歴史修正主義 [40/56]


それからも二人に挟まれ、このまま身体半分こにされたらどうしよう……と内心びくびくしていた頃。
本陣の入り口辺りが、ざわざわとし始めた。瞬間、女の顔が険しくなり、私から手こそ離さないものの、顔が入り口の方へと向けられる。

「座標は少しずらしたけれど、あくまで本陣だからね。敵が入り込んだのかもしれない。わたしたちは帰ろう、お姫様。君が王子様も要ると言うのなら、まあ、それも持っていってもいいよ」

女がにこりと笑う。私が何度も感じた、気安い、友だちに向けるかのような笑顔。目の奥まで完璧に笑っていて、それが逆に、恐ろしかった。
いっそ目だけが笑ってないだとか、私の霊力にしか興味関心がないだとか、そういう感じであれば、私はあっさりこの手を振り払えたはずなんだ。いや今も割と振りほどきたいけど。離れそうにないし。そんな腕力もないし。

けど、この女は、多分違う。めちゃくちゃ物扱いはしているけど、多分、私そのものを求めてる。この女がどういう環境で生きてきたどういう人間なのかは知らないけど、少なくとも私や彼みたいな育ち方はしてないと思う。
周囲の大人に庇護されて、何の疑問もなく学校に通えて、友だちがいて、好きな人がいて。そんな、多くの人が特別とも思わずに受け取っている日常を。多分、この女は知らない。

「あなたたちの目的は、なに」

ここに来て初めて、私から女に問いかけた。女はぱあっと花の咲いたような顔で振り向き、わたしたちの目的はね、と話し始めてくれる。
ワンチャン扱いやすいかもしれないとうっすら思った。

「君の言った通りさ。一部の人間にとってのみ正しいとされる歴史を、全て修正する。真実、正しい歴史とする! 今の時代に伝えられている歴史なんて、嘘ばかりだろう? 嘘ばかりなんだよ!
 そういう歴史だった、それが真実だ、と吹聴することで、過去までもが形を変えた。人間の思いは凄まじいと思わないか? 現在未来を変えるならわかる、けれども変わらないはずの過去までも、己の正当性を示すためだけというくだらない理由で塗り替えてしまったのさ。だからわたしたちが正す! 修正する! あるべき歴史を、あるべき姿で!」

訂正、こんな人、扱いやすいわけがない。
掴まれたままの左腕が、ぎり、と軋む。反対側、右腕を掴む手までも力がこもったのは、彼が動揺したからだろう。女の発言が事実であれ虚言であれ、どうにも彼は素直が過ぎる。
いやまあ、こういう流れに持ってっちゃったの、私なんだけども。

「その結果、今現在に存在する人間が、歴史の修正によって消えてしまっても?」
「大丈夫、君は消えないよ。わたしのものだもの、わたしが守る」
「そういう話ではなくて」

ヤンデレかよと脳内ツッコミ。話が通じない系ヤンデレ無理です。会話のキャッチボールしたいのに暴投しかしてくんないし私の投げたボール絶対ホームランする。

「……? 何を困ることがある? 修正によって消えた人間は、そもそも存在すべきではない人間だろう。それが消えたんだ、むしろ喜ぶべきさ。それが消えることによって、わたしたちの行いこそが正しいのだと、証明されたのだから」
「何、言ってんだ……おまえ、」
「君こそ何を言っているんだい、審神者。何故他人にこだわる必要がある? わたしたちのこれは、例えば人間がするような、嫌いな奴を殺そうだとか、金のために殺そうだとか、そんなちゃちな話じゃないんだ。この国の、そして世界のための戦いなんだよ! 一部の権力者のみのために塗り替えられた過去で、どれだけの人間が死んだ!? どれだけの人間が、被る必要のない泥を被らされた! わたしたちは過去を取り戻す戦いをしているんだ、生まれるべきではない存在が消えたところで、喜びこそすれ、嘆く必要なんて欠片もない!」

顔を顰めてしまうほどきつく握りしめられた左腕に対し、右腕を掴む手は、頼りなく震えていた。
彼はきっと、納得しかけている。現在を脅かされること、関わりのない人間が歴史修正によって存在を消されてしまうこと。それは許容できないにしても、女の言い分だって正しいかもしれない、と考えてしまっている。

私は、まあそんなとこだろうな、と別の意味で納得しているところだ。
戦争にどっちが悪、ってのはあるかもしれないが、あんまりないと思う。あれはどっちも正しくて、どっちも間違っているものだ。
過去をとるか、今をとるか。その違いでしかないこの戦争も、どっちが悪でどっちが正義って、明確に決められるもんじゃない。

三人ともが沈黙していたところで、多分さっき離れていった苦無が戻ってきた。尾のような骨格部分が下半分ほどなくなり、口に咥えている苦無にもヒビが入っている。
女が、ああ、と惜しむようなため息を吐いた。

