侵入者 [1/56]


青いなあ、としばらくの間ぼんやり、空を眺めていた。
頬をくすぐる草、間近に感じる土の匂い、時折やわらかく吹く涼しい風。絵に描いたように、のどかな場所だった。シートでも敷いて、サンドイッチの詰まったバスケットを開いて、ピクニックをしたくなるような。
そう思っていたのは最初の数十秒だけで、すぐに私は、帰りたいと考えていた。私が居てはいけない場所だと感じた。来てはいけない、場所だと。
でも、だからといってどうしようもない。
目が覚めたらここにいた。指一本も動かせないような、実際には動かせはするんだが、そんな疲労感に苛まれていて、帰り道があったとしても立ち上がることすら出来ない。ここがどこなのかも、わからない。

どうしたもんか。口を開くのも億劫で、頭の中だけで考える。
土の上に寝転がっているのだから、髪も服も汚れてしまっているだろう。どうにかしたい。なんか、心なしか背中やお尻や後頭部がしっとりしてきた気もする。雨上がりだったんだろうか。やだなあ。
そう考えたところで、立ち上がる気力は相変わらず湧かないし、疲労感も抜けない。息が上がっているわけでもないのに、ただただ、疲れていた。息苦しいというか、居心地が悪いというか。

動けない以上どうしようもないので、何故こんな目に遭っているのか、再びぼんやりと真っ青な空を眺めながら考えることにした。
けれどそれも、わからない、の一言で終わる。
わかるはずがないんだ。私は給料日を過ぎたばかりだからと浮かれたまま買い物に出かけ、一人で服やコスメを買い、それでもなお数万が残る財布ににこにことしたまま、帰りの電車に乗った。
乗った直後に、冒頭の青いなあ、である。なんかもうそれしか言えることがなかった。つまるところの現実逃避だ。
そういえばと思い至って視線だけを彷徨わせれば、足下に私の鞄と、紙袋が四つほど散乱していた。どうやら購入したばかりの諸々も一緒だったらしい。だからといって今、それが私にとって利点となるわけではないが。

相も変わらず疲労感は抜けないし、動けないし、何が起きてるのかもわからないし、もういっそこのまま寝てしまおうか。そう思って瞼をおろした瞬間、ざり、とわざと鳴らしたような、土を踏む音が聞こえた。
勢いよく瞼を押し上げ、警戒する。というか、怯えた。
現時点の私にわかっていることは、ただ一つ。何か、私の常識外にある出来事に巻き込まれたってことだけだ。少しずつ近寄ってくる足音の持ち主は、妖怪かもしれないし、獣かもしれないし、何かよくわからない、それ以外のものかもしれない。
ほんの数分前までうきうきとしていたのに、もしかしたら私は数秒、あるいは一瞬でも後に、死んでしまうかもしれないんだ。怯えるのも当然だった。
動けないまま、唇を噛み、こめかみを伝う冷や汗の感触に眉を顰める。視線だけを忙しなく動かし続け、とうとう、音の正体が、視界に映った。

「あるじさまー、しんにゅうしゃ、ここにいましたー!」
「…………、」

ポカン、である。さっきまで唇を噛み締めていたことなんて忘れ、私は、あんぐりと口を開け、呆けていた。
真っ白の髪、真っ赤な瞳。天狗のような姿の少年。私と目を合わせてから遠くへ顔を向け、また私を見下ろしてくる。

「うごけないのですか?」

呆けたまま声すら出せない私を、こともあろうに少年は、ひょいと俵のように抱え上げた。散乱していた鞄と紙袋も拾い、なんてことないように歩き始める。
私の脳内は、混乱の極みだった。

い、いま、今剣だ。脳内ですらどもってしまうレベルの混乱。
何で、えっ? 今剣? だよね? めちゃくちゃ高度なコスプレとかでなく、えっ? 待って本物? 私トリップしてんの? 何で? ていうかさっき主様って、ええっ? てことはここ本丸? 私侵入者なの? ――顔には出さないまま混乱し続ける私を、今剣は無言で運んでいく。
俵担ぎにされているため、どこに向かっているのかはわからない。が、先まで私が居たのは、庭の奥、小さな森のような場所だということはわかった。
今剣が進めば進むほど、見える範囲も増える。広い庭、池、干された洗濯物。ああ……あれ石切丸の内番着だ……あっちは粟田口のかな……。

「今剣! 侵入者を捕ま……え……、女?」
「あるじさまとおなじとしごろのむすめのようです。れいりょくがすっからかんになっているのか、うごけないようですよ」
「ていうかお前、片手で成人女持てるのか……すげえな……」

そういえば確かに。
と、心の中で同意してから、声の主に意識を向ける。今現在の私は、今剣が主様と呼んだ相手――声からして男だろう――にケツを向けてしまっているので顔かたちは確認できないが、彼がこの本丸の審神者だろう。
侵入者と認識されているみたいだが、どうなるんだろうか。彼が審神者で、ここが本丸なら、政府もいるはずで。てことは私は、政府にでも引き渡されるのか。敵だと思われて拷問とかされたらどうしよう。帰りたさしかない。

「おろしますよ」

返事をする間もなく、唐突に、けれど思ったよりは丁寧に地面へとおろされた。元より髪も背中も土で汚れていたのだから、今更地べたに座り込むくらいどうってことない。疲労感は変わらないので、今も寝転がりたいぐらいだ。
が、おろされたことによって見えた審神者の顔に、私の思考は完全に停止した。多分だけど、審神者の思考も停止した。というか後にして思えば、彼の方がよほど驚き、焦っていたことだろう。

「え、……はっ? な、おま……っ」
「あるじさまのおしりあいだったのですか?」

驚愕する私と彼の間で、今剣だけがきょとんとしている。そのまま無言の時間がしばらく続いて、他の刀剣男士たちがぞろぞろと集まってくる中、私と彼はお互いを、まるでお化けでも見るかのような目で、ずっと見つめ続けていた。
そういえば七秒以上見つめ合える相手とは心理的? 精神的? にセックスが出来るみたいな話を小耳に挟んだことがあるが、これもその範疇に入るんだろうか。

 
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