最期 [43/56] しんと静まった手入れ部屋の中で、膝丸も私も互いを見ないまま、壁にもたれて座っていた。触れようと思えば触れられなくもないくらいの距離。間には、時折かたかたと震える、刀のまんまの髭切が置かれている。 まるで境界線のように。 どちらも口を開かなかった。手入れ部屋は静かだった。やっぱり時折、髭切がかたかたと震えるだけだ。早く顕現してほしいのだろうか。今はそういう気分にならない。 何かを言うべきだとはわかっていた。でも、何を言えばいいのかわからなかった。 ありがとうもごめんなさいも、違う気がする。どうしてと詰るのも、当然お門違いだ。 どうしたもんかな、と目を伏せて、結局何も言えないままだ。視界に膝丸が入らないように顔を背けて、立てた膝に腕を、そして頭を載せる。 手の震えは、とっくにおさまっていた。身体は、まあ多少疲れてはいるけど、今すぐ寝たい程ではない。心の方も、数時間も経てば落ち着いてくる。 それでもなあ、と内心ため息を吐いて、完全に瞼を降ろした。 浮かんでくるのは、女に向かって銃を構えていた、その瞬間だ。 * 確かに私は引き金を引いた。銃弾は何の問題もなく、銃口から女へと向かっていった、はずだった。女もどこか満足そうにしていた。 こればかりは、なんとなく、としか言い様がない。女の言葉を借りるなら、そういう運命だったのかもしれない。私はあの場で、手段を持つのなら、あの女を私が殺さなければいけないと思った。本当に、なんとなく。 だから止める声も聞かず、結界を出て、女に銃を向けた。怖かったし、嫌だったけど、不思議と違和感はなかった。 きっと逃げようと思えば逃げられたはずだ。それでも女は逃げなかったし、多分だけど、なんなら私に殺されたがってた。理由も何にも知らないけど、あの女は随分と私を気に入っていたから。 だけど、銃弾は女には当たらなかった。空中で半分に切り落とされた銃弾が、地面に落ちていた。私と女の間には、刀を構えた膝丸が立っていた。 こう言っちゃ悪いが、膝丸が邪魔をしたのは、明白だった。 「何を、している? 刀剣男士」 女は、感情がそのまま表情に出ていたのなら、これ以上なく怒り狂ってたんだと思う。今にも射殺さんばかりの顔で膝丸を睨めつけ、歯を食い縛り、顔を青ざめさせながら渦の前に手を振りかざした。 現われるのは二体の苦無。何か、無理をしたのだろう。女はその場に膝をついて、けれど地獄の底から漏れるような声で、苦無に命じた。あれを壊せ。たったその一言で、苦無は膝丸へと襲いかかる。 反射的に銃口を向けた。引き金を引いた。当然のように外れたそれは、けれど牽制にはなったようで、苦無の内一体のスピードが緩む。その隙をついて髭切が、そしてもう一体を膝丸と山姥切が、撃破した。 苦無の対応はもう慣れたと言わんばかりの、速さだった。 女は血の気の失せた顔で、荒い呼吸を繰り返している。視線だけで人を殺せるのなら、きっと膝丸は死んでただろう。それくらいの殺意を持って、女は膝丸を睨んでいた。 見られていない私が竦んでしまうほどの、鋭い視線。 けれど女は、取り乱すことも、呪詛を吐くようなこともなかった。荒い呼吸を無理矢理おさめ、一転、残念そうな笑顔を私に向ける。きっと、一生忘れられないだろうと、何度も夢にでも見るだろうと思うほどに、それは、美しい笑顔だった。一枚の絵のようだった。 「きみに、殺してもらえないのなら、もう生きる意味はないね。……じゃあね、お姫様。どうかわたしの想い――呪い――が、君に届きますように」 そうして女は、折れた苦無の破片で、心臓を突き刺した。あっと思う間もなく、女の身体は心臓を中心にじわじわと黒ずんでいき、最期には、黒ずんだ錆のようなもので全身が覆われ、崩れて、消えた。 人間の最期とは思えないくらい、跡形も残らない、呆気ない最期だった。 何かが、音を立てて落ちる。何だろうと視線を下げて、自分が銃を取り落としたのだと気が付いた。 膝丸がほとんど重傷みたいな身体で、焦ったように駆け寄ってくる。女の、最期の言葉のせいだろう。わたしの想いと言っておきながら、まるでそれは呪いのようだった。何かをかけられたのでは、と思ったのかもしれない。 でも違う。そうじゃない。 私はこの瞬間、確かに、かなしい、と感じていた。やるせないと思った。切なかった。どうしようもなく、邪魔をした膝丸が許せなかった。 何でそう思ったのかはわからない。あの女は敵だったし、めちゃくちゃ私を物扱いしてたし、彼を攫ったのだってあの女だ。女の死を悲しむ理由は、私には一欠片だってなかった。 でも、そう思ってしまったんだ。だから私は、唇を噛んだまま、何も言えなかった。涙を流すわけじゃない。