半月ほど後のこと。意外だったのは、初期実装の短刀全員を極に出来ると書かれていたことだ。 当然と言えば当然な気もするが、そうか……小出しじゃないのか……。 手紙一式、旅装束、旅道具も無事確保し、修行道具は揃った。 これで今剣はいつでも修行に出られる。全部が揃ったその日にすぐ、ということはなかったが、おそらく近いうちに彼へ告げにくるのだろう。 そう思っていた頃、夜中だ。寝ようとしていた私の部屋に、彼が来た。 「わりい、補佐、まだ起きてるか」 「起きてる、けど……ちょっと待って」 私もいつぞやに突撃した手前、文句は言えないんだが。せめてもうちょい早い時間にしてほしかった。 ちょんまげにしていた前髪をおろし、鏡を見ながら整え終え、部屋の引き戸を開ける。 扉の向こうの彼は、いたく不安そうな顔をしていた。 どうしたもんか少し悩んでから、二人で一階の居間に降りる。途中、台所で白湯を用意してから、壁を背もたれに、並んで座布団へ腰を下ろした。 「あの修行、ってさ、ほんとに行かせていいんかなと、思って」 彼はちびちびと白湯を飲みつつ、母屋の方へ視線を向ける。 「四日もかかるんだろ? その間、今剣は……一人なわけじゃん。なんか、マジで大丈夫なのかって、考えてたらぐるぐるしてきちまって……。お前の、ゲームの本丸は、極の短刀もいっぱいいたんだろ。今剣は、どうだったんだ?」 「……、うーん……」 私も白湯を一口飲み、どう答えたもんか、考えあぐねる。 これがまだ、他の短刀であったなら。特に問題ないっしょーと言えるっちゃあ言えるのだが。 個人的に極って、結構複雑なとこなのだ。極にすれば強くなる。完全に私の本丸の主戦力は、極となっていた。七面はもちろんのこと、いや一部例外はあるけど、他のステージだって、極短刀の独壇場だ。 連隊戦だって極短刀の一部隊だけで乗り切った。全然連隊じゃなかった。それくらいに極短刀は強い。戦力としては申し分ない。今となっては、演練の悪魔は蛍丸よりも極短刀たちだ。遠戦刀装持ち極短刀六振部隊地雷です。勝てない。 でも、それは戦力としての話。 例えばの話。私はビジネスライクといった忠臣然の平野が好きだった。極となって帰ってきた平野は、忠臣レベルがめちゃくちゃ上がっていた。ちょっと怖いくらいに上がっていた。なんか、いや、勿論嫌だったわけではないし、平野はかわらず可愛くて頼もしい平野のままではあったんだが、複雑だった。 私そこまで全力で仕えてもらうレベルの主じゃないよ……みたいな。 複雑、としか言いようがないんだが。キャラクターとして、精神面的な意味で考えると、極って本当になんというか、やっぱり複雑なとこだと思う。 私はあくまで、歴代の偉人たちが用いてきた刀を、借り受けているような気持ちで審神者をしていた。ゲームだから余計に、私の刀剣、と言いつつも、注釈として「借りている」が付くような。 それが修行セット持たせて四日間経てば、いきなりマジで「私の刀剣」になってるのだ。びびるのも当然だった。 そして件の、今剣。 今剣が今のところ一番、極にするべきか否か、複雑なところだと思う。 戦力として見るならすべきだろうけど、今剣のことを考えると、そして主である彼のことを思うと……お互いに、しないままの方がいいような……。 でもそれって結局私の主観だしなあ、と、結論づける。ついてない気もする。 「今剣さんは君の刀剣男士だから、私がどうこう言える立場じゃないというか……うーん。こういうのは、自分で考えた方がいいと思うよ。行かせるのも行かせないのも、君の自由なのだし。どうしても他の意見が聞きたいなら、君の刀剣男士に訊いてみたら?」 なんとも当たり障りのない返答になってしまった。でも、そうとしか言えなかった。 修行に出すも出さないも、決めるのは審神者の彼だ。補佐の私じゃない。 「お前って時々冷てえよな」 「信頼の証じゃん?」 「だといいけど。……はあ、結局のとこ、確かにそうだよな。決めるのは俺と、今剣だ」 白湯を一気にあおり、よし! と彼が立ち上がる。 結論は出ないにしても、多少の元気は出たようだ。吹っ切れた、もしくは覚悟を決めた、と言った方が正しいかもしれないが。 「一人で考えてみるわ。さんきゅな、補佐。寝る前に悪かった」 「いいえ。あんま役に立てなくてごめんね」 コップを片付け、二階に戻る。 彼にあまり夜更かししすぎないよう告げ、部屋の前で別れた。 今剣が修行を申し出たのは、翌朝のことだった。 * 彼は今剣の修行申し出を、受け入れることにしたらしい。