認容 [35/56]


政府の救援が訪れたのは、それから五分も経たない内だった。
長谷部には見えていた。遠目からではあったが、主が彼女を救い、その身代わりとなって歴史修正主義者に浚われた一部始終を、見ていた。室内で敵脇差に斬りつけられた腹の痛みも、道中敵短刀に裂かれた左脚の痛みも忘れ、全速力で走った。
それでも彼女の元に長谷部が辿り着いたのは、主が消えた直後だった。

彼女は無音で、はらはらと涙を流していた。伸ばしたままだった手を力なく降ろし、地面にへたり込んだまま泣き続けている。
何も言わなかった。長谷部もまた、何も言えなかった。

憤りがなかったわけじゃない。何故彼女の代わりに主が、と思う気持ちも当然ある。最優先すべきは主の命であって、彼女は二の次だ。勿論、彼女がいなくては主は審神者を続けられない。主が生きている限り、彼女の存在も必要だ。
けれど、主を失い、彼女だけ残ってしまっては、意味がない。

それでも何も言わなかったのは、彼女の叫びが聞こえたからだ。主、と喉が張り裂けんばかりの声で、長谷部たちの主を呼んでいた。
彼女にとって主は、上司には当たれど持ち主ではない。この一年間、彼女は主のことを君ないし彼としか称していなかったのを、長谷部は知っている。三人称で呼ぶ姿は、見たことがない。当然、刀剣男士が主に抱くような忠誠心なんかも、欠片だって持ってはいないだろう。
だから彼女の、主、という叫びは、長谷部にとって予想外だった。
鶴丸から、彼女は主のために死ねるらしいとは聞いていたが、その時と同様の驚きだった。

未だ泣き続けている彼女を、そっと抱え上げる。

「行きましょう。あなたは主に後を頼まれたのです。泣くばかりではなく、先のように凛と指示をお出しください。まずは政府に説明を、俺たち刀剣男士は、今この時ばかりは、あなたに従います」

今までの長谷部は、あくまで彼女を、主にとって必要なもの、としてしか扱っていなかった。堀川の辺りがしていたお客様対応ですらなく、主の補助品、そこに居るだけの女。その程度の扱いだったのだ。
それが今この瞬間、初めて、長谷部は彼女を審神者補佐として扱った。審神者の補佐として働き、審神者の不在時は審神者に代わって刀剣男士をとりまとめる。そういった存在であれと、長谷部は彼女に道を示した。

呆然としていた彼女の表情が、息を吹き返す。涙が溜まったままの目でゆるゆると長谷部を見上げ、そうして数秒見つめた後、自身の袖で徐に涙を拭いた。

「わかりました。すみません、しっかりします。私の所為で彼が奪われたのなら、私が取り返さないと」
「またお荷物になるおつもりで?」
「まさか。使えるものは使うけど、私の身体は使えないものです」

貼り付けたような、無理矢理な笑顔で彼女は笑う。その後すぐにはっと気が付いて、彼女の顔が背後へと向けられた。

「は、長谷部さんタンマ! ストップ! 止まってください! 膝丸がっ」
「膝丸ならば既に今剣と岩融が手入れ部屋へ連れて行きました」
「早い……さすが……」

いつの間に、とぶつぶつ呟く彼女は、自分がどれだけの時間――といっても数分程度だが――無言で泣き続けていたかをわかっていないらしい。
けれど、今はそんなの、どうでもいいことだ。

微かに聞こえてきた、敵方だろう女の言葉。許されざる物言いだが、主を餌、と言っていた。二度目はある、とも。
つまり主は、再び彼女を釣るための餌とされたのだ。ならば、少なくとも今すぐには、殺されないはず。だから必要以上に焦る必要はない。かといって、時間の猶予があるわけでもない。
殺さなくとも、人間を壊す方法は、いくらでもある。主が無事である内に、彼女を用いて、主を救いださねばならない。

「忙しくなります。ひとまず政府との話を終えたら、あなたは霊力の回復に努めてください」

主を抱えて、敵がまた舞い戻ってくるか。はたまた此方側が、敵の本拠に乗り込むこととなるのか。
そもそも敵の本拠地がどこにあるかなど判明していないのに、長谷部は考える。冷静に見えて、あまり冷静ではなかった。冷静ではない己を自覚しながら、長谷部は努めて冷静に振る舞っていた。
今取り乱せば、彼女を傷つけると、わかっていたからだ。

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