可哀相 [30/56]


その場を薬研が通りがかったのは、本当に偶然だった。薬箱の中身を補充するため蔵へ向かおうとし、途中でこちらの庭を突っ切った方が近道だと思って、進路を変えた。
そうすれば大穴の前で立ちすくんでいる膝丸がいる。穴の中からは鶴丸の声が漏れ出ていて、自分で掘った穴に自分で落ちたのかと呆れ笑いを滲ませかけたが、すぐに違うと気が付いた。
びり、と肌を震わせるような空気の変化は、霊力によるものではない。単純に、純粋に、人間の感情から来るものだった。薬研には殺意とすら感じられたくらいのそれは、気配からして彼女のものだ。
どうやら鶴丸が、何やら彼女を怒らせたらしいと悟る。けれどすぐに空気の変化はおさまり、代わりに、振り絞るような鼻声が薬研の鼓膜をゆらした。

「かわいそうなんかじゃ、ない」

それは確かに、彼女の声だった。まるで、自分に言い聞かせているみたいな言い方だった。
中途半端な距離のまま、薬研は事態を静観する。膝丸も、穴の中にいるんだろう鶴丸も、もちろん彼女も何も言わない。助け船を出してやるべきか、否か。答えを出さないまま、薬研は姿勢を少し楽にした。

主の霊力供給機として、この本丸で暮らす彼女。
政府で何やら検査をし、膝丸を連れて帰ってきたその日。主に代わってこんのすけが、彼女と主を取り巻く事情を話してくれた。
歴史修正主義者に狙われた、彼女の無尽蔵とも言える霊力。彼女を釣り上げるための餌として、利用された主。主と彼女を繋ぐ縁を利用し、歴史修正主義者は目的の霊力を手に入れた。
その話を聞いたとき、まるで茶番だ、と薬研は思った。
霊力の枯渇によっていずれ死ぬ運命とされていた主を、あっさり救ってくれた人。けれどそれも元を正せば、彼女のせいで主は巻き込まれたのだ。自分のせいで死にかけていた者を自ら救う。これを茶番と言わずして何と言う?

薬研だって、彼女を嫌っているわけじゃない。そもそも今の本丸に、警戒はし続けていても彼女を嫌っているようなものはいないだろう。
刀剣男士は人間が好きだから、この戦争に協力してやっているようなものなのだ。人間である限り、余程非道な者でさえなければ、刀剣男士が人間を嫌うことはない。
だから勿論、感謝もしている。彼女のおかげで、薬研は主に会えたのだから。悪いのは歴史修正主義者だし、彼女も結局は巻き込まれた側に過ぎない。

だから、やっぱり、彼女は可哀相なんだ。主も彼女も、哀れで仕方がない。
本来は平和なはずの時代で生き、戦争なんて関係ないまま死ぬはずだった命。それが何の因果か無尽蔵の霊力を持って生まれたせいで、審神者の適性を持っていたせいで、こんな目に遭っている。
誰が何と言おうと、可哀相なものは可哀相だ。だからこそ愛しいとも、思える程に。

「……私は、」

微かながらも凛とした声が、空気を震わせた。僅かに逡巡した後、薬研は膝丸の近くまで歩み寄る。穴の中にいた鶴丸が、ちらとだけ視線を寄越してきた。

「あなたたちに、嫌われたくはない……です。でも、私が黙っていること、話す必要はないと、思ってます。話したところで……信じれるものでもないでしょうし、そういう、信じるか信じないかは、あなたたちが決めることだろうとも思いますけど、それでも。調子に乗って匂わせたのはこっちだし、疑われるのも、その結果嫌われても……しょうがないです」

ぽつり、ぽつりと、彼女は考えながら話しているようだ。
いつだかに宗三が言っていた。彼女が聡明で従順に見えるのは、刀剣男士を好いているからに過ぎないと。実際に頭が良いわけではない。実際に従順なわけでもない。ただ好きだから、嫌われたくない一心で、そう見せているに過ぎないのだと、言っていた。
けれど、と薬研は思う。おそらく彼女は、少なくとも生き方という点においては、それなりに頭が良いんじゃないだろうか。それとも、察しが良い、というべきか。
不本意ではあるだろうが、彼女は疑われることも嫌われることも、よしとした。わかっているのだ。どれだけ疑われようとも、嫌われようとも、彼女の目の前にいる鶴丸が、他の刀剣男士たちが、彼女を斬るなんてことは起こりえないと。
だって彼女がいなければ、主は生きていけないのだから。

「それに、知らなくても、問題はないはずです。なんなら私は、彼の代わりに死ねますよ。それでも彼が生き続けてくれるのなら。二十五年分と同等に溜め込んだ霊力、渡せるもんならまるごと渡してもいいくらいです。……本音か建前かの判断は、つくのでしょう?」
「……ただの元同級生、ってだけじゃあなかったのか?」
「それ、あなたに話しましたっけ? まあいいですけど。元同級生、だからですよ。知人が死ぬのを見るくらいなら、私が先に死んだ方がマシです」

なるほど確かに、彼女の言葉は全て真実、本音だった。
主の代わりに死ねると、彼女は本気で思っているのだ。隣の膝丸が顔を顰めているのは、膝丸の主が彼女だからだろう。もしも薬研の主が彼女であったのなら、これは聞いていて気持ちの良い話題ではない。

「それさえわかってくだされば、私の隠し事なんて、どうでもいいことのはずですよ」

その言葉を最後に彼女は口を閉ざし、辺りに沈黙が落ちた。
長い間をあけて、鶴丸が息を吐き出す。参った、と両手を挙げた。

「薬研、縄か梯子を持ってきてくれ。俺一人ならまだしも、彼女を抱えてここを上るのは難儀しそうだ」
「調子に乗って深く掘るからだ。わかった、ちょいと待ってろ」

背を向け、急ぐことなく歩き始める。梯子は確か、蔵の中にあったはずだ。ついでに自分の用事を済ませてきてもいいだろう。

「きみが何故そこまで頑ななのかはわからんが、主への思いは理解した。いずれ話しても良いと思える日が来たのなら、その時には教えてくれ。毒だろうが薬だろうが、はたまたそのどちらでもない些事だろうが、諸手を挙げて聴いてやるさ」

背後から聞こえる鶴丸の声に、返答はない。薬研には確認のしようもないが、おそらく頷くくらいはしてるんだろう。
どうやら思った以上に頑固な性分であったらしい。彼女への認識を少しだけ改めつつ、薬研は歩調を速めた。

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