普段料理なんてしないのに、せっせと今剣のための弁当を用意して、無理すんなよ、絶対帰ってこいよ、と最後には熱烈なハグまでしていた。 今剣の桜が満開だった。 彼と今剣のお別れシーンは、近侍の獅子王が「そろそろ離してやれよ」と苦笑混じりに呟かなければ、あと三十分は続いただろう。今生の別れじゃあるまいし、と思ってしまうのも致し方ない。 それでもまあ、彼にとっての今剣は、最初からずっと傍にいてくれた懐刀なのだ。友であり、保護者であり、弟のようでもあり。そんな心の支えである今剣と、初めて四日間も離れる。 思わず彼が涙ぐんでしまうのも、しゃあないのだろう、多分。 「補佐」 彼が獅子王に慰められているのを眺めていれば、今剣がひょいと私の正面まで跳んできた。見上げられていたので、両膝を地面につけてからはいと返す。 私を見下ろす形となった今剣は、一瞬彼に視線を戻してから、私の頭に手を置いた。 「ぼくは、あるじさまのことがだいすきです」 「はい、知ってます」 「そして、補佐のこともだいすきです。あるじさまのほうがうーんと、うー……っんとだいすきですけど、補佐のこともだいすきです」 「ちょっと意外でした。ありがとうございます、私も今剣さんのこと、大好きですよ」 ぱちくりとまばたきをしてしまったが、そう言ってもらえるのはとても幸せだ。 笑顔を返せば、今剣もふわりと頬を緩めてくれる。 「あなたはいいよどまなくなりましたね。きっと、ここにきてすぐのころの補佐にだいすきですよ、だなんてつげれば、あなたはすくなくみつもってごびょうはちんもくしたでしょう」 だろうね! と内心強く頷く。絶対疑ってかかったと思うわ。 「補佐のおかげで、あるじさまとであえました。あなたはきっと、じぶんのせいであるじさまをまきこんだと、いまでもくやんでいるでしょう。なやんでいるのでしょう。 おのれのよどみをはきださず、ためこみつづける、あわれなひとのこ。あなたをあいするつくもがみがここにはたくさんいること、もっとじかくしなさい。補佐のおかげでぼくたちは、いまこのばにたっているのです。 あなたの生を、ぼくたちはしゅくふくしてますよ」 きっと私は、間抜け面で今剣を見上げていたと思う。 だって、わかるんだ。今剣は、本心から言ってくれている。真実を、口にしている。私を愛する付喪神がここにいると、私の生を、祝福していると。 ……嗚呼、こんなに嬉しいことはない。ほんのちょびっと、涙がにじむ。 頭に置かれたままだった手が、くしゃり、と髪をかき混ぜた。やさしくて、暖かな手だった。 「……ありがとうございます、今剣さん。お帰りを、お待ちしていますね」 「はい! あるじさまをたのみましたよ、補佐。このほんまるの、あなたもふくめたぼくたちの、たいせつなあるじさまです! ぼくがかえるまでのあいだ、しっかりまもってくださいね!」 「はい、もちろん」 ぜったいですよ、と小さな声が響く。 これは約束だ、とすぐに理解した。神様との、破ってはならない約束。 まばたきで涙を誤魔化し、あの日に感じた恐ろしさを思い出しながら、それでも私は、今剣の手を取った。 「私の命は、主のためのものですから」 「ふふ、補佐はいいこですね。――あるじさま!」 最後に私の頭をもう一撫でし、ばびゅん、と今剣は彼の元へ駆けていく。彼ともう一度抱きしめ合って、いってきまあす、と元気な声で正門をくぐっていった。 手を振ってそれを見送り、獅子王が「だぁいじょうぶだって、腹減ったら戻ってくるさ」と彼の背をそっと叩く様を見つめる。 「……主」 「止めないでくれてありがとう、膝丸」 立ち上がって、ずっと背後に控えていた膝丸へと振り返る。膝丸はなんというか、苦虫を噛み潰したような、複雑そうな……どこか責めるような顔で、私を見下ろしていた。 ――わたしでも、神との契約は切れないよ。随分と大見得を切ったね、お姫様。 鼓膜を撫でる女の声も、苦々しい様子だ。 心配性というかなんというか、いや女に心配される筋合いはないんだがな? 「万一、審神者に何かあれば。君が、審神者のためにならぬことをしたら。……死ぬよりも惨い目に遭うかもしれないんだぞ。それをわかっているのか、主」 「そうならないための、約束だよ」 私の唯一。世界で一番大切な、元同級生。 「最初から私は、彼を死なせたくなくて、ここにいることを選んだんだもの。なんも変わんないよ。今は膝丸と髭切っていう、強い味方もいるしね」 ぐす、と鼻をすする彼を見やり、小さく笑う。 膝丸にとっては不覚だろうが、膝丸と女が、同時にため息を吐いていた。 |