擁護欲 [14/56] 和泉守は半ば、彼女の世話係というか、教育係のような立場になりつつあった。 主に頼まれたわけでもない。勿論、彼女を当番に組み込んだ堀川や、他の班長たちが決めたことでもない。彼女自ら頼んできた、なんてことはあるはずがない。 適当な言葉を探すのならば、なんとなく、その一言に尽きた。なんとなく、流れでそうなった。それだけの話だ。 和泉守はこの本丸で、四番目に顕現した刀だ。初期刀の山姥切と初鍛刀の今剣に続いて秋田、そして和泉守が顕現した。 その頃の本丸はどことなく暗い雰囲気で、主は渋々審神者をやっている、といった様子に見えたし、何よりも悲しみや諦めのような気配が強すぎて、主たろうとする気概は見受けられなかった。 その鬱屈とした雰囲気は山姥切にも伝わり、今剣と秋田は頑張って空気を明るくしようとしていたものの、その頃の主にはなかなか届かず。 そういった中で和泉守は、俺がしっかりしねえと、と心底思った。出陣遠征だけでなく、家事炊事のような日常的なことも、なるべく主の負担にならず、しかし主を放置するような状況にはならないよう、計画を立てた。 勿論、初期刀である山姥切を立てることも忘れない。主が初めて選び、手にした刀。今は主に引きずられ自信を喪失していようとも、この本丸で主に並ぶべき刀だ。 新撰組副長の刀として、和泉守は奔走した。主を立て、初期刀を立て、鬱屈とした本丸の空気を根気強く掃除していった。 一年が過ぎた頃には、今現在と近い雰囲気に本丸は様変わりしていた。 だからこそだろう。和泉守は本丸の誰よりもしっかりしており、主の兄貴分のような立ち位置となっていた。 しかしそれも、五年目を向かえれば次第に必要がなくなってくる。刀剣男士の数は随分と増えたし、主も山姥切も一人でしっかり立てるようになった。主は、どこに出しても恥ずかしくないくらいに、立派な主になった。 格好良くて強い刀と自称する和泉守だ。それを心の隅ですら、さみしいとは感じたくなかった。 そんな時に現れたのが、彼女である。霊力供給機、もとい審神者補佐として本丸に居着くこととなった彼女は、己の立ち位置をどうすればいいか思い悩んでいるように見えた。 だからといって手を差し伸べる程、和泉守は外野に甘くはない。その内誰かがどうにかするだろうし、なんなら主本人がいずれ気が付くだろう。そう思って、放置しておくつもりだった。 和泉守にとって重要なのは、主と本丸と仲間、そして戦に関してだけだ。 と、思っていたのだが。堀川を含む班長たちの会議によって彼女の当番が割り振られた初日。和泉守は本丸の掃除当番で、彼女もまた、掃除当番だった。 彼女の担当は離れと蔵の掃除である。離れはさほど汚れておらず、蔵は多少散らかってはいるが毎週掃除が必要な程ではない。 気遣いにしてはあからさますぎる割り振りだった。お客様対応とでも言えばいいのだろうか。和泉守はそれを知った時、少なからず彼女を哀れんだ。 だから、離れの庭先で建物を見上げている彼女に、声をかけたのだ。 「何か、わかんねえことでもあるのか?」 戸惑っている、むしろ途方に暮れているといった様子だった。和泉守の声にはっと我に返った彼女は、数秒言い淀んだあと、とてもありがたそうに眉尻を下げた。ともすれば泣き笑いのようにすら見える笑顔。余りにも哀れだった。 「和室の掃除は経験がなくて。調べようとも思ったんですが、使える機械がないですし……。誰かに訊けばいいとはわかっていたんですけど」 苦笑して、だから助かりました、と彼女は頭を下げた。 そうして三つ四つほどの疑問点を和泉守の返答によって解消した後、ではありがとうございましたとあっさり離れていくものだから、和泉守は思わず呼び止めてしまう。 いやそこは手伝ってくれぐらい言うもんだろ、と思った。初めての和室掃除、しかも許可はとってるといえ、片方は男の部屋だ。厠だってある。またわからないことが出来たらどうするつもりなのか、また途方に暮れるだけじゃないのか。 それらを言い聞かせるように伝え、唖然としている彼女にため息を吐いた。 「手伝ってやる。だが今週だけだ。それで覚えろ」 癖なのか彼女はまた何かを言い淀み、けれど先よりは早く反応した。ありがとうございますと深く頭を下げ、和泉守さんでしたよね、と名を確認する。 大方主が教えたのだろう。頷き、もう一度礼を言う彼女と共に離れへ入った。 数時間を共に過ごしてみれば、思っていたよりも頭の良い女だった。 行動が早く、言ったことはすぐに覚える。一度休憩を伝えれば、ご丁寧に紙にそれらを記していた。 何よりも彼女は、己の立場を理解していた。 刀剣男士がただの人である審神者の臣下に甘んじているのは、審神者が主であるからだ。末席であれど神。人と比べれば、神格には遙かな差がある。しかし主は、刀である刀剣男士たちの持ち主だ。刀にとっては、そちらの方がよほど重要である。祀られるのも飾られるのも悪いわけじゃない。けれど振るってもらえるのなら、その方が何よりも嬉しい。だから刀剣男士は、審神者を主と呼ぶ。 しかし彼女は主ではない。審神者補佐という立場ではあるが、そんなもの刀剣男士には関係ない。主と違い、彼女はただの人間だった。格下の、必要であればいつでも殺せる、人間だった。 それを彼女は、よくよく理解していた。敬う姿勢を見せ、失言に気を遣い、口調にも気を配る。主の前ではくだけた口調となっていたが、まあ、主が気にも留めていなかったから、それはよしとしよう。とにかく彼女は、己がこの本丸で最も下の立場にあると、わかった上で行動していた。 物分かりが良すぎる程に。 彼女が堀川の内番着を借りていたのも、理由のほんの一端を担っていたかもしれない。視界の中にいても違和感がなかった。 和泉守の言葉に、はいと頷く姿は悪くない。従順に、時折笑みを見せつつ動き回る様は、和泉守の何かをくすぐった。庇護欲とも支配欲ともつかないそれを自覚しつつ、妹ってのはこんな感じなのだろうかと、考えた。 彼女は、主に必要な存在だ。無尽蔵とも言える霊力を、主に供給し続けてもらわなければいけない。 彼女が主を裏切るようなことはないとわかっている。ここから逃げるとも思わない。 だが、もし、そんな日が来てしまったら。 その時は俺が粛正してやろう。彼女の兄貴分として、きっちり始末をつけてやろう。 庭から和泉守を呼ぶ、彼女の声がする。かわいい妹分を、あるいは懐いた動物を見るような目で、和泉守はそれに応えた。 |