「また随分と、壊されたね。敵は? やはり刀剣男士か。忌々しいな。彼らとて今この国を統べるものたちに、己の主を奪われ、あるいは自身を壊されたくせに、何故わたしたちの敵となるのだろう。端から存在せず、人の思いによって存在させられ、要らぬ苦しみを味わわされたものもいるのに」
「……」

確かに、とちょっと納得してしまったけれど、それだけだ。私のやるべきことは変わらないし、やりたいことだって変わりない。
右腕をくいと動かし、未だ呆然としたままの彼を我に返らせる。
僥倖だったのは、女が、私の持ち物を取り上げなかったことだった。

「さあ、もうここも危ない。帰ろう。今度は君の好きな飲み物を入れるし、君の好きな茶菓子を添えるよ、わたしのお姫様。そうして一緒に、歴史を正そう」

女が私の腕を引くのと、この場所を区切っていた段幕が切り裂かれたのは、ほとんど同時で。女がそちらに意識を向けた瞬間、私は巾着の中から拳銃と護符を取り出し、ほとんど零距離から女の腕に向けて発砲。その反動で彼とぶつかりながら、腕の拘束を解呪した。案の定なんらかの術式がかけられていたようで、拘束が解けたと同時、彼がほっとした様子を見せる。
段幕を切り裂いて現われたのは、膝丸かと思いきや予想外にも髭切だった。腕をかすめた弾丸に顔を顰める女へ、手加減なく斬りかかる。けれどそれは、未だ無傷のままの苦無と太刀に防がれた。とはいえ苦無は、吹っ飛んでいってしまったが。

「主、結界!」
「えっお、おう!」

突然の展開についていけていない彼に呼びかければ、すぐさま私と彼とを包む結界を展開させる。これがどの程度保つものなのかはわからないけれど、時間稼ぎにはなるだろう。
呪文詠唱的な意味で使いたくなかった護符類を彼に手渡し、結界の強化に用いるよう伝える。すらすらと詠唱する彼は、さすが審神者歴六年といったところだ。私はちょっと無理です。

おそらく重傷の苦無が二体と無傷の太刀が一体。それを相手取りながらも髭切は、私と彼を守りやすい位置へと移動していた。この髭切がどこの髭切かはわからないが、随分と強いことだけはわかる。経験も多そうだ。
女は腕から血を流しつつ、悲しそうな、悔しそうな、憎々しいような顔で、私を見つめていた。口だけが微かに、なんで、と動く。

「君は、わかってくれたんじゃ、なかったの」

かろうじて届いた声は、あまりにも抑揚がなかった。一点のみが赤く染まった黒い瞳が、じっと私だけを映している。視線を逸らさぬまま、血の流れていない方の腕を女が軽く上げた。音もなく現われるのは、あの時の渦。

「ちょっとこれは、分が悪いかなあ。ねえそこの、補佐の君」
「えっはい」

どうにか苦無の内一体を破壊し終えた髭切が、唐突に私へと声をかけてくる。思わず女から髭切へと視線を移せば、女の方から舌打ちが聞こえた。

「良い玩具を持ってるね。援護射撃、よろしく」
「……、」

え、ええ〜……とは思ったが、この拳銃はともかく、詰められている弾丸は政府の術者が念入りになにやらを込めていたものだ。遡行軍を破壊するほどの力はないものの、足止めくらいは出来る。
でもそれも、射撃能力のある者が使えば、の話だ。私にそこまで精密な射撃は出来ず、さっきだって零距離だったにも関わらず女の腕に銃弾をかすめることしか出来なかった。
援護射撃どころか、フレンドリーファイア待ったなしですが。それでもいいのか。
フレンドリーファイアで思い出したが、そもそもこの結界、どこぞの宇宙生物が張るバリアみたいに、内側で撃てば内側に、外側で撃てば外側に反射したりしないよね? 自爆は嫌だ。

「それは大丈夫。外からの侵入を阻むだけの結界だ」
「あっはい。……じゃあまあ、髭切さん、当たったらごめんなさい」
「ありゃ、そこまでへたくそなのか」

彼が結界を維持し、私が申し訳程度の援護射撃で太刀を牽制している間、髭切はもう一方の苦無も破壊した。けれど女が追加で二体、大太刀と脇差を喚び寄せる。
苦無ではない辺り、やっぱり数が限られるんだろうか。

機動から考えて脇差だろう、と脇差の足……あれは足なのか……? 手でもあるのか……? へと、ひとまず四発続けて発砲する。奇跡的に三発が見事命中し、脇差が体勢を崩した。
髭切と大太刀が組み合っている中、援軍が駆けつけてくる。そこには膝丸と、彼の山姥切がいた。背後の彼が微かに息を吐く。私も、無意識に張り詰めさせていたんだろう気が、少しだけ抜けた。良い意味で、だ。

「主を帰してもらうぞ。――俺を写しと侮ったこと、後悔させてやる」
「俺が負けては、兄者の、そして主の評判に関わるからな!」

二人して、真剣必殺の大盤振る舞いだ。大太刀と脇差も沈み、残るは渦の前で沈黙する女のみ。
ゆったりと周囲を見渡してから、小さなため息を吐いて、両手を挙げた。

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