あからさまに顔を歪めたわけでもない。 でも、膝丸に、他の刀剣男士たちに、助けに来てくれてありがとう、うまくいって良かった、だなんて声をかけることは出来なかった。 あの女は、私が殺さなきゃいけない相手だった。そう出来なかったのが、悔しかった。 * 「――ああ、もう、わかった! わかった、兄者! わかったからそう急かさないでくれ!」 唐突に叫んだ膝丸の声で、意識が戻る。ほとんど反射で視線を向ければ、膝丸が何もない宙に向かってばたばたと片手を振っていた。危ない人の図である。 どうせそこに髭切がいるんだろう。指摘されたのか自分で気付いたのか、はたと膝丸の視線がこちらへ向く。交差する。 きゅ、と膝丸の口が引き結ばれた。戸惑うような、どうすればいいかわからないような顔。きっと私も、同じような顔をしている。 過ぎたことを、どうこう言っても仕方がない。きっとこれが、正しい歴史とやらだったんだ。 だから私も、無意識に引き結んでいた唇を開いて、へら、と笑った。 「……主。その……だな、俺は、」 うん。頷く。 膝丸から話しかけてくれるのは、ありがたかった。やっぱり、ありがとうもごめんなさいも、すぐには言えそうになかったから。 「君の手を、血に染めたくは、なくて……君は、主は、俺を指揮する立場であって、主の敵を屠るのは、俺の、刀剣男士の役目だ。だから、」 「……銃に嫉妬でもした?」 「茶化すな、そうじゃない! そうじゃない……違うんだ、これは俺の、わがままだ。君に、他の人間の命を、背負ってほしくはなかった……」 こちらに身体ごと向いて、膝丸は顔を強ばらせている。多分だけど、私があの瞬間何を思っていたか、どう感じていたか、多少なりとも察してるんだろう。 だからどこか、その態度は申し訳なさそうにも見える。主の意に反した臣下として、己の行動を悔いている。 茶化した件についてごめん、と呟いてから、私は立てていた膝を倒した。そのまま上半身を膝丸へと向けて、片手を支えに、反対の手で膝丸の頭を撫でる。 ぐしゃぐしゃと乱雑に撫でれば、やめろとでも言ってくるかと思ったけれど。意外にも膝丸はされるがままで、表情も変わらない。 ちょっぴり苦笑してから、撫でるのをやめた。手はそのままだ。 「ごめん、膝丸。私はどう言えばいいか、わからない。何で私が、あの人を殺したいと、殺さなきゃいけないと思ったのか、私にもわからないんだ。何で遮った膝丸を許せないと思ったのかも、あの人が自分で死んだとき、かなしいとか考えちゃったのかも、わからないの。だから、多分、膝丸の行動は正しかったし、私のしようとしてたことが、私自身のためにならなかったってわかってても、あなたにお礼は言えない。 それでも、ちゃんと合図を受け取って、助けに来てくれたことは、ありがとう。本当に、ありがとうございます、膝丸。あなたと私が、こういう形で契約をしていたから、私と彼を助けて貰うことが出来た。膝丸じゃなきゃ、だめだった。だからありがとう、私の膝丸。あなたが私の刀剣男士となってくれて、良かった」 かた、と支えにしている手の側で、髭切が震える。 膝丸は無言のまま、数回首を縦に振った。多分髭切がなにか言ってるんだろうとは思ったけれど、膝丸は反応を示さなかった。 「俺は、あの時君の邪魔をしたこと、後悔はしていない。間違いだとも、思っていない。だから、謝らないぞ。主の意に反したとしても、それでも止めるのが、俺の役目だ。だが、俺は、君の護衛役としての任を果たせなかった。守るべき主を、一人で敵陣に赴かせた。君も、審神者も救えたのは、結果論に過ぎない。俺は君を一人で行かせるべきではなかった、どんな手を使ってでも、着いて行くべきだった。 すまない、主。君を危険に晒させた。これは俺の罪だ。不甲斐ない俺を、それでも主の刀剣男士だと言ってくれるのならば、こんなことは二度と起こさない。君を守る。俺の職務を、果たすと誓う」 ごめんねと心の中で呟いて、髭切を横に避ける。かたかたどころかガタガタッと手の中で震えたけれど、あとでリーフパイ焼いてあげるから許してほしい。甘い物好きかは知らないけど。 そしてあいた空間に膝立ちで進んで、膝丸をそっと抱きしめた。何度か抱きかかえられたり、抱き留められたりはしたけれど、私から膝丸に抱きつくのは初めてな気がする。 ぽんぽんと後頭部を撫でれば、膝丸も私の背に手を回した。 「全部がすっきりしたわけじゃないけど、これから、ゆっくり消化していこう。膝丸はこれからも、私の刀剣男士だから」 「ああ、ああ……勿論だ。君も、この先ずっと、俺の主だ」 その内畳の上でタップダンスでも始めんじゃないのかってくらい、髭切の本体は震え続けていた。 |