疑問 [20/56] その日の近侍は山姥切だった。 この本丸の近侍は、たまに出陣等で交代することはあるものの、だいたい月ごとのローテーションだ。主に山姥切、長谷部、獅子王、蛍丸、博多の五人が務めている。 今日の主は書類に追われていた。だらしないわけではないのだが、主は緊急でない書類は溜め込み後回しにしてしまう質だ。提出期限が明日に迫り、ばたばたと確認やまとめをしては署名、捺印を繰り返している。 山姥切も出陣や遠征の結果をまとめているところだった。得た資材や刀剣を記し、歴史修正の兆しや、遡行軍の撃破数も書き込んでいく。 そんな二人の後ろ側、部屋の隅で、彼女は審神者用の新聞や公報などを、真剣にめくり続けていた。 一息つきがてら、その様子を横目に見やる。主が熟読し、書庫にしっかりと保管していた新聞、冊子類。以前から彼女はそれを古い順に読んでいたが、今日は新しいものから見ているようだった。 最新のものは、今朝配達された新聞である。それはもう読み終えたのか、傍らに積まれていた。今読んでいるのはどうやら、去年末に発刊された広報誌らしい。連隊戦があった頃だ。 あの頃は別件で忙しかったのもあり、運がなかったのもあり、主は膝丸も髭切も入手することが出来なかった。 「あー……なあ山姥切、ちょっと休憩にしようぜ〜……。目ぇ悪くなりそうだ」 「進捗は」 「三分の一」 「あと一時間頑張れ」 疲れた様子の主が「鬼!」と声を上げながら眉間を揉んでいる。五年近くを共にしてきた初期刀なのだ。山姥切は甘くはない。 急に主と山姥切が声を出したからか、彼女がふっと視線を上げた。主が気付き、何調べてんだ? と話しかける。一瞬躊躇し、答えた。 「刀剣男士の入手方法とか、合戦場とかをね。審神者の仕事や政府について調べるばっかで、その辺り見落としてたから」 「相変わらず真面目だな。その調子ならあと数ヶ月もしないうちに、書類のまとめも頼めそうだ」 「主、それはアンタの仕事だ」 「……だってさ。がんば」 ちえ、とわざとらしい舌打ちをし、主は再び書類と向き合う。きちんと手が動いているのを確認してから視線を向ければ、既に彼女も己の手元に目を落としていた。 やはり、その表情は真剣そのものだ。 山姥切は彼女とあまり会話をしたことがない。だからどういう人間なのかなどほとんど知らず、山姥切が持つ彼女の情報は、主や他の刀剣男士から聞いたものばかりだ。 それらの情報を統合して、とりあえず真面目な人間なんだろう、と山姥切は思っている。 毎日割り振られた手伝いを文句一つなくこなし、手伝いが終われば書庫や執務室で審神者業等について勉強している。なるべく主の傍に居るようにしているのは、霊力供給のためだろう。傍には居るが仕事の邪魔にはならないよう、静かに勉学に勤しんでいる。 それほど彼女に興味を持っているわけではないが、その点においては好感が持てた。 まずなにより、彼女は山姥切に対して綺麗だとか、そういうことを言わない。最初の頃は綺麗だのなんだのと話しかけられたらどうしようかと勝手に危惧していたが、まったくの杞憂だった。 写しについても何を言うわけでもないから、近くにいて気は楽だった。ただ知らないだけかもしれないが。 それから一時間が経ち、主は今度こそ「休憩だ休憩!」と執務室を出て行った。厠に寄ってから母屋の厨で何かもらってくる、と。厨には山姥切が行くと申し出たのだが、ついでだからと断られてしまった。 申し訳ないと思う気持ちがないのは、主がおやつのつまみ食いを目的にしていると知っているからである。 さて、執務室には山姥切と彼女のみが残された。 彼女は我関せずといった様子で変わらず冊子類を読みふけっている。そんな彼女をなんとなく見やり、山姥切は常々抱いていた疑問について考え始めた。 この本丸に彼女が現れて、一月以上が経過した。その間、山姥切が抱く疑問については、誰も口にしていない。刀剣男士はおろか、彼女本人、主、政府まで、全てがだ。 何故気にならないのか。彼女の隠し事とやらだとか、刀剣男士を知っている風であるだとか、そんなことよりも余程重要な疑問であるはずなのに。 あまりにも誰も気にしていなかったから、山姥切も黙していた。だが、もしかしたら彼女本人は、気になっている上で山姥切と同様に黙っているのかもしれない。だって本人なのだから、気になっているはずなのだ。多分、おそらく。 訊いてみるべきか、否か。そわそわと彼女を見やったり視線を外したりしていれば、何故だか観念したかのように彼女が顔を上げた。 どうかしましたか。数秒の間をおいて、彼女が問いかけてくる。こうなるともう、言ってしまうしかなかった。何でもないと誤魔化せば、山姥切の疑問は永久に晴れないかもしれない。 「この本丸に、来たとき」 彼女は身動きがとれないほどに、疲労していたと聞いた。今剣が運び、薬研が看て、霊力を一時的に回復させる薬を飲ませた、と。 その時の彼女は、霊力がほとんど空になっていたらしい。それも今となっては、すっかり戻っているが。 「何でアンタの霊力は、空になっていたんだ?」 「……え?」 問いかけられた彼女は、随分と間の抜けた顔をした。思いもよらぬことを訊かれた、といった様子だ。 じゃあ、彼女も気が付いていなかったのか。気にしていなかったのか。何故だ? 「本丸は、主や俺たち刀剣男士の霊力、神気によって成り立っている、一種の神域だ。確かに一般人が入れば、疲れたような気分にはなるだろう。外とは空気が違いすぎるからな。だが、身動きがとれなくなるほどの霊力を、この本丸がアンタから奪ったとするのなら」 「――……彼も、あなたたちも、気付かなきゃおかしい……」 「そういうことだ。アンタの霊力はあの時、この本丸に全く混ざっていなかった。アンタはどこで、霊力を失ったんだ」 彼女の顔は青ざめていた。事の重大さに気が付いたらしい。 しばらく考え込み、記憶を掘り返している様子の彼女を眺める。 「主とアンタの状況は似ているらしいが、別の本丸に落ちた時の主は、身動きがとれないなんてことも、疲労感が酷いなんてこともなかったそうだ。何故アンタだけが、そうなった?」 声を発せないようだった。真っ青どころか色をなくした顔で、視線を山姥切に縫い止めている。 何故、それに気が付かなかった。何故それを、考えなかった? 彼女の霊力は特殊で、呪具でもつけない限り、身体の外に出すことが出来ないのに。 |