拉致 [34/56]


長谷部と蛍丸と山姥切が、遡行軍の出てくる穴を壊すまでの間。確かに言葉通り、膝丸は余裕綽々とは言わないまでも、さほど苦戦することなく私を抱えたまま戦闘をこなしていた。
苦無を序盤で倒せたのが良かったのかもしれない。基本的に夜戦や室内戦でさえなければ、三スロのカンスト太刀なんて敵無しだ。特に膝丸は機動の値が高い。過ぎ去る景色の速さは、さっきの長谷部と大差ないくらいだ。

「穴は壊した! これで増援はもうない!」

山姥切の声が本丸中に響く。この調子なら、と思う。
油断や慢心は命取りになると、私はゲームでも漫画でもアニメでも、知っていたはずなのに。現実として、その考えが身につくことはなかった。

「――ッ主!」
「う、わっ」

突然の衝撃。膝丸に投げ飛ばされ、私は右肘と両膝を擦りながら地面に転がった。擦り傷なんて何年ぶりかもわからない。痛みと衝撃に身を震わせつつ、よろよろと身体を起こす。
さっきまで立っていたはずの場所に、膝丸がいなかった。

「ひ、膝丸、」

呆然と名を呼ぶ。視線を動かす。数メートル離れた場所で、膝丸が倒れていた。転がり落ちている刀には、今にも折れそうな程のヒビが入っている。膝丸は起き上がらない。ぴくりとも動かない。
膝丸を中心に、血溜まりが、じわりじわりと、広がっている。
端末を確認するまでもなかった。重傷だ。それも戦線崩壊レベルの、おそらく生存値は一しか残っていないような、辛うじて折れていないだけの。

痛みはやまないし、あの膝丸が一撃で倒された事実も受け止められないし、今この瞬間私の周囲に刀剣男士はいないしで、当然のように私は焦っていた。怯えていた。
それでも声を上げられなかったのは、目の前に、苦無が浮かんでいたからだ。
尾のような部分がボロボロになっている辺り、この苦無もほとんど折れかけている。重症の身で、きっと隠れて、チャンスを探っていた。そしてそれが、今だった。

残り一割程度の霊力を、少しずつ、膝丸と繋がっている呪具に流していく。本末転倒だ、わかっている。ここで私が動けなくなるのは悪手だ。動ける内に走り出すなり声を上げるなりして、膝丸を見捨ててでも、逃げ道を探した方がいい。その方が多分、私の生存率は上がる。
それでも、無理だった。無理なんだ。出来るわけがなかった。
このまま膝丸を見捨てるなんてことが、それが絶対に正解だったとしても、出来るはずがなかった。

残った霊力はほんのひとかけら程度。私にはもう這いずるくらいの力しか残っていないし、膝丸も結局、中傷寄りの重傷くらいまでしか直せなかった。
起き上がらない膝丸を横目に見やり、苦無へと戻して、ほんの少しでもと距離を取る。
多分、多分だ。おそらくだけど、私はきっと、殺されない。霊力を目的とするのなら、拉致が一番妥当なはず。今すぐの距離に命の危険がないのなら、私は私よりも、膝丸を優先させる。
間違ってるって、わかってるけど。

「苦無、よくやった」

少しでも遠く、ほんの少しでも、と足を引きずっていた直後。聞き慣れない声と共に、目の前に足が現れた。透明人間がいきなり現れたみたいに、瞬きしたほんの一寸の間に、それは目の前にいた。
きっと今、私の顔は青ざめている。ゆるゆると見上げた先の顔は、予想外にも女だった。声からして男だと思ったんだが、ハスキーボイスの女だったらしい。どうでもいい、現実逃避。

「あーあ、ほとんどすっからかんだ。まあいいか、生かしておけばすぐ戻る。目標は手に入れた。撤退だ、苦無。残った奴らに伝えておいで。別に折られてもいいけど、君は新兵器だからね。なるべく壊れないまま戻ってきてくれ」

よろよろ、というのが正しいかはわからないけど、苦無は女の指示に従うように、どうにもバランスの悪い浮き方をしながら飛んでいった。
ぼんやりとそれを見送り、とりあえず膝丸の危機は去ったんじゃないかと、考える。女へ視線を戻せば、まるで長年の友だちかというくらいに気安い笑顔で、私の手を取った。

「怪我をしているね。右肘、両膝、ああ右足の脛も擦っている。右腕も、だね。頬にも擦り傷が出来ている。女の顔に傷を付けるだなんて、男は粗雑で嫌だねえ。立てる? 立てない? 立てないね、その状態じゃ。じゃあ仕方ない、おいで、大太刀」

空中がぐにゃりと歪んだ。渦のような境目から、大太刀がぬるりと現れる。
そんな、そんな方法が出来るのなら、あの正門上空の穴は、何だったんだ。唖然としたまま、敵大太刀に抱え上げられた。抵抗は、出来ない。

「不思議そうだね。わたしのこれは一、二体が限度なんだよ。あちらの、もう潰されてしまったが……大穴とは別物さ。しかし、こうも呆気なく壊されてしまうとは。あれの耐久性も見直さないとな」

さて帰ろう、と女が踵を返す。目の前には歪んだ渦。どうしたもんかと思ったが、思うだけだ。どうしようもない。口を開くのもつらい程の疲労感。
何より、当然だ、私は今までにないくらいに、怯えていた。敵大太刀の、温度のないひやりとした身体。多少なりとも人体っぽいつくりをしているのに、触れた感触は鉄の塊のようだ。そんな、あからさまに人外な存在に、今の私は命を握られている。
殺されはしないだろう。だから何だ? 死なないからって、それが怯えを消せる理由にはならない。

膝丸のお荷物になって、このまま拉致られて、まさしく悲劇のヒロインだ。いっそ今この場で、自害でもした方がいいんじゃないか。
そのための膝丸だったんだ。今となっては膝丸にも、本体にも手が届かないけれど。敵大太刀の刀なら、すぐそこにある。

「おっと。変なことは考えないでくれよ。君が今ここで自殺でもしようもんなら、わたしはもう一度あの大穴を開ける。今度は苦無ばかりを入り込ませようか? きっと楽しい絵が見られるだろうさ」
「……ッ」
「それは嫌だろう? いやあ、わたしはなんて優しい。君がおとなしくしていれば、このまま身を引いてあげると言っているんだ。最新兵器の情報すら与えかねないのに、審神者も刀剣男士も生かしたまま帰ってあげようとしている。優しいと思うだろう?」

だからおとなしくしておくんだよ。と頭を撫でられた。存外に優しい手つきで、逆に怯えが増したくらいだ。
そう言われてしまえば、いよいよ本当に、どうしようもない。
私は緊張させまくっていた身体を弛緩させ、肩を竦めた。今は一旦、諦めよう。脱出の方法は後で見つかるかもしれない。政府がなんとかしてくれる可能性だって高い。そもそも政府だって、私の霊力は失いたくないはずだ。
だから今は、諦めるしか。

「ッざけんな!!」

渦に飲まれる直前、本当にギリギリの、直前だった。ドンッと鈍い衝撃。大太刀の手から私が離れ、宙に浮く。

ふざけんなはこっちのセリフだ、と思った。何してんだ、何をしているんだ、君は。
たった一人で、何で刀剣男士も連れずに、たかだか霊力を持ってるだけの審神者が、大太刀相手にタックルだ? 何を考えてるんだ、彼は!

「こいつは、俺のだ!」

大太刀とぶつかった反動で宙に浮いている彼が、手を伸ばしている。無意識に私も手を伸ばして、最後の力を振り絞った。
別に君のものじゃないって、そう言いたかった気もするけれど。もう何でも良かった。

指先が触れる。手を掴む。
そのまま彼が、勢いよく手を引いた。

「なに、」

スローモーションのようだった。
宙に浮いたままの二人。片方が勢いよく手を引けば、どうなる? 私と彼の位置は反転し、私を捕まえようとした敵大太刀の手は彼を捕らえて。
あろうことか彼は、振り向こうとする私の身体を蹴飛ばした。

「時間切れだ。まあいいか、餌があれば二度目もある。王子様を迎えにおいで、お姫様。たまには逆もいいだろう?」

女が渦の向こうに消える。敵大太刀が渦に飲まれる。彼の身体が見えなくなって、伸ばしたままの手だけが、こっちへと向けられている。
私は彼の名前を呼べない。無様に地面に転がった私じゃ、もう彼の手を掴めない。
待って、待って、行かないで。何で君が、おかしいでしょ、狙われたのは、目的は私だったのに! この本丸の審神者を、私の元同級生を、私の大事な人を、連れてかないで!

「――主!!」
「……ごめんな、補佐」

あと頼むわ。

そんな声だけを残して、彼も消えた。渦も、なくなった。
遠くからバタバタと忙しない足音が聞こえてくる。私は呆然と手を伸ばしたまま、疲労感も忘れ、いつの間にか泣いていた